誕生日会(三)

「なんでって、この人もお祝いしたいって言うから。お祝い事は大勢でした方がいいでしょ? ほら? あかねのお友達も来てるんだし……」


「こいつに祝ってもらう必要はないよ。茜だって、こいつに祝ってもらいたくなんかないだろ?」


 茜は兄の隣でうなずく。母親はより一層眉を下げて兄から視線を外した。


「そんな風に言わないで。この人、見た目はこんな風だけど悪い人じゃないから。ね?」


 どこか言い訳じみた母親の言葉を兄は無視する。わずかに噛んだ下唇が震えている。妹の誕生日を祝いたい気持ちと歓迎しない客を拒みたい気持ちとの間で揺れているようだった。

 

 耕平こうへいは、自分も歓迎されていないのではないかという気がしてきて、肩身が狭かった。

 そんな耕平に気が付いたのか、兄が耕平に笑いかける。耕平はなんだか照れくさくて、思わず顔をそらしロウソクに灯る火をじっと見つめていた。顔をそらす瞬間、茜の兄の口は「ごめんな」と動いていたように見えた。


「ね? しんちゃん。茜。それに君も。さぁ、座って。ロウソクに火をつけるから」


 茜の母親は仕切りなおすように告げる。

 耕平の目には茜の母親は茜や茜の兄よりも刺青の男に気を使っているように見えた。怖いのかもしれないと思ったが、それならなぜ家に招き入れて、そのまま一緒にいるのだろう。それにわざわざ誕生日会に招いたような口ぶりだったが、もし怖いなら呼ばなければいい。


「俺がやるよ」


 重苦しい空気の中、全く意に介していないのは刺青の男だった。男は頼まれてもいないのに煙草に火をつけたのと同じジッポライターでロウソクに火を灯す。オイルの焼ける匂いがした。

 九本すべてに火を灯し終えるとカチンと硬い金属音を響かせてジッポライターを閉じる。ぼんやりと丸く灯ったロウソクの火がゆらりと揺れた。


「ハッピバースデートゥーユー……」


 なんの合図もなく手拍子とともに歌い出したのは茜の母親だった。

 とにかく明るい雰囲気を作ろうとする声音は、茜の兄へと伝播する。茜の兄はぎこちないけれど、妹の誕生日を台無しにするわけにはいかないと思ったのだろう。大きな声ではないが、ハッキリとした声で母親の歌に続く。


 耕平も歌わなければと思って、慌てて二人の後に続いた。


 刺青の男だけは歌おうとはせず、おもむろに煙草に火をつけると顔を上に向けて煙を吐き出した。顔を上に向けたのは、ロウソクの火を消してしまわないようにという一応の配慮らしい。


 歌い終わると茜の母親は盛大に拍手をした。兄と耕平もそれに倣う。

 刺青の男も煙草を口に咥えたままゆっくりと手を叩いていた。そのわずかな衝撃で灰が落ちる。耕平はわけもなく落ちた灰を目で追った。


「ほら、茜。火を消して」

 

 促されて茜がロウソクの乗ったケーキに顔を近づける。スゥっと息を吸い勢いよく吐くと、ロウソクの火が音もなく消える。消えるのと同時に茜の母親はわざとらしいくらい大きな歓声を上げて手を叩いた。


 ロウソクを見つめていた耕平の目は突然光を失って暗闇に包まれた。しばらくすると暗闇にも慣れてきて、元通り辺りが見えるようになる。


 母親の歓声と拍手が止むと静寂がアパートの一室を包んだ。茜を見ると下を向いていた。

 ガサッと紙のこすれる音がした。見るとどこに隠していたのか、刺青の男が大きな紙袋を抱えていた。


「茜ちゃん。おじさんからプレゼントだよ」


 しかし、茜は反応を示さなかった。聞こえなかったわけがない。


「ほしくないの? ほしかったらさ、ほら、おじさんのとこ来て、膝に乗って。ね。そしたら、コレあげるから。そいつが買ってきたプレゼントよりもずっといいものだよ」


 刺青の男は、顎で茜の兄を示した。茜はブルっと一度体を震わせただけでそっぽを向いたまま無視を続けている。


「茜ちゃ〜ん。そんな意地張らないでさぁ。ほら、こっちおいでよ」


 刺青の男の腕がヌッと伸びる。

 男は茜の肩を抱くともう片方の手で確かめるように茜の身体を撫で回した。そして膝立ちになって頬擦りでもするかのように茜の身体に顔を寄せた。その間、茜はただ身体を硬直させていた。

 ふいに耕平の視界の隅で影が動いた。

 

「茜に触んなって言ってんだろ!! お前もう帰れよ!! そんでもう来るなよっっ!!」


 茜の兄が叫びながら刺青の男に向かっていく。男が膝立ちをしているせいで茜の兄の方が背が高い。

 茜の兄の拳が男の頬を捉えた。それなりの勢いを持って殴りかかったはずだが、男は倒れなかった。


「ってーな!! なにしてんだよ! このガキがっ!!」


 男は一瞬怯んだようだが、すぐに立ち上がると茜の兄に向って拳を振り上げる。

 躊躇なく振り回された男の拳が容赦なく兄の頬を抉った。ゴチンという鈍い音と共に横に吹き飛ばされた兄は、それでも男に向かっていくのをやめなかった。

 向かっていくたびに拳で、足で男に倒される。


 あまりの出来事に耕平はまともに見ていることができなかった。ギュッと目を瞑って、耳を塞ぐ。

 茜はただ呆然と殴られて、蹴り飛ばされる兄の姿を見ていた。苦痛に顔を歪めるでもなく、泣き叫ぶでもなく、ただ慣れたように見ていた。


 すぐ近くで「やめて! お願いだから二人ともやめて」と叫ぶ母親の声が聞こえた。

 それを合図に突然、強い力で腕を引かれる。「耕平。逃げよ」という茜の声が耳を塞いでいてもハッキリと聞こえた。

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