誕生日会(二)

 八帖ほどのダイニングに置かれたテーブルの上には、小ぶりなケーキが乗せられていた。立てられたロウソクは九本。小さな丸いケーキの上で窮屈そうにしている。火はまだ灯っていなかった。

 ケーキのほかには、あかねの母親の手料理なのだろう。決して豪華ではないが、からあげやオムライスといった子供が喜ぶような食べ物が並んでいる。


「君。お名前は何ていうの?」


 茜の母親は耕平こうへいに優しく声をかける。

 けれど耕平は刺青の男が気になって仕方がなかった。なぜこの男がここにいるのだろう。なぜ茜の家に、当たり前のようにいるのだろう。まさか、茜の父親ではあるまい。地味で気の弱そうな母親と刺青だらけで強面の男。あまりお似合いの二人だとは思えない。


「なんだ? お前。口が利けねぇのか?」


 耕平がボーッと思考を巡らせていると、刺青の男がすごむように言った。茜に向けられた声とは明らかに違う、敵意のこもった声だった。

 ビクッと耕平の肩が跳ねる。


「やめてよ。怖がってるじゃん。そんな風に脅すことないでしょ?」


 茜の母親が諭すように言った。その声には、どこか媚びを含んだ響きがあった。茜は不快そうに顔を歪める。


「でもよ。将来娘になる子が連れてきた男だぜ? どんなやつか知らないとだし、ちゃんと分からせないと、だろ?」


「だれがあんたの娘になんか……」


 不貞腐れたように小声でつぶやく茜の肩を、男はふいに抱き寄せようと手を伸ばした。

 茜は瞬間的に男の腕を逃れて、やや俯いたまま自分の肩を抱いた。真夏で冷房も付けられていない部屋の中で寒いわけがないのに震えているようだった。

 男は伸ばした手を所在なさそうに空中でふわふわと漂わせると、肩を竦めておもむろに煙草を取り出した。そして、だれに断るでもなく火をつける。そのままチューッと音がしそうなほど深く吸って、口と鼻から大量の煙を吐き出した。

 煙の先が耕平の鼻に触れる。苦味がするような臭いに思わずむせてしまいそうになるのを必死でこらえた。


「アタシがだれを連れてきたって、あんたには……関係ないでしょ……」


 弱々しく言い放つ茜に男は、


 「なぁに~? 茜ちゃん。ご機嫌斜め?」


 とその風貌からは想像できない猫なで声で応える。茜はそんな男を無視して耕平の服の裾を引っ張った。


「耕平。こんなやつ無視していいから。とりあえず、座って」


 耕平は茜にされるがまま用意された椅子に腰かけた。くたびれたクッション越しに椅子の硬さを感じる。

 どうしていいか分からずに、半ば縋るように茜の顔を見上げていると、玄関ドアが開いた。ドアの隙間から、細い光が熱を伴って耕平の顔に筋を作る。じりっとした焼けるような熱さと、眩しさに目を細めていると、入ってきた人影が光を遮った。


「しんちゃん。遅かったじゃない」


「ちょっとそこまで行くつもりが、結局隣町のモールまで行ってきたからね」


 入ってきたのは、中学生くらいの少年だった。

 細く眠そうな目をした少年は、耕平に気が付くと一瞬驚いたようにその細い目を開いた。そして、にっこりと笑う。茜や茜の母親と同じように右側にだけ笑窪ができる。

 耕平は頭だけを動かしてうなずくように会釈した。少年はそれに軽くうなずいて応えると、丁寧に包装された箱を茜に差し出した。


「なにこれ?」


「なにって、誕生日だろ? プレゼントに決まってるじゃないか」


「えっ!? ホントッ!? ありがとう。開けてもいいの?」


「あぁ、いいよ」


 さっきまでと打って変わって嬉しそうに話す茜は、耕平の見たことのない茜だった。どこか甘えるような姿はいつも耕平を振り回す姿とは似つかない。


 茜は受け取った箱の包装を丁寧に剝がしていく。

 包んでいた用紙が取れると中からは真っ白な箱が出てきた。そのままの勢いで蓋を開けると、茜の目がみるみるうちに輝いていく。箱から出てきたのは、小さな飾りの付いたチョーカーだった。


「きっと似合うと思うんだけど、気に入ってくれるかな?」


 茜は嬉しさのあまり言葉にならないのか無言でうなずく。


「お兄! ありがとう!」


 ややあってから茜は思い出したように少年に礼を言って、勢いよく抱き着いた。少年は包み込むように茜の背中に手を回す。


 少年はどうやら茜の兄のようだった。

 二人の姿を見ていると耕平は羨ましくてたまらなかった。耕平には兄弟がいない。耕平も茜のように抱き着いて甘えられるような兄が欲しいと何度も思ったが、それは一生叶わない願いだった。


「おい、もういいか? 腹減ってんだよ。さっさと飯にするぞ」


 せっかくの兄妹のやりとりを邪魔するように刺青の男がめんどくさそうに言った。少しイラ立っているように見えた。


「なんでこの人がいるの?」


 茜の兄の声はそれまでが嘘のように無感情だった。その声は母親に向けられている。

 見ると、母親は申し訳なさそうに、そして困ったように眉を下げていた。


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