彩佳3
意味がわからなかった。
私達が岡芹と呼んでいた男を、茅島さんたちは矢畑と呼んでいた。
茅島さんと精密女だけではない。孟徳も、彼の姉らしき馬郡の女も、矢畑という名前を口にしていた。
聞き間違えたのだろうか。私が、名前を勘違いしていたのだろうか。不安になっていたが、セナも敏弘も同じ様子だった。
岡芹、いや矢畑……
彼は、怯えたような表情を浮かべて、反論する。
「どういうことですか。私は、岡芹です。そんな、順吉さんを殺すだなんて、出来ませんよ。私は、使用人ですよ。彼にお使えするのが仕事なんです」
「でも」茅島さんは態度を崩さないで、彼を睨んだ。「状況がそう言ってる」
「私が機械化能力者だって言う証拠は有るんですか?」
「そうね」茅島さんは一瞬だけ考え込んで、告げた。「雨漏りで壊れそうになっていた発電機を修理していた。あれは自分の機能を用いたもの。あと同じ方法でセナちゃんの端末を修理した」
「そんな、それだけで……」
「発電機を修理していたのは、館の仕組みが動かないと困るから。あれだけ大規模な仕組みだから、きっとそれ専用の発電機だったのよね?」
「知りませんよ! 私が犯人だって言う証拠を出してくださいよ!」
「もう既に説明した。あの時間帯に家にいたのはあなたしかいない。外から人が入ってくれば、あなただって、順吉さんだってわかるでしょう? 死体を発見したのもあなた。早く権力者が殺されたって言う話を広めて欲しかった、と言うのが理由。そうすれば、スラムの同郷が行動し始めるから。あなたはおそらく、スラム街出身の、頭のおかしい連中のひとりよ」
矢畑だか岡芹だか、彼は沈黙した。
「区長襲撃と殺害、そして孟徳襲撃はあなたじゃない。きっとあなたと同じ考えの仲間がやったのよ。あなたから指示があったのかはわからないけど、これだけややこしい仕組みを使って殺人を行ったあなたが、すぐにバレるリスクを負ってまで区長を襲ったりするとは思えない。あなたは、こうなることを見越して、焚き付けたのよ」
沈黙。
「あなたがどうして、家の人も知らなかったこの館の仕組みを知っているのかは、私にはわからないわ。けど、あなたがこの家のシステムを利用して殺人を行ったのは、間違いない」
沈黙。
「精密」
「はい」
「両腕が機械だと思う。へし折って」
「はい」動く精密女。
「待て!」
ついに、犯人が口を開く。
警官ふたりも、腰に下げている拳銃に、手をかけて様子をうかがう。
岡芹は、前髪をかきあげる。
「…………もう、隠すのは無理か」
「観念した?」
「もう少し、時間を稼げるとは思ったがな……」
岡芹は、視線を上げて茅島さんを見据えた。
私の知っている使用人の姿は、もうそこにはなかった。卵の中身がこぼれ落ちたみたいだった。
「あなた、本名は?」
「もう忘れたよ。岡芹と矢畑を演じるうちに、戻る必要がなくなった」
誰だ。貴様は一体誰なんだと、指を向けて叫びたくなった。
この名前も知らない人間に、自分の鬱憤を全てぶつけたくなった。
岡芹は、諦めたように呟く。
「もう、隠れる意味も、何も無くなってしまったな。バレちまったよ」
「矢畑と岡芹……」茅島さんはその男に告げる。「この館の仕組みがわかってから、その二人が引っかかったわ。自由に行動できる使用人が、片方だけでは駄目だって。もう片方の館に、自由に出入りするには、お互いが協力関係に有るか、お互いが同じ人物かのどちらかじゃないといけないし、それを判断できる材料は私にはなかった。さっきここに、槇石に混じってあなたが何食わぬ顔で立ってたから、それでようやく理解した。この二人は、同一人物なんだって。もう、ここに集まるように言われてから、隠すつもりもなかったみたいだけど」
「疲れたよ、二人の人間を演じるのは」
岡芹がひらひらと手を広げる。その様子を、孟徳、そしてセナちゃんは、気味が悪そうに見ている。
「ロクに眠ってもいなかった。眠る暇を作ると、そこからあんたのような人間に看破される気がした。それ以上に、家事はフリーフォールとレディファンタジーの両方でやらなければならなかったから、この二人を演じるという最大の問題は、睡眠時間だった。人間は、眠らなければ頭をおかしくしてしまうから」
「……仮眠ポッドね」茅島ふくみが指摘する。「孟徳の部屋にあった、仮眠ポッド。あれを使ったのか、もしくはもう一つ自分の部屋に設置してあったか」
「正解は後者だ。俺も仮眠ポッドを持っている」岡芹は、両腕を挙げていた。降参しているのだろうか。「この二人を演じようと思ったのは、初めから、今回の転覆計画に必要だと思ったからさ。上層と下層を取り仕切ってる資産家二人を殺したいが、その方法は中へ潜り込むしか無かった。こいつらは馬鹿みたいな出不精で、単なる挨拶を交わすことも、外部の人間には厳しかった。だが、俺は知っていた。この館の秘密をな」
「それは、どうして?」
「建築家が、俺の父親だったからだよ」
……。
「親父はスラム出身だったことを理由に、後に迫害されたが、館を設計した時点では身分を隠していた。バカみたいな優遇だったって、そのときは語っていたよ。なのに、スラム出身だとバレた瞬間に、追放さ。抜け駆けしたという理由で、スラム街からも爪弾きにされた。その復讐という意味合いも、俺には有るんだろう」
