誕生日会(一)

 耕平こうへいは、あかねが来ない待ち合わせ場所に律義に毎日通い続けた。猛暑の中、約束の木陰で茜が来るのを待って、そして諦めて帰る。何日かそうやって過ごすうちにお盆の時期になった。


 耕平の家は,、毎年お盆になると家族そろって母親の実家に一週間ほど泊りがけで遊びに行く。耕平は自分が祖父母の家に行っている間に茜が待ち合わせ場所に来たらどうしようと不安になった。けれど、どうすることもできなかった。


 祖父母の家から帰った翌日、耕平は半ば祈るような気持ちでいた。

 今日こそは茜に会いたい。今日こそはちゃんと待ち合わせ場所に来るかもしれない。もし来るのなら待たせたら申し訳ない。いや、もしかしたら耕平が祖父母の家に行っていた一週間、茜は毎日耕平のことを待っていたかもしれない。


 一週間ぶりに約束の木陰に出向くと、耕平の祈りが通じたのか、そこには茜がいた。珍しく茜は約束の時間よりも早く木陰に来ていた。

 嬉しさのあまり表情を輝かせる耕平とは対照的に、茜の表情はどこか暗い。しかし、耕平を見つけるといつもどおりの表情に戻った。


「耕平! 遅いよッ!」


 約束の時間まではまだ五分ほどある。遅刻をしたわけではないけれど耕平は「ごめん」と謝った。茜は、普段の自分の遅刻を棚に上げて「しょうがないなぁ」と腰に手を当てる。そして、額を濡らす汗を拭った。

 お盆を過ぎても、暑さが和らぐ気配はない。汗だくになった茜を見ると、やはり待たせたことが申し訳なかった。


「うん。まぁ、許してあげよう」


 最初から本気で怒ってなどいない茜は、ぎこちなくほほ笑んだ。少し緊張しているように見えた。


「それで、今日なんだけど……。アタシのお願い聞いてくれる?」


 茜は、もったいつけるようにと言った。

 いつもであれば『アタシのしたいことをしよう』と一方的に宣言するか、『耕平のしたいことはなに?』と尋ねるかのどちらかだ。尋ねても耕平からなにか案が出ることはないため、結局は茜のしたいことをするのだが。この日はどこか様子がおかしかった。


「お願い? 別にいいけど……」


 いつもと違う茜に戸惑いながらも、断る理由も思いつかずに了承する。すると茜はパッと表情を輝かせた。


「ホントッ!? まだなにしてほしいか言ってないのに……いいの?」


「えっ? ぼくが、なにかするの?」


 そうか。『お願い』なのだから何かをさせられることもあるのか、と気が付く。けれど、なにをさせられるのかは想像できなかった。


「大したことじゃないよ」


「それって、ぼくにもできることなの?」


「もちろん! ていうか、耕平にしかできないことだよッ!」


「ぼくにしかできない、こと?」


 そんなことあるだろうかと首をかしげる。


「そッ。今日はね、アタシの誕生日なの」


「えっ? そうなの? えっと……お誕生日おめでとう」


 脈絡のない報告に耕平は反射的に応える。応えてしまってから、耕平にしかできないこととなにか関係があるのだろうかと疑問に思った。


「ありがとう。でね? これから、うちで誕生日パーティをやるんだけど……耕平も来てくれない?」


「茜お姉ちゃんのうちに? 行くのはいいけど……いいの? 家族でお祝いなんでしょ? ぼくが行ったら邪魔じゃない?」


「変なところで遠慮しなくていいのッ! たくさんの人にお祝いしてもらったほうが嬉しいんだから。それに……耕平が来なくたって、最初から家族だけの誕生日パーティなんかじゃないんだよ……」


 途端に、茜の表情が曇る。

 ふと茜がスカートを履いていることに気が付いた。膝より少し上のスカートの裾。そこを茜がギュッと握ったせいでシワが寄っていた。茜がスカートを履いた姿を見るのは初めてだった。いつもは紺色のデニムパンツを履いている。


「だから、ねッ? 耕平が嫌じゃないなら、これからぜひ来てよ。プレゼントなんかいらないからさッ!」


 茜は笑顔で告げたが、その頬には笑窪がなかった。そんな茜になんとなく心から笑っているわけじゃないのではないかと思ったが、うなずくことしかできなかった。


 茜の家は、古い二階建ての木造アパートの一階にあった。

 玄関の前には古ぼけた洗濯機が置いてあり、中には衣類がいっぱいに詰まっている。その中に耕平も見たことがある紺色のデニムパンツが覗いていた。

 その隣には、チェーンの錆びた自転車が一台置いてあった。泥除けのところに桜が丘西中学校と書かれた青いシールが貼ってある。通学用に使われているようだ。茜の口から聞いたことはないが、兄か姉がいるのかもしれない。


「ここがアタシのうち。耕平の家と違って汚いし、狭いけど……」


 と言って茜は自虐的に笑いながら玄関ドアを開ける。中は昼間だというのに薄暗く、耕平のいるところからは中の様子がよく見えなかった。


「どうぞ、入って」


 茜に促されて耕平はゆっくりと玄関に足を踏み入れる。むわっとした空気が耕平の頬を撫でた。

 外ほどではないが、部屋の中は蒸し暑かった。冷房は付いていないらしい。


「茜~? 帰ったの?」


「うん。友達連れてきた」


 応える茜の声はそっけなかった。かといってよそよそしいわけではない。親しいからこそのそっけなさだった。

 最近は耕平もそんな声で母親に応えることがある。母親は時折そんな耕平の態度を残念がった。小さい頃はそんな風に言わなかったのに、と。

 目の前の茜の態度を見て、親近感が湧いた。


「あらそう? 珍しいじゃない」


 部屋の奥の方で僅かに差し込む光に照らされたのは、部屋の雰囲気とはあまり似合わない優しそうな女だった。決して派手ではない、むしろ地味な部類に入るのだろうが、顔にはしっかりと化粧を施していて、髪の毛はしっかりかされている。

 女のことを耕平は明るい声も相まって、綺麗な人だなと思った。

 

「いらっしゃい。茜のお友達? まさか彼氏ってわけじゃないよね?」


「やめてよ。ママ」


 茜は女性をママと呼んだ。

 なるほど。女は茜の母親のようだ。よく見てみると二人はよく似ていた。母親も微かに微笑んだだけで右側にだけ笑窪ができる。

 しかし、よく似てはいるが印象は真逆だった。いかにも活発そうで奔放な茜に対して、茜の母親はどこか気の弱そうな陰のある女性だった。


「え~? うそうそ~。茜ちゃん。まだ小学生なのに彼氏がいるの? よくないなぁ~。よくないよ」


 茜と茜の母親の会話に割り込むようにもう一つ声がする。茜の母親の奥にもう一人だれかがいた。

 声の感じから男であると分かる。ぬっと身を乗り出したのは、耕平の予想どおり男だった。

 男を見て、耕平は思わず「あっ」と声を漏らす。そこにいた男に耕平は見覚えがあった。


「…………うるさい」


 茜は男のほうを見ようともせず、絞り出すように言った。母親に向けられた気安さとは明らかに違う棘のある声だった。


 男のほうはそんな茜の態度を気にした様子もなく、暑そうに袖を捲る。そこには黒々とした刺青がびっしりと彫られていた。

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