別れ(一)
「とりあえず、翔也から返信がきたよ。今からここに来るって」
繁華街のはずれにある、あまり広くないカフェ。そこに翔也を呼び出そうと言い出したのは
スマートフォンの画面から外した茜の目は、真剣そのものだった。茜は自分のせいで耕平と
茜は自分が葵の知らないところで耕平と会っていたことが原因で、葵と
なるほど。ありうるかもしれない。と耕平は思った。
葵と翔也の関係がハッキリしたわけではないが、もし茜の想像どおり翔也が葵の元カレであるなら、葵が何かを相談するのは翔也くらいしかいないのかもしれない。なにしろ普段の葵の様子から相談できるような友達がいるようには思えなかったし、葵の口からそれらしい人物の名前が出ることもなかったのだ。ただ、以前だれかと付き合っていたらしいことは知っていた。
茜の推理が正しいなら、耕平はショックを受けるはずだった。自分の彼女が元カレと会っていると聞いて、何も思わない彼氏はいないだろう。しかし、耕平はどこか他人事のように茜の言葉を聞いていた。
「耕平が一緒にいるってことは言ってないから、もしかしたら……」
葵も一緒に来るかもしれないと言いたいのだろう。最後まで言わないのは、耕平の気持ちを思いやってのことだった。
けれど、当の耕平は葵と翔也が一緒に現れたとしても何も思わないだろうなと思っていた。例えそれが仲睦まじい様子だったとしても。自分が冷たい人間なのではないかと思って嫌になるが、無意識下の気持ちをどうすることもできなかった。
葵が来たら何を言えばいいのだろう。どう接すればいいのだろう。怒るべきだろうか。それとも優しく包み込むように、葵を理解している風に振る舞うべきだろうか。取り乱して縋り付くべきだろうか。それともこちらから正式に別れを告げるべきだろうか。分からなかった。
どちらにしても、嘘をつき、下手な芝居をすることになる。怒って問い詰める気にも理解ある素振りを示す気にもならない。
小さなカフェはほとんど満席だった。
コーヒーの香りと喧騒の中で、耕平と茜はほとんど会話をしなかった。
茜の口数が珍しく少なかったからだ。茜がリードしなければ二人の会話は弾まない。葵とはどうだっただろうと考えると、やっぱり葵が会話をリードしてくれていたような気がした。
茜は口数こそ少ないが、ソワソワして落ち着きがなかった。なんとなく顔も強張っているように見える。耕平よりも茜の方がショックを受けているようだった。
「あいつ……翔也のやつ……何やってんだよ」
茜は憎々しげに時折翔也の名前を呟いた。そんな様子を見て耕平は、茜はひょっとしたら翔也に特別な感情を抱いているのではないかと思った。そう思うと胸をザワリと不快なものが撫でる。
茜に彼氏がいることを思い出すと、その不快なものは消えたが、すぐに別のザワつきが胸を襲った。
「茜……?」
ふいに酷くか細く、まるで病人のように覇気のない声が降ってきた。いつかバーで聞いた翔也のものだとすぐに分かった。
顔を上げると予想どおり、翔也がいた。そして、その隣には葵がいる。
翔也の隣に立つ葵は無表情で耕平と茜を見下ろしている。感情がすっぽりと抜け落ちてしまったような印象を与える表情だった。
彼氏であるはずの耕平を目の前にしても、絡めるように翔也と繋いだ手を離そうとはしない。
「翔也。ごめん、急に呼び出したりして」
茜は社交辞令的に謝った。本心では悪いとは思っていない。翔也の方もそれは分かっているようで「いいよ」と軽く流す。
「それで? なんの用なの?」
声まで青白く感じられる翔也は、バーの薄灯りの中で見た時よりもずっと頼りなさそうに見えた。イメージよりもずっと葵と似合って見える。
首元に覗くタトゥーは他人を威圧するには十分だったが、耕平にはそれが精一杯張った虚勢のように思えた。
なぜか、昔茜の家で会った刺青の男を思い出した。耕平は全く似ても似つかない二人を同じ種類の人間なのかもしれないなと思った。
「うん。まぁ、回りくどいことを言ってもしょうがないからさ、はっきり言うけど、あんたとその子の関係ってなんなの? もしかして、付き合ってる?」
「えっ……?」
茜の問いに翔也は吐息のような声を漏らした。全く想定していない質問だったのだろう。翔也の反応には、なぜそんなことを訊かれるのかという驚きと、なんだそんなことかという安堵が入り混じっていた。
「あぁ……ごめん。茜には前に別れたって言ったもんね」
ややあって、翔也は何かを思い出したようで、合点がいったとばかりに頷いた。
「そっか。そこの彼はあのとき茜と一緒にいた人だね。もしかして、茜の新しい彼氏? なわけないか」
翔也が耕平を示すと葵の身体がピクリと動く。けれど表情は変わらなかった。
「嘘じゃないんだよ。たしかにあのときは別れてたんだけど、最近ヨリを戻したんだ」
翔也は申し訳なさそうに眉を下げながら、繋いでいた手を離すと葵の肩を抱いてやや乱暴に引き寄せた。
それに応えるように葵は頭を翔也の肩に乗せる。まるで耕平に見せつけるかのように、葵はそのままゆっくりと目を細めた。
耕平はそんな葵を目の当たりにして、やっぱりなと思った。耕平の気持ちになに一つ波風が立たないことに対する諦めにも似た納得だった。
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