発覚(一)

 写真のそばに置かれた位牌の様な木の立て札には『藤堂芯とうどうしん』と書かれている。


「あ、それ? お兄だよ」


 あかね耕平こうへいの視線に気付いたのか、訊いてもいないのに木の札に書かれた名前の主がだれであるかを教えてくれた。そして、写真を耕平に手渡してくれる。

 その拍子に小さく折りたたまれた紙がぽとりと落ちた。茜は慌てた様子でそれを拾うと隠すように握りしめた。


 耕平はそれを横目に見つつ、写真に目を向ける。小学生のときに見た茜の兄の面影があった。


「そういえば、お兄さん死んじゃったんだよね」


 訊いていいものかどうか迷った。

 レストランで見せた茜のからっぽな目は、兄である芯の死に触れた途端に現れたものだった。けれど、今の流れでは触れないほうが返って不自然だとも思える。

 

 それに茜はあのとき耕平に何かを期待していた。実際のところがどうなのかは分からないが、耕平にはそう思えた。

 茜の期待は芯の死と無関係だとは思えない。

 むしろ、大いに関係しているに違いない。それなら、芯の死はやはり避けては通れない話題のはずだ。

 耕平は無理やり自分に言い聞かせて、さらに踏み込んだ質問をする。


「その……訊いていいか分からないけど、茜ちゃんのお兄さんは、なんで死んじゃったの?」


「自殺。暮らしてたアパートで首吊って死んでたってさ」


 茜は淡々としていた。なんでもないことのように、胸の詰まるようなことを他人事のように口にする。

 どうして? と尋ねようか迷った。

 

 理由のない自殺なんかないと耕平は思っている。耕平自身は死にたいと思ったことなんてない。それは死にたいと思うような理由がないからだ。

 生きている理由も、それほど自信を持ってあるとは言えないが、死ぬことに比べたら現状を変えなくて済む生きることの方が耕平にとっては楽なことだった。


 しかし、芯は死にたいと思って、実際にそれを行動に移したのだ。相応の何か大きな理由があるに違いない。現状を大きく変えてしまうに値する理由──、死ぬ理由があったはずだ。耕平はそう思っていた。

 

 尋ねるのに躊躇ちゅうちょしたのは、その理由にどこかで予想がついていたからだ。

 もっとも本当のところは芯に訊いてみなければ分からないから、正確には、茜が芯の自殺の理由をどう考えているかが分かっていた。

 

 そんな耕平の心の内を見透かしたように茜は、耕平が尋ねる前に口を開いた。


「アタシのせいだよ」


 ポツリと一言だけ。感情が読み取れないような声音だった。

 耕平はやっぱりな、と思った。予想どおりの応えだった。


「どうしてそう思うの?」


 耕平は訊くまでもなく分かっていることを尋ねる。

 茜はかつて、ハンバーグとゆずシャーベットを食べたレストランで『嫌なことは全部お兄が引き受けてくれたから。アタシに降りかかる嫌なことをお兄は全部被ってくれてた』と言っていた。それがそっくりそのまま理由なのだろう。

 分かりきっていたが耕平はあえて尋ねていた。


 二人のやりとりは、まるで儀式のようだった。淡々と質問をし、淡々と応えが返ってくる。


「アタシがいたからお兄は死んじゃったんだよ。アタシのせいでお兄は心も体もすり減らして、最後はアタシを置いていくことにしたんじゃないかな」


「置いていく……?」


 意図的になのかは分からないが茜はついさっき使った『自殺』という直接的な言葉を使わなかった。


「うん。お兄は優しいから。お兄はアタシを放っておくことができなかったんだよ」


「妹なら放っておけないのも当然だと思うけどな」


「どうだろう。もちろん妹だからってのもあるとは思う。でも、そんなの関係なくお兄は優しかったから。そばにいる人の苦痛を放っておけないんだよ。自分の苦痛は放っておくのにね」


 茜は自嘲気味に笑う。そんな風に笑っても右側にだけ笑窪ができるのを、耕平は皮肉だなと思った。


「お兄さんにはお兄さんの苦痛があったの? それなら自殺の理由は茜ちゃんじゃなくて、そのお兄さん自身の苦痛なんじゃないの?」


 耕平が尋ねると茜はキョトンとした顔で耕平を見た。そして、斜め下を見ながらまた右頬にだけ笑窪を浮かべる。


「なに言ってるの? その苦痛がアタシの存在そのものなんじゃん」


 返す言葉がなかった。茜はどこまでも自虐的だった。

 

 今一度、芯の姿を思い出してみる。

 耕平が思い出せるのは、茜に触れようとする刺青だらけの腕を振り払って、自分よりも背丈の大きな大人の男に向かっていく少年の姿だった。

 

 あのときの少年──、芯は鋭い目つきで歯を食いしばっていた。その目には光が宿っていた。死とは無縁の生きる力に満ちていた。

 茜の兄は、その名のとおり芯のある目をしていた。あれは妹の存在を苦痛に思う兄の顔ではなかった。


「それは違うんじゃないかな」


 耕平はある程度の確信を持って言う。

 

 あのとき見た芯の表情は、苦痛を感じている人間のものではない。妹の存在を疎ましく思っている人間のものではない。あんな目をしながら大人に立ち向かった芯が、茜を自殺の理由にするわけがない。

 

 茜がポツリと何かを呟いた気がした。あまりに小さくて聞き取れない。だから、思わず反射的に聞き返してしまう。


「え? なに?」


「──勝手なこと言うなよ」


 聞こえてきた言葉に耕平は思わず息を呑んだ。言葉の意味そのものよりも、茜の声音が直前のものとは丸っ切り変わっていたからだ。静かだがドスの効いた声。茜のものとは思えない声音。

 一瞬、別人が応えたのではないかと疑うほどだった。だが、間違いなく茜から発せられた声だった。

 

 俯き気味の茜の表情を垂れ下がった前髪の隙間から垣間見る。目に力が入っているのが分かった。


「勝手なこと言ってんじゃねーよ!!」


 風船が破裂するかのように、唐突に茜は大声を上げる。あまりの大声にビクッと耕平の身体に力が入った。


「茜……ちゃん……?」


 突然の変貌ぶりに驚く。恐る恐る声をかけ、近づくと、茜は突然スイッチを入れられた電池で動く人形のように俯けていた顔を勢いよく上げた。


「お前になにが分かるんだよ!」


 茜の顔は真っ白で血の気を感じられない、まるで般若のようだった。

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