罪悪感(二)
呼び出し音が数度鳴った後、唐突に通話は繋がった。
「あれ? 耕平? どうしたの?」
『助けて』とだけ打たれたメッセージ。それをわざわざ耕平に送りつけてくるというのは、尋常ではない状況を耕平に想像させていた。もしかしたら出られない状況なのかもしれない。そう思った。
それなのにそんな想像とはあまりにもかけ離れた呑気な茜の声に、耕平は声を発することができなかった。
「あれ? ちょっと、繋がってるよね? おーい……」
黙ったままの耕平に茜は拍子抜けするほど間伸びした声で呼びかける。耕平は気持ちを切り替えるように一度大きく息を吐いた。
「なんだ。やっぱり繋がってるじゃん。なに? どうした?」
「助けてって……だから……。大丈夫なの?」
「えっ……? 助けて? ──あ、あぁッ! そうだった、そうだった。なに? それで心配してかけてきてくれたの?」
「だって……。茜ちゃんがわざわざそんな風に助けを求めるなんて、きっとすごく悪いことが起こったんだと思ったから……。すぐ連絡しなきゃって思って、それで……」
耕平の頭には小学一年生の頃のことが蘇っていた。あの頃、茜から助けを求めるようなことはなかった。ただ、思い返すとそう明言はしていないだけで、助けを求めていたのではないかと想像させるようなことがあっただけだ。
あのときですらそうなのに。耕平はそう思っていた。耕平もある程度成長している。あのとき、茜が刺青の男にされていたこと。それから父親からされていたこと。その意味が今ではよく分かる。
バーで目にした茜の友人たち。いかにもトラブルを身近なものにしていそうな面々だった。偏見ではあるが、彼らのうちの誰かが茜に危害を加えるところを想像するのは簡単だった。刺青の男や茜の父親以上の危害を加えたとしても、不思議ではないと耕平は思っていた。
「大袈裟だよ。そういえば耕平は小さいときから暴走しちゃうようなところがあったもんね。ほら、児童公園で。
「覚えてる……けど……」
耕平の心配をよそに茜は思い出話を始める。本人が大丈夫と言っていて、実際に大丈夫そうなのだから安心すべき場面なのかもしれない。しかし、耕平の胸にはなにかモヤモヤしたものがあった。
自然と応える声は小さくなるが、茜はお構いなしに続けた。
「あのときはビックリしたよ〜。まさか、こ〜んなにちっこい耕平が陽のデブにぶつかっていくんだもん」
電話の向こうで当時の耕平の背丈を手で表現しているのだろう。ガサガサっと服が擦れる音がした。
「大人しそうに見えて、耕平って案外男気あるよね」
茜は茶化す風でもなくサラリと言ってのける。男気があると言われるのは悪い気がしなかったが、やはり『助けて』というメッセージの真意が気になってそれどころではなかった。
「そんなことより、助けてって。なにがあったの?」
もはや、大したことではないのは分かりきっていたが確認せずにはいられない。耕平は、少し意地になっていた。
「えっ? あぁ……。ごめん、しょーもないことなんだけど、アタシ、テンパっちゃってて。迷子になっちゃったんだよね」
「迷子?」
予想よりもはるかに拍子抜けする理由だった。
「うん。いや〜、分かると思ったんだけど、久しぶり来てみたら、まるっきり変わっちゃっててさぁ」
「えっと……迷子って、道に迷ったってこと?」
「迷子ってそういう意味でしょ?」
「いや、そうなんだけど……。茜ちゃん、スマホ持ってるじゃん。子供じゃないんだし、それで調べたら迷子になんてならないと思うんだけど」
「えっ!? ──あっ…………。う、うるさいなッ! テンパってたんだからしょーがないじゃんッ!」
急に大声を出されて耳がキーンとなった。耕平は警戒しつつ、再度スマートフォンを耳に当てる。
「それに地図アプリって、訳わかんなくない? 自分がどこにいるか全然分かんないし……」
声のボリュームは普通に戻っていた。どこか恥ずかしそうに言い訳をする茜は、自分のことを方向音痴だと言った。耕平にはそんな印象はなかった。
「それで、今はもう迷子じゃないの?」
「うん。もう迷子じゃないよ。たった今、目的地にちゃんと辿り着けたから」
「それなら良かった。でも、まさか茜ちゃん。二時間以上も迷子だったの?」
「うるさいなー。結構前にちゃんと見覚えあるところまで辿り着けてたから。迷子はだいぶ前に解消されてたよッ!」
耕平は本気で心配して訊いたのだが、茜は茶化されたと思ったようだ。
「なら、良かったよ。ていうか、目的地にたどり着けたなら電話切った方がいい?」
「えっ? あぁ、うん。もう電話じゃなくてもいいね! じゃっ!」
そう言って茜は一方的に電話を切った。そして次の瞬間、インターホンが鳴る。母親が出るだろうと思って、耕平は特に動かなかった。
さっきまで茜の声を発していたスマートフォンを眺めてため息を吐く。安堵のため息なのか、それとも別の理由によるものなのか耕平には判断できなかった。
「こうちゃ〜ん!!」
と、階下で耕平を呼ぶ声がした。
「なんだよっ!!」
子供のときから変わらない呼び方を、耕平はいい加減疎ましく思っていた。だから、必要以上に大きく乱暴な声で応えてしまう。応えながら、部屋のドアを開けると母親とは別の声が聞こえてきた。
「耕平。お母さんにそんな口の聞き方したらダメだよ」
それは茜の声だった。
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