児童公園(四)

 無色になった公園で、肩を怒らせたあかねの周りだけが赤く染まっている。耕平こうへいの目にはそんな風に見えた。


「まだ話は終わってないって言ってんのッ!」


「おい、お前。誰に口聞いてるか分かってるんだよな?」


 ゆっくりと振り返ったあきらの眉は、異様なほど吊り上がっていた。ふー、ふー、と荒い息を吐きながら茜に近づいていく。

 茜は腰に手を当てながら、向かってくる陽を睨みつけていた。


「あんた馬鹿なの? あんた以外にいないでしょ」


 決して挑発しているわけではないのだろうが、結果的に茜の言葉が陽の怒りに火をつける。

 あっ、と思った時には、茜のピンク色のTシャツの首元が陽の手によってねじり上げられていた。身体が宙に浮いてしまうのではないかというほど強烈にねじり上げられているにも関わらず、茜に動揺した様子はなかった。腰に手を当てたまま、背中を少し反らして強い眼差しを陽に向けている。


「お前。今なんつった? もう一回言ってみろ。だれが? 馬鹿だって?」


 返答によっては大変なことになる。だれもが分かっていたことだが、だれも言葉を発することができなかった。


 児童公園には独自のヒエラルキーがあった。その頂点にいるのが陽だ。

 陽が恐ろしいということもあったのだろうが、陽を頂点とするヒエラルキーに浸かり切った子供たちには、陽を静止するというアイデア自体が存在していなかった。


 耕平は、茜のことを心配しつつ、そんな周りの子たちの様子を不思議に思って見ていた。

 たしかに陽は怖い。けれど、間違っているのはどう考えても陽の方だ。この日が初対面である陽に対して、茜とは友達と呼べるような関係にあったから、多少贔屓目に見てしまうのは事実だが、それを差し引いても茜の言っていることは正しいように思えた。


 この日初めて児童公園を訪れた耕平は、当然だがヒエラルキーの外側にいた。


「あんたが、馬鹿だって言ってんの」


 今度は明確な意志のもと、挑発するために発せられた言葉だった。

 茜もそれを口にすればどうなるかは分かっていた。けれど、自分へと向けられた敵意に怯えて、すごすごと背を向けて逃げるような茜ではなかった。


「このやろうっ!!」


 茜の言葉が予想どおりだったのか、聞くやいなや、陽が拳を振り上げる。


 振り上げられた拳を見て、耕平の体は反射的に動いていた。さっきの茜と同じような体制で陽に突っ込んでいく。

 耕平の肩から首にかけて鈍い衝撃が走った。「痛っ!」と思った次の瞬間、耕平は尻もちをついていた。眩しい光に思わず目を細める。チカチカと目の前に火花が散った。手には砂利の感触がある。


「──耕平?」


 すぐそばにいるはずの茜の声が遠く感じられた。音が消えてしまったように錯覚したが、チカチカする頭を抑えて軽く振ると視界とともに音も戻った。蝉の声がひどくうるさいことに今更なら気がつく。


「何やってんのよ」


 茜の心配そうな声が、今度はすぐ近くで聞こえた。


「茜お姉ちゃん。大丈夫?」


 耕平は咄嗟に尋ねていた。

 茜に向けられていた陽の拳は茜を捉えはしなかっただろうか。茜を傷つけはしなかっただろうか。そう思うと心配でたまらなかった。


「だ、大丈夫……だけど……。あんたの方こそ、大丈夫なの? ホント、何してるのよ」


 耕平は困惑気味な茜の言葉を無視して、すぐに陽を探す。

 陽の手は既に茜の胸元から離れ、拳も降ろされていた。耕平はそれを見てようやく安堵することができた。

 尻もちをついたままの耕平を見下ろす陽の眉はもう吊り上がっていなかった。茜と同様、困惑したように歪んでいる。


「お前。なんなの?」


 陽の声は何か得体の知れないものを見ているかのように言い捨てる。気持ちの悪いものでも見ているかのようにどんどんと眉が寄せられていく。


「冷めちまったよ。ドッチボールはやめだ。違うのにしよう」


 陽がそう宣言すると、ようやく凍りついていた空気が溶ける。その場の子供たちがホッと息を吐く。


「おい、行くぞ」


 陽は『雑魚』と切って捨てた小さな子たちにも声をかける。声をかけられた子たちはおどおどとその声に従った。


「──茜。お前、この公園出禁な」


 最後に陽が告げる。だれからも抗議の声は上がらなかった。茜が庇った子たちも、それ以外の子たちも。誰一人なにも言わなかった。


「なんでだよっ! 公園はのものだろっ!?」


 耕平は思わず叫んでいた。

 理不尽だと思った。不義理だと思った。陽のことももちろん許せなかったが、なにより『雑魚』と呼ばれた子たちの態度が許せなかった。自分のために戦ってくれた茜に対する態度を思うと、叫ばずにはいられなかった。


 陽は耕平の声を無視して、亮太と肩を組んでさっさと遊びの相談を始める。その他の子たちもそれを囲むようにして耕平の叫びを無視した。


「耕平。いいよ。アタシたちは二人で遊ぼう」


 納得いかない耕平とは対照的に、茜はあっさりと公園を立ち去ろうとする。


「でも……」


「いいから。それと、ありがとねッ」


 耕平は、児童公園に行きたいと言った自分の提案を激しく後悔していた。こんなことになるなら、最初から茜と二人で遊んでいればよかった。茜の思い付きで決まる遊びにはなかった。

 一方で耕平が提案した児童公園はとんだハズレだった。

 

 それ以来、耕平と茜がそろって児童公園にやって来ることはなかった。

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