探偵ごっこ(一)

 次の日、耕平こうへいは約束の時間に遅れまいと余裕をもって家を出た。


 家を出るとき、母親に「どこで遊ぶの?」と訊かれて、「児童公園」と応え、「誰と遊ぶの?」という問いには「みんな」と応えた。「あかねが六年生ともめて出禁になったから児童公園では遊べなくなった」とは、言えなかった。

 嘘を吐くことに罪悪感はあったが、「児童公園ならたくさんお友達がいるものね」と応える母親を見ていると、正直に言う方がかえって母親を心配させるのではないかと思えた。

 

 せっかく余裕をもって家を出たというのに、約束の場所に茜の姿はなかった。場所を間違えたかな。もっと遅い時間だっただろうか。様々な不安が沸いては消えていく。

 しかし、注意深く記憶を辿れば時間も場所も間違ってはいない。


 となると、茜の方が時間か場所を間違えているのだろうか。待ち合わせにしようと言い出したのは茜だったし、場所と時間を指定したのも茜だ。自分で言い出しておきながら間違えたのだろうか。まさか、忘れているわけではないよな。もしそうなのだとしたら、少しだけ腹立たしい。


 初めに感じていた不安が徐々に怒りに変わり始めたころ、ようやく茜が現れた。相変わらず紺色のデニムパンツにラフなTシャツ姿だった。

 前日と違うところといえば、Tシャツの色が淡い黄色なところと帽子をかぶっていないところだ。長い黒髪を後ろで一つに結んでいる。


「──あ、耕平。やっほ!」


 茜は耕平を見つけるなり、いつもどおりの挨拶をする。耕平は、少しも悪びれない茜にムッとして茜の挨拶を無視した。


「──ん? どうしたの? なんか機嫌悪い? ママに怒られた?」


 茜は自分に原因があるとは露ほども思っていないらしい。それがまた耕平には腹立たしかった。


「なになに? 男の子が拗ねて、かっこ悪いよ?」


「だって……」


 かっこ悪いと言われたのが嫌だった耕平は思わず口を開いてしまう。


「ほら、機嫌直しなよ。耕平のしたいことして遊んであげるからさ」


 自分から集合時間を指定したくせに大幅に遅刻してきた茜を完全に許せはしないが、ここで折れておかなければきっと自分の感情を自分でもどうしようもできなくなってしまう。そうなったら、結局損をするのは耕平だ。怒りをグッとこらえてうなずく。


「よしっ! いい子。じゃあ今日はなにして遊ぶ? なにがしたい?」


 訊かれたものの、すぐには応えが浮かばなかった。

 かなりの時間黙っていると茜が業を煮やしたように言った。


「ないなら今日もアタシがしたいことしよう。いい?」


「……うん。いいよ。何をするの」


 実のところ、耕平は茜の提案を待っていた。茜が提案する遊びは耕平の予想しないものばかりで、そしてそのどれもが楽しかった。


「う〜んと……どうしようかなぁ〜」


 耕平の了承を得ると、茜はそこで初めて何をするか考え始めたようだった。キョロキョロと辺りを見回して、何か面白いものはないか探している。


 耕平も釣られて辺りを見回す。

 すると、道を挟んだ向こう側を真夏なのに真っ黒な長袖長ズボンという格好で、肩を丸めて歩く男が通り過ぎるのが見えた。その瞬間、茜が「分かった」と吐息まじりの小声で言った。大げさに声を潜めたのは、どうやら男に聞こえないように配慮しているかららしい。


「あの人がどこに行くのか。それを調査しよう」


 どう見ても思い付きでしかない茜の提案を、耕平はそれの何が楽しいんだろうと思った。それに男の風貌は明らかにおかしい。少し怖い。

 けれど、今まで茜の提案にはなかった。だから、耕平は茜に倣って男に気づかれないよう黙ってうなずいた。


 背中を丸めた男は、真っ黒な長袖Tシャツの背中を汗でじっとりと染めながら、ゆっくりと前だけを見て歩き続けていた。それを耕平は茜と一緒に道を挟んで追いかける。


「耕平! あんまりジロジロ見たらダメだよ。気づかれちゃう」


 これはごっこ遊びなのだ。茜は名言こそしなかったが、尾行を始めてからの振る舞いが警察官あるいは探偵のそれだった。


「気づかれないように、こっち側にいたほうがいいよね?」


「何言ってるの。向こうの路地に入られちゃったら見失っちゃうでしょ?」


 耕平は変に近づきすぎて男に気づかれるのが怖かった。このまま道を隔てて追いかけるほうがいいと思ったのだが、茜は車の往来を確認するとサッと向こう側へと渡って行ってしまう。

 耕平は慌ててその後を追った。信号も横断歩道もないところを渡っている姿を母親に見られたら、きっときつく叱られるだろうな、と思ったが今は茜に置いて行かれるわけにはいかない。


「耕平! ちゃんと隠れて。あの人がいつ振り向くか分からないんだよ?」


「う、うん。ごめん……」


 耕平は茜に倣って電信柱の陰に隠れる。


 男は一度も振り返ることなく、だんだん人気のない方へと歩いていった。

 歩くうちに暑くなったのか、ふいに上着の袖を乱雑に捲った。見えた腕が青黒い。よくよく目を凝らしてみると、男の腕にはなにやら絵とも柄ともつかないものがびっしりと書き込まれている。刺青だった。

 男は腕にびっしりと刻まれた刺青を隠すために、このうだるような暑さのなか長袖を着ているらしい。


 茜は尾行しながら、たまに「あいつなんでこんなところに?」などと呟いては、両手の指で四角形を作って写真を撮る振りをした。

 耕平は自分の役割がイマイチ分からなかったが、ワクワクしていた。と、同時にドキドキもしていた。大人の後を黙って付けることに何とも言えない背徳感があった。お母さんが知ったらきっと怒るだろうとは思ったが、やめようという気にはならなかった。


「ちょっと待ってッ!」


 ボーっと後を付いて歩いていると突然、茜が通せんぼをした。思わず茜の体にぶつかりそうになる。

 見上げた茜の表情は真剣そのものだった。

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