探偵ごっこ(二)
「どうしたの?」
「……おかしい」
耕平の問いには応えず、茜は仰々しく親指と人差し指で顎先をつまんだ。
「なにがおかしいの?」
「うん。ホシは何を考えて、ウロウロと街中を彷徨っているんだろうね」
「星……?」
「あの男のことだよ」
「えっと……あの人、星さんっていう名前なの?」
耕平が訊くと芝居がかっていた茜の表情が素に戻る。
「あのねぇ~。そんなわけないでしょ? こういうとき、犯人のことをホシっていうの。知らない?」
耕平は首を横に振る。茜は溜息を吐いて「まぁいいや」と仕切り直す。
「とにかく、あの男の行動はおかしいって言ってるの。耕平もそう思うでしょ?」
本気で言っているのか探偵ごっこの延長なのかが分からない。けれど、茜の目は真剣だった。耕平は、とまどいながらも一応のところ「うん」とうなずいておく。
「そうだよね? 耕平もなかなか助手が板についてきたじゃない」
「ジョシュ?」
「いいから。でさ、あの男。どこに向かってるんだと思う?」
「う~ん……おうちに帰るところ……とか?」
耕平が応えると茜はまたまた溜息を吐いた。今度はやれやれと首も振っている。
「そんなわけないでしょ? それじゃ面白みもないし」
なにがそんなわけないのだろう。耕平は思ったことを言っただけなのに、と口を尖らせたが、たしかに面白くはない。けれど、それならどこに向かっていたら面白いのだろう。
耕平は自分が面白いと思う場所を思い浮かべた。公園。ショッピングモール。おばあちゃんの家。動物園。遊園地。どれもあの刺青の男が向かう場所としては場違いな気がした。
「もう、耕平はやっぱりまだまだだなぁ~。いい? こういう場合は、オンナのところかブツの受け渡し場所って決まってるの」
「ブツって?」
オンナは耕平にも分かった。しかし、ブツというものはピンとこなかった。
オンナと並んでいることからオトコのことなのだろうかとも思ったが、そうすると男だけわざわざブツと言い直す理由が分からない。それに男を受け渡すというのもどうもしっくりこない。
「ブツはブツだよ。ヤバいもの。とにかく、あの男は絶対ヤバい人だから、そういうヤバい場所に向かってるはずなの」
オンナも茜の中ではヤバい部類に入るのだろうか、と耕平は疑問に思ったが、それを口にするとまた呆れられる気がして口にはしなかった。
「おかしい。そろそろ目的の場所に向かうはずなんだけど……。──あっ!」
と、それまで声を潜めたり、隠れたり、警戒していたのが嘘みたいに大きな声を上げる。驚いて茜の視線の先をたどると、男はだれかと話をしているようだった。その相手は茜の言ったとおり、女だった。
「茜お姉ちゃん! 本当だ! オンナだね!」
「──う、うん…」
茜は半ば呆然として、戸惑ったようにうなずく。芝居ではなく本気で驚いているようだった。
「こ、耕平。本番はここからみたい……」
そう言って耕平の手を引く茜の手は、じっとりと汗ばんでいた。けれど、探偵ごっこが佳境に差し掛かったからだろうと耕平はあまり気に留めなかった。
「本番って? どうするの?」
耕平は茜の変化よりも、この先の探偵ごっこのほうが気になった。茜の提案する遊びにハズレはない。きっとまたドキドキワクワクさせてくれるに違いない。
「どうするって……。えっと……追いかけるのッ! いい? ケッテーテキショーコをつかむまでは、終われないよ」
「なんだぁ~。それじゃあ、今までと同じじゃないか」
不満そうに頬を膨らます耕平を無視して、茜はそれまでどおり尾行を継続する。
探偵ごっこは、何も変わらず続行のようだ。耕平は肩透かしを食らいながらも男を追う茜の後を追いかける。
心なしか茜の歩調は速かった。焦っているようにも思える。耕平は気づかれてはいけな対象が男と女の二人に増えたからだろうと思った。
しばらく後を付けると二人が向かっている場所が駅だということが分かった。比較的開けた場所にある駅には、たくさんの人がいて何度も二人を見失いそうになる。
どうにかこうにか尾行することはできていたが、それも改札口までのことだった。二人は当たり前のように改札口を抜けて、駅のホームの方へ行ってしまう。
どう考えても探偵ごっこはそこで終わりだ。しかし、茜は止まることなく改札を抜けようとする。耕平は驚いて茜の黄色いTシャツの裾を引っ張った。
「茜お姉ちゃん! 電車、乗るの?」
「乗るよ。当り前じゃない」
耕平が尋ねると茜は、即答した。
「お金は? あるの?」
「そんなのこっそり適当な大人の後に付いていったらバレないって! ほら、行くよ!」
言われても耕平はすぐに従うことはできなかった。この先は、母親に叱られるでは済まないことだと幼いながらも分かる。いくら茜が一緒だといっても、電車で街を離れることまでは許されないだろう。
「……無理だよ。僕は行けない」
「そう? じゃあまた明日ね。明日もさっきの木のところに一時集合。分かった?」
耕平が付いていくのを断ると茜はあっさりとそれを受け入れた。
そして、明日の約束を告げるとそのまま改札の奥へと消えていった。どこか余裕がなく必死な様子の茜に戸惑いつつも呆然と黄色のTシャツの背中を見送った。
しばらくして、耕平は帰らなきゃと思った。
駅に一人でいることが母親にバレたら叱られる。母親は児童公園で遊んでいると思っているはずだ。少なくとも児童公園の近くまでは帰らなければ。
来た道を戻ろうと振り返ったとき、突然知らない男に声をかけられた。
「ボク、さっきの女の子のお友達? 一緒にいたんだよね? あの子のお名前とかおうちとか分かる?」
「えっ? えっと……」
早口で茜のことを尋ねるこの男は何者だろう。
さっきまで茜と一緒になって尾行していた男に比べたら、見た目の上ではだいぶまともに見える。だが、男の余裕のない様子が耕平にはとても恐ろしいものに思えた。
茜とはどんな関係なのだろう。用があったのなら茜がいるうちに直接声をかければよかったではないか。目の前の男への不信感が湧いてくる。
「……知りません」
しばらく迷って、耕平は嘘を吐いた。バレているかもしれない。けれど、こんなに人が大勢いる中でまさか危害を加えてくるとも思えなかった。
男はじっと耕平の目を見つめた後で「そう」と呟くと、改札の向こうへと消えていった。
耕平は男が去ったあとも人込みから離れるのが怖くて、少しの間その場で立ち尽くしていた。三十分ほどして、ようやく耕平は家に向かって歩き出した。
家に着くまで緊張しっぱなしだった。
家に帰るといつもどおり母親が出迎えてくれた。そこでようやく耕平はほっとすることができた。
茜のことは気になったが、母親の顔を見ていると改札の向こうまでついていかなくてよかったと思えた。
耕平と別れた後のことは、また明日聞けばいい。そう思った。
しかし、翌日から茜は待ち合わせ場所に来なくなってしまった。
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