距離(二)

 写真の中であおいと思われる女の子は、翔也しょうやにもたれかかるようにして腕を組んでいた。誰が見ても親密な関係であることが分かる。親密どころか、恋人関係でもなければ生まれない距離感に見えた。


 をしたとき、耕平こうへいは葵と腕を組んで歩いた。けれど、あのときも写真に写る二人のような親密さは表れていなかったように思う。少なくとも葵は自分の足でしっかり歩き、どちらかと言えば耕平をリードしていた。

 しかし、写真の中の葵は翔也に全てを委ねるかのようにもたれかかっている。


「なんだ……これは……」


 あかねから送られてきたメッセージには現実感がなかった。

 耕平は、葵が耕平以外の人間と話しているところをほとんど見たことがない。その葵が翔也と腕を組んで歩く姿などは、写真を見ている今でさえ想像ができなかった。

 自然と写真の女の子は葵ではないのではないかと思う。

 

 そもそも、茜が葵の写真を送ってくるということ自体が、どこかチグハグだった。一度会ったことがあるとはいえ、茜と葵に接点はないだろうし共通点もおよそ見当たらない。


『遠くてよく分からないけど、葵によく似てると思う』


 とりあえず正直に思ったことを返信する。すると、すぐに電話がかかってきた。茜からだ。


「もしもし、耕平? やっぱりあれってあんたの彼女さんだよね?」


 茜は耕平が電話に出ると、すぐにメッセージと同じことを口にした。


「たぶん、そうだと思う。ちょっと遠いから分かりにくいけど。隣の男って、前にバーで会った翔也ってやつだよね?」


「うん。最初、翔也に気がついて、女の子と歩いてるから後でからかってやろうと思ったんだよ。でも、よくよく見てみると耕平の彼女さんっぽかったからさ。思わず盗撮しちゃったよ。ねぇ、こんなこと言いにくいんだけど、あんた浮気されてんじゃないの? こう言っちゃなんだけど、どう見ても友達の距離感じゃないじゃん」


 言いにくいという割に、茜はハッキリと言ってのけた。


『浮気されている』


 茜に指摘されるまで思いつきもしなかった。そうか。自分という彼氏がいながら、他の男と腕を組んで歩いているのだから、たしかに浮気だ。

 耕平は遅れてそのことに気がつく。けれど、悔しいとか悲しいとかいう感情は湧かなかった。ただ、どうして? と疑問に思うだけだ。


「ねぇ、耕平。あの子、こういうことするタイプには思えないけど、実際のところどうなの? 何か心当たりはないの?」


 茜に訊かれて耕平は最近あったことを話した。


 茜が耕平の家を訪れた日、茜と別れた直後に葵もやってきたこと。茜と一緒にいるところを見られたこと。『距離を置こう』と言われたこと。それ以来、連絡をしても返事がないこと。

 それほど複雑でもない状況をさらに掻い摘んで説明する。


 耕平が話している間、茜は珍しく神妙な声で相槌を打っていた。特に『茜と一緒にいるところを見られた』と告げたときは、息を呑むような気配があった。


 全て話し終えると、茜は「そうだったんだ」と言って黙ってしまった。耕平も黙っていると、少し間を開けて茜が口を開く。


「事情は分かったけど、アタシが思うに、あれは昨日今日できた関係じゃないと思うよ。それこそ何年も……。でも、あんたの彼女さんと翔也って接点なさそうだよね? タイプも全然違うような気がするし……」


 言われて耕平は葵と翔也が同じ中学校の出身であることを思い出した。たしか茜にも告げたはずだが忘れているらしい。


「接点というか、二人は同じ中学校の出身だよ」


「あっ……。そういえばそんなこと言ってたね。でも、たしか中学の時の翔也ってめっちゃ浮いてて、学校で話すのは彼女くらいしかいないって……」


 話しながら茜は何かに思い当たったようだった。それを口にするのは憚られたのか、途中で言葉を切った。けれど、耕平には茜が何に思い当たったのかが分かってしまった。

 翔也が付き合っていた学校で唯一話す彼女というのは、葵なのかもしれない。いや、写真の様子から察するにもしかしたら今も……。茜はそう思ったのだ。

 

 耕平はバーで会った翔也のことをもう一度思い出す。

 向こうが見えてしまうほど大きな穴の空いた耳たぶ。首元にチラリと見えたタトゥー。見るからに悪そうな装飾。それと不釣り合いに病的な見た目。

 気弱で引っ込み思案な葵と付き合うところは想像できない。


 あのとき翔也は茜に『彼女とはだいぶ前に別れた』と言っていた。その彼女というのが、葵だったのだろうか。

 葵と、別れたと言っていた彼女が同一人物だとするならば、あのとき翔也は茜に嘘をついたことになる。


 そして、耕平は翔也が彼女と別れたと言う直前のことも思い出していた。


『彼女のこと、もう殴ったりしてないよね』


 茜は翔也にそう問い詰めるように訊いていた。

 耕平の脳裏には、なぜだかいつも葵の腕に巻かれた白い包帯が浮かんでいた。

 

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