誘因(一)

 あかねとレストランで食事をして以来、耕平こうへいの脳裏には茜のからっぽな目がこびりついて離れなかった。茜のからっぽな目が、気持ち悪かった。


 時間が経ってから思い返してみると、茜の目に浮かんでいたある種異様なまでの空虚さは、人間のものとは思えないような気さえしてくる。そんな風に思うたび、時間が空いたから大げさに、実際に見たもの以上に異様なものだと誇張して記憶しているのだ、そうに違いないと自分に言い聞かせていた。


 しかし、なぜそんな風に誇張して記憶してしまうのかは分からなかった。

 ましてやその対象は茜だ。耕平は小学生のとき以来、ずっと茜に対して恋心のようなものを抱いている。それは久しぶりに会った現在も変わらなかった。

 それなのに大好きなはずの茜の目を気持ち悪いと思ってしまうのだ。


 なぜそんな風に思ってしまうのか。大好きなはずの茜のことをどうして気持ち悪いと思ってしまうのか。

 自分のことなのに分からなかった。

 

『耕平、今日ひま? 大学生だもん、ひまだよね?』


 茜からメッセージが届いたのは、レストランに行った日から二週間ほど経った日のことだった。


 あのからっぽな目を思うと、耕平は自分からメッセージを送る勇気を持つことができないでいた。

 けれど、送られてきたメッセージに返信するくらいの勇気は耕平にもあった。


『大学生がみんなひまだと思ってるの?』


『えっ!? 違うの? じゃあ今日は忙しい?』


『いや、そんなことはないけど』


『なにそれ。やっぱひまなんじゃん』


 文面からは耕平のよく知る茜としか思えない。

 とはいえ、自分は茜の何を知っているのだろうとふいに思う。

 冷静に考えてみれば、一緒に何かをした時間はとても短い。一番長く一緒に過ごしたのは、耕平が小学一年生のときのことだ。もう十年以上も前のことになる。


 高校生のときに一度再会したとはいえ、小学生から今までの間、茜がどんな風に暮らしていたのか知らない。レストランで聞いたことを考えれば、決して平穏な生活ではなかっただろう。

 茜は小学生の時点ですでに平穏とは呼び難い環境にいたのだ。そんな環境に長い間いたことが茜の目をあんな風にしてしまったのだろうか。

 けれど、小学生のときも高校生のときも、あんな目はしていなかったように思う。そんなことを考えながら、もっと茜のことを知りたいと耕平は強く思った。

 だから、そのメッセージは、願ってもない誘いだった。


『ひまならさ、今日うちに来ない?』


 茜の家に行くのは、それこそ小学生のとき以来だ。レストランでは周りの目もあったし、なにより耕平自身が怖気づいてじっくり話をすることができなかった。


 思い返してみれば、茜は耕平になにか伝えたいことがあったのではないかと思える。兄の死だけがその伝えたいことだったとは思えなかった。

 茜は耕平になにかを期待していたのかもしれないとも思う。だから、三年も経過していたのにあんな風にメッセージを送ってきたのではないか。具体的になにを期待していたのかは想像もつかなかったが、そんな風に思えてならなかった。


『ぜひ、お邪魔させてもらうよ』


 だから少しの躊躇ちゅうちょを打ち消して返信する。今度は茜の期待に応えたい。その一心だった。

 しかし、送ってしまってから茜が親元を離れて暮らしているらしいことを思い出した。少しは遠慮するべきだったかと後悔しかけたが、誘ってきたのは茜のほうなのだから問題ないはずだと思いなおす。


『りょーかいっ! じゃあ地図送るね。ここがウチだから、適当な時間に来てよ。今日ならアタシはいつ来てもらっても大丈夫だから』


 続けて、URLが添付されてくる。開くと耕平の家から電車を乗り継いで三十分ほどで行ける場所だった。

 耕平は、だいたいの到着時間をメッセージで知らせてから身支度を整える。無意識のうちにいつもよりも入念に髪の毛をセットしている自分に気が付いて思わず苦笑いをこぼす。

 どうやら不安を感じながらも、自分で思っている以上に浮かれているらしかった。

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