彩佳6

 中央コンピューター室。

 それは、前区長の仕事場と同じ階にあると徳富が話していた。実際に前区長の仕事場には立ち入ったことがあるのだけれど、それ故に徳富刑事の説明に真実味を感じなかった。あの階には、会議室ばかりだったんじゃないか。

 エレベーターを降りると、すぐに理解した。会議室なんていうのは偽りだった。

 前区長の仕事場、その隣の部屋だった。扉一枚を隔てた先に、巨大なコンピューターが安置されている、その重要な部屋が存在していた。

 二階分の高さを誇るその部屋の中には、天井までそびえ立った中央コンピューターが、大木みたいに立っている。周りには冷却ファンとサーバーがいくつも備えられていた。

 肌寒い。冬だからというだけではない。このコンピューターをずっと稼働させ続けないといけない理由から、排熱に気を使っているせいだった。クーラーも回っている。冷蔵庫とまでは行かないが、あまり長居すると、風邪を引きそうだった。

 中央コンピューターは、写真で見るよりも、ずっと荘厳だった。

 意志を持っているのか、

 後光が差しているのか、

 ここに神が宿っているのか、

 それら全部が人間の幻想なのか、わからなかった。

 岡芹は、中央コンピューターの前で、作業をしていた。

 自らの腕、肘から先を取り外して。

 セナはその近くで、腕を広げて立っていた。そうするように言われていたのだろう。

「待ちなさい」

 茅島さんが、犯人に告げる。反響する箇所が多くて、声が響いた。

「お前たち……」岡芹はようやく、私達に気づいた。「嫌に早いな……隣の窓でも割って来たのか? この場所は、知っていたのか?」

「ええ。常識よ。知らないのは、あんただけ」

「もう遅い。何をしに来た。お前たち二人で、警察が来るまでの時間を稼ごうっていうのか?」

 彼は立ち上がる。左腕は機械が露出していた。人工皮膜は剥がされていた。右手に持った銃を、私達に向けた。

「もう過激派の暴動は、大方鎮圧してるわ」茅島さんは、腕を組んだまま言う。「警察が登ってくるのも、時間の問題。区長の権限を得たって、あんたは取り押さえられる」

「区長に逮捕権は通用しない。違法だ。俺を取り押さえれば、警察が解体になるだろう。中央コンピューターがそう判断する。法律で、決まっていることだ」

「区長になったとして、あんたを、誰が慕うっていうの? その先に、なにがあるの?」

「こう見えて、人員を集めるのは得意なんだ。この区は独立する。ここはスラムの連中と、他の区で募った機械化能力者で守りを固める。あとは安泰だ。俺は粛々と、そいつらの不満が出ないように、金銭を回していけばいい」

「海把区にも、その同志が?」

「ああ……いたが、お前らと同じ施設の調査員とかいう奴らに、叩きのめされたよ」

 あの時の……

「ああ、悪いんだけど、それ、私達なのよね」

「……急に腹が立ってきたよ」岡芹が舌打ちをする。「だが、更新計画が通ってしまえば、こっちのものだ。上層も下層も全部潰す」

「前の区長は、それを望んだっていうの?」

「あいつは、上層しか気にしていないさ、どうせ。上層だけを残そうって、考えていたに違いない」

「そんな無茶な改革があるとは思えない。前の区長は、全員を活かす方向で考えていたのよ。あなたは、間違った引き継ぎをしている」

「理想を押し付けるな」

 発砲。弾は、私達の頭上の方に消えた。

「前の区長のことなど知らん。説明もされていない。あいつがいる限りは、俺達に未来はなかった。だから、殺したんだよ、事故に見せかけて……」

「……あなたたちが、前の区長を殺したっていうの?」

「ああ。正義感にかまけた過激派を集めれば、簡単だった。舘田は、区長としてはかなり異端だったから、狙いやすかった。馬鹿だよあいつは」

 こいつが、

 全ての元凶。

「止めようとしても無駄だ」犯人はセナの顔に銃を向ける。「スラムの人間の未来は、俺の双肩にのしかかっている。スラムが虐げられてきた、俺が虐げられてきた、恨み、憎しみ、怨念、怨恨、怨嗟、全部が解消されるんだ。黙っていろ。お前たちは、外の人間だろう」

「だけどあなた、もう終わりよ」

「黙れ! 消えろ! こいつを、殺すぞ!」

 セナのこめかみに銃口。

 涙を流すセナ。

 痛々しい光景だった。

「彼女を開放して」茅島さんが言う。「あなたにはもう、未来がない」

「お前、立場をわかってるのかよ! 消えろって、言っているだろう! 後もう少しなんだ! 邪魔をするんじゃない!」

 セナは、ついに声を上げる。

「助けて! 死にたくない! 助けてよ! 彩佳さん! 茅島さん!」

「セナちゃん!」

 私はそう叫んだが、

 ――ここまですれば、犯人は私達から目を離せなくなる。

 コンピューターの背後だった。

 その影から、物音を立てないで現れたのは、

 久喜宮刑事。

 彼は無言で、

 犯人の背中に向かって、引き金を引く。

 発砲音。

 辺りが一瞬、明るくなった。

 犯人は、何が起こったのかわからない表情を浮かべながら、

 倒れていく。

「セナちゃん走れ!」久喜宮が言う。

 セナは、私の方に飛び込んできた。

 受け止めた。

 血を流して、犯人は倒れ込んでいたが、

 必死で身体を起こして、

 茅島さんに向き直る。

 銃は、取りこぼしていた。

「お前………………お前ら! 殺す! ふざけやがって! もう少しだって! もう少しで救われるんだって! なんでわからない! 関係ないだろうお前たちは! お前たちに、俺達の悲しみがわかるか! 邪魔するなよ!」

 茅島さんは一歩、前に出る。

「わからないわ」

「じゃあ出てくるなよ!」

 犯人は、右腕を振りかぶる。

「でも、気に入らないの」

 茅島さんは飛び込んでくる犯人の顔を、

 右足で蹴り倒した。

「…………痛ったいわね……」

 茅島さんは、右足を押さえて、うずくまった。

 犯人は、倒れ込んだまま、動かなくなった。

 セナは私の胸で泣いていた。

 その声だけが、響いている。

「いいのか?」久喜宮はくるくると銃を回して、懐に仕舞う。「美味しいところを貰っちゃったみたいだが」

 茅島さんは呆れて笑う。

「他人を背後から躊躇なく撃てる不良刑事なんて、私は久喜宮さんしか知りませんけど」

「はは…………上にどうやって報告するか、あんたらも考えてくれよ」

 茅島さんは私を見る。

「彩佳が久喜宮さんのこと呼んでくれなきゃ、この人なんて選択肢にもなかったから、彩佳が考えてあげなさいよ」

「……じゃあ正直に、非番なのに拳銃持ち歩いて、勝手に容疑者に発砲しましたって、報告するのがいいと思いますけど」

「それじゃあ仕事を失っちまうよ」

 茅島さんは、廊下に出て窓を開けた。

 中央コンピューター室より、真冬の外の空気のほうが温かいくらいだった。

「……外も、終わったみたいね。静かになってる」

 ふわりと風に揺れる彼女の髪の毛を、

 セナの泣き声を、

 久喜宮が電話をする声を、

 意識に入れながら私はそっと、ため息を吐いた。

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