再会と際会(一)

 誰もいなくなった放課後の教室でたわいのない話をして、下校時間になれば二人並んで下校する。それが、耕平こうへいあおいのお決まりのデートだった。

 

 耕平と葵が付き合っていることは、あっという間にクラス中に知れ渡ることとなった。どこでどう伝わったのかは分からない。もしかしたら、沙月さつきが手紙のことを漏らしたのかもしれない。

 いや、そもそも毎日放課後二人で教室に残っているわけだし、隠すつもりもなく並んで下校している。そんな姿を見れば、誰だって付き合っていると思うだろう。

 経緯がどうであれ、耕平にとっては別にどうでもいいことだった。いずれは知られることだろうし、そもそも隠す気もない。隠す理由もなかった。


「こーちゃんはさ、いろんな人と普通にしゃべれるよね」


 付き合ってすぐ、葵は耕平のことを『こーちゃん』と呼ぶようになった。特別な存在だと自覚したいからと言って、勝手に呼び始めたものだった。

 耕平としては母親と同じ呼称で呼ばれるのは、少し気恥ずかしかったが、強く反対はしなかった。


「うん。逆に葵はなんで俺以外の人としゃべらないの?」

 

 葵は、耕平と話すとき以外は相変わらず一人でいる。教室の隅でなにもない空間を見つめるような過ごし方は相変わらずだった。

 しかし、付き合うようになり、より砕けた会話をするようになったことで分かったこともあった。葵は、耕平が思っていたよりもずっと明るく楽しい女の子だった。普通の女の子と大きな違いはない。普通にしていれば、友達もできるだろうし、耕平以外に彼氏の一人や二人できていても不思議ではなかった。現に葵は耕平以前にも誰かと付き合ったことがあるらしい。

 耕平には耕平以外のクラスメートと話そうとしない葵の態度は不思議でならなかった。


「なんでかな。自分でも分かんないけど、葵、人間が苦手なんだよ」


「なんだよ、それ。それって俺が人間じゃないみたいじゃん」

 

「あはは。そうかも、そうかも。葵が上手くおしゃべりできる人はみんな人間じゃないから。だから、こーちゃんは人間じゃないんだよ。あはは」


 ケラケラと声を上げて笑う。二人きりの時にしか見せない葵の一面だった。

 

 葵は、よくしゃべるし、よく笑う。そして、嫉妬深くわがままだった。そんな葵に耕平は時折振り回されることもあったが、苦痛ではなかった。


 葵に対して明確に恋愛感情が芽生えたかというと分からなかったが、葵といる時間は悪くなかった。時折見せる葵の笑顔。特にその頬に浮かぶ笑窪は何度でも見たいと思わせるには十分だった。

 

 耕平と葵はお互いのことをよりよく知ろうと、色々なことを話した。家族構成。趣味。好きな食べ物。寝るときの体制まで、事細かにお互いのことを話し合った。

 けれど、葵の右腕に巻かれた包帯のことだけは、尋ねることができないでいた。葵の方も話題に出すことはなかった。

 

 色々なことを話す中で分かったのは、葵の家が母子家庭であり、葵は一人っ子であるということだった。


「ママはさ、葵のために一生懸命働いてくれてるって分かるんだけど、でも、反発しちゃうんだよね。よその家みたいにママがずっと家にいてくれたらなって思うと頭に来ちゃうの。ずっと家にてくれたら、もっと違うのにって」


 ある日、葵はそう零したことがあった。どこか悲しげで遠い目をしながら話す葵は、そう零した後でハッと口をつぐんだ。


「今は、お母さんが働きに出てる家庭も多いと思うけどね」


「……うん。そうだね」

 

 耕平は、軽く相槌を打ってそれ以上の追求をしなかった。葵の方もそれっきり何も言わなかった。

 話したくないことを無理やり聞き出す気はさらさらない。けれど、一瞬見せた葵の悲しそうな目を忘れることができなかった。


 また、葵は、見た目に似合わず思っていたよりも自己主張をしてくるタイプの女の子だった。

 耕平を『こーちゃん』と呼ぶと決めたこともそうだったし、毎日放課後に二人で話をしてから一緒に帰ると言うルーティンを決めたのも葵だった。

 耕平は葵の言うままに、流されるように従っている。しかし、別に嫌々というわけではない。耕平にしてみれば、場所やシチュエーションはあまり重要ではなかった。

 けれど、葵はそうではなかったようで、ある日耕平の目を見て真剣な口調で言った。


「こーちゃん。葵、ちゃんとしたデートがしたい」


「デートなら毎日、今だってしてるじゃん」


「こんなのちゃんとしたデートじゃないよ。こーちゃん、もしかしてデートしたことない?」


「今のこの状況がデートじゃないなら、したことないかな。葵は? あるの?」


 訊くと葵は真っ直ぐに耕平へと向けていた目を逸らす。一瞬いつか見た悲しそうな目を浮かべる。しかし、それも一瞬のことで、すぐに耕平へと視線を戻した。


「……分かんない」


「分かんないって、なんだそれ。まぁいいや。ちゃんとしたデートって例えばどんなの?」


「そうだなぁ……。遊園地とか、映画とか。とにかくちょっと日常から離れたところに二人で行きたい」


「なるほど。じゃあ、次の日曜日、B市にでも行く?」


 B市というのは、耕平が暮らすC県の県庁所在地だ。大きなターミナル駅がある。ターミナル駅なだけあって、映画館や駅ビルなどがあり、葵の言う日常から離れたところとしてはうってつけの場所だった。


「B市ね。うん、いいかも!」


「じゃあ、ちょうど土曜日だし、明日、B駅で待ち合わせようか」


 葵は耕平の提案に嬉しそうに返事をすると、「そろそろ帰ろうか」と言って帰り支度を始める。見ると外はいつのまにか真っ暗になっていた。窓には耕平と葵の姿が反射しいる。そこには頬に笑窪を浮かべて笑う葵と、無表情の耕平の姿が映っていた。

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