第3話 モンスターペアレント

腹にまだ十分な余熱を抱えたまま改めてクラス準備に入り、そして入学式を迎えた。

 問題児と保護者を抱えたクラスゆえに、初日から何かトラブルがと勃発するかと気が気でなかったが、該当生徒以外はおとなしい子ばかり取り揃えていたので、給食の時間すらも誰一人しゃべらないという有様だった。問題児も面白くないのか、何もアクションを起こそうとはしなかった。

 ところが六月に入って、その問題児童が登校して来なくなった。最初は腹痛と言うことで連絡があったが、そのうち母親からの連絡も途絶えるようになっていった。そして六月下旬、彼の父親から“うちの子がクラスでいじめられている、と言っている、学校に行きたがらない、どうにかせいや!”という電話が校長宛に入り、私は生徒指導主任の森下と一緒に家庭訪問をする羽目になった。

 私は、おとなしすぎるクラスの様子や、クラスの中での彼の様子など事細かに父親に説明し、

「まだ中学校生活も始まったばかりですし、真新しいことばかりで戸惑うこともあると思いますが、そのうち慣れていくこともあるかと思いますので、私も全力でサポートしますから、まずは学校に送り出していただけるよう、ご両親の方からもお声がけをお願いいたします。」

と深く頭を下げた。すると、

「誠意を見せろや。」

父親はあぐらの体勢を崩さず、私と森下の顔をにらみつけてきた。

「うちの大事な子を預けとるんや。誠意を見せてもらおうや。」

・・・これが小学校からの申し送り事項にあった、保護者対応に気をつけろ、という話か。


 私は三組担任に決まった日、校長室から出たその足で、問題児童の通っていた桜町小学校に向かい、六年次の担任の先生と面談していた。

「あなたがやることになったんですか。あらぁ、気の毒な。かわいそうに・・・・・・。ともかく彼のお父さんの対応には気をつけてくださいね。普通じゃないですからね。子どもが学校で面白くないことがあると、すぐに学校に電話をよこしてきて、家に呼びつけて、”誠意を見せろや!“と来る。刃向かっちゃ行けません。堅気じゃない人だからね。命が惜しかったら、従うしかない。」

「先生はどうやって誠意を見せたのですか?」

「僕??」

まだ四十代前半と思われる男性教諭は汗を拭きながら、下を向いた。

「どうしたらいいか、聞いたんですよ。向こうに。そしたら家のガードマンをしろ!って言われましてね。子どもの命を守るために、体張ってガードマンをしろ!ですよ。おっかしいでしょ。ガードマンですよ。まぁそれで命が助かるならねぇ。僕、一週間ぐらいやりましたわ。向こうがそれで許してくれましてね。後で聞いたら、セコムの装置が壊れていたから、それでやらせただけらしいんですよ。教員をなんだと思っているんですかねぇ。」

 さて、私は何をやれ!と言われるのか。前任と同じガードマンか?それとも女子担任だから、裸踊りでも強要されるのか。

「誠意をですか。」

恐怖と緊張から私は、昔、一世風靡したAIBOのような首の動きになっていたと、隣で見ていた森下から後で突っ込まれた。

「ほうや、誠意や。あんた担任やろ。うちの子が学校に行きたくないって訴えいるんや。それなら私が毎日、車で送り迎えします!くらい言えま!」

ガードマンや裸踊りでなくて良かった、と一瞬過ぎったものの、いつまですればいいのか期間が分からない。

 とりあえずその場は、森下が助け船を出してくれて、一旦その要望を持ち帰り、管理職確認を取らせてほしいと一緒に頭を下げて、学校に戻ることができた。

 戻ってきてから校長室で、三人の管理職にことの顛末を報告し、指示を仰いだ。

「森川さん、あんた五年者研修にかまけて、クラスの中をよく見とらんかったんやろ。だからそんな無茶苦茶な要求をされるんや。」

水内は容赦なく私の柔らかい頬を、遠慮のない言葉で打ち打擲してきた。森下は私を庇うような発言をしてくれたが、効果は見受けられなかった。

「指導力が足りんげん。だから生徒からも親からも嘗められる。だからそんなしょうもない要求を突きつけられるんや。あんた前任校では生徒指導部におったらしいけど、あっちの学校の生徒指導力じゃ通用せんがんや。生徒の質、保護者の質が全く違うんや。生徒指導におったってだけで、ちょっと天狗になっていたんじゃないのか。はっきり言うておくぞ。お前は通用せん。こっちに来たら、人よりも意識して教育に対して勉強せんといかんのや。教員としての意識が足らん。全く足らん。自分に対する戒めやと思って、送り迎えの要求を飲めや。」

「つーか、無茶苦茶です。森川先生は教員であって運転手じゃなりません。こういうときは管理職が入って、担任を庇うもんでしょう。」

「あほ言え!こいつの担任としての意識の低さが招いたことや。何でいちいちうちらが入らんといかんのや。」

森下のフォローは水内の口撃によって、どこか遠くに飛ばされてしまった。

黙って聞いていた校長は、唇に薄情な笑みを浮かべたまま、感情のない目つきで、こう言ってのけた。

「以前の六年次の担任の先生は、ガードマンをさせられたとしても一週間で、解放されたんでしょ。今回も長引かんわいね。まぁ、一年次の担任対応は、とても大事だからねぇ。すぐに終わるだろうから、やりますって言ったら?」

 こいつらと話していても埒があかないと悟った私は、一礼して校長室を後にした。後ろから森下も黙ってついてきた。

「なんちゅー管理職や。あんな連中初めてや。人でなしや!」

森下も私と同じ今年から、この中学校に赴任した職員同士だった。私のことを庇えなかったのがとても悔しかったのか、いつまでも管理職の非情さを学年職員に訴えていた。

 私はというと、もうどうでもよくなっていた。送り迎え云々よりも、あの管理職たちとこれ以上向き合っていたくなかった。特に水内と。

明らかに水内の発言には異心を感じる。水内の声を聞くだけで、髪の毛を強く引っ張られ、後頭部を黒板に打ち付けられる感触をリアルに思い出してしまう。私の中に、水内に対するトラウマ以上の何かが確実にあった。

 私は次の日から、問題児の送り迎えを開始した。幸い、通勤の通り道だったので、そんなに苦痛ではなかった。そして始まって一ヶ月後、夏休みに突入した。

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