にやにやと、
何がおかしいのか、岡芹は笑っていた。
冷たい風が吹く。凍えると言うほどでもない。しかしながら、なんで真冬に外で、こんな立ち話をしているのか、私は急にそれが滑稽に写った。
「……雇ってもらった恩義はなかったの?」
「無い」
「セナちゃんとは……」美雪が、横から口を挟む。「セナちゃんとは、仲良かったんでしょ、セナちゃん、慕ってたんでしょ? 途中で、考え直さなかったの?」
「演技に決まってるだろう」岡芹が、鼻で笑う。「考え直す理由がない。転覆計画を遂行させる以上の快感が、もう俺にはない。他に目的なんて無い。考え直すなんて、そんな生ぬるい温室育ちの思想なんて、俺は初めから持ち合わせていないね。復讐が悪いだとかいうカビの生えた説教に、興味なんかない」
その言葉を聞いて、何も口にはしなかったが、セナが表情を暗くする。
「じゃあ!」孟徳が声を上げる。「俺にゲームを教えて……楽しかっただろう! あれも、嘘なのか!? 音楽も……盛り上がっただろう! あれも! あれも! 全部!」
「嘘に決まってるだろう。金持ちのバカ息子の遊びに、付き合ってやってるに過ぎない」
「てめえ!」
孟徳が殴りかかろうとすると、茅島さんが止める。
「待て!」
後ろにいた警官のうちの一人が、銃を向けながら叫んだ。
「もう終わりだ。無駄な抵抗は、考えないほうが良い」
岡芹は銃を見つめる。
「たった二人と、そんな拳銃で、機械化能力者を止められると思ってるのか?」
「……可能だ。そのための訓練を受けている」
セナや、敏弘が、岡芹から距離を取る。私もそうした。
精密女を前にして、茅島さん、そして美雪がその後ろにつく。
「それだけじゃありませんよ」精密女が腕を持ち上げる。「私もいます」
「おとなしく、投降しろ」警官。「門の外にも、応援を呼んである」
岡芹は、
場違いなため息を吐く。
「嫌だね」
岡芹は、
突然に身体を翻して、
精密女の方に突っ込む。
バカだ。
彼女の機能を知らないのか。
精密女は腕を回して岡芹を殴り倒そうとするが、
岡芹は地面に転がって、彼女をすり抜ける。
初めから、
精密女なんて相手にするほど知能のない人間じゃない。
「クソ!」精密。
「止まれ!」
拳銃が発砲される。
その弾を、
立ち上がった岡芹が、両腕で振り落とす。
彼はまっすぐに、私達の方に向かう。
どうする?
なにを、
「セナ!」
叫んで敏弘が、セナの前に出たが、岡芹は両腕で彼を突き飛ばして、
後ろにいたセナの腕を掴んで、すぐさま門に駆ける。
逃げた。
けれど、門の外にも警察が集まっているはずだ。
「あ!」美雪。「待て! ふくみ! セナちゃんが!」
「無駄よ!」茅島さんが叫ぶ。「何考えてるの!」
「嫌! 彩佳さん!」セナの声。
「パーツは、お前が持ってるな!」岡芹が、セナを羽交い締めにして、門に向かいながら言う。「騒ぐなよ、ガキを殺す」
警察が来るはずなのに、
何故か外が騒がしい。
まさか。
「あんた」茅島さんが、岡芹に向かって歩む。「……なにやったの?」
「スラムの住民に、ここへ押しかけるように情報を流した。警察は上層の犬だから戦え、とな。敵は焦っている、もうすこしで我々の勝利だ、とまで言えば、正義感に駆られた奴らが、喜んで警察に突っ込んでいくさ」
警察を、封じられた。
自由なのは、ここにいる二人の警官だけ。
「お前たちは、おとなしくしてろ」
「待て!」
岡芹は、セナを連れて門に向かう。
入れ違いに、スラムの住人と、それを止める警察官が押し入ってくる。
騒ぎ。
戦争というほどでもないが、この争いは、命の危険すら感じる。
罵倒と、暴力と、血潮。殺意とくだらない正義感の力比べだった。
迫ってきている。
もう岡芹は見えない。外へ消えた。
上層も下層を嫌っているスラム人が、槇石と馬郡の人間が集まっているのを見ると、必ず危害を加える。
危ない、このままじゃ……
「ふくみさん! 彩佳さん!」
大声で言う精密女。
「奴は、岡芹だか矢畑だかは、きっと区役所に向かいました。おそらく、パーツを使って自分が区長の権限を取得して、スラム街に都合が良いように、更新計画を再開させるつもりでしょう。用済みになれば、セナちゃんは殺されます」
「……私のせいよ」茅島さんは頭を抱える。「油断した……仲間を、連れてくるような人間には、見えなかった」
「気に病む必要はありません。私も見えませんでした。そこまで、向こうが想定させたんでしょう」精密女はスラムの連中に向き直った。「ここは、武闘派の私の出番です。美雪さんと、警察のお二人は、馬郡と槇石の人を、館の中へ連れて行って、それから私の腕の調整をお願いします。無茶をやりますから」
「う、うん……」美雪は頷く。
「……任せて良いのか?」警官が訊く。「あんたも民間人だろう」
「この両腕が飾りに見えます? プロですよ、プロ」
美雪が尋ねる。
「他にはなにかない?」
「じゃあ、私の、例のあれが入ったバッグを持ってきて下さい」
「わかった」
美雪と警官ふたりは言われた通りにする。その背中を見送る。
「ふくみさん、彩佳さん。お二人は、犯人の追跡を」精密女は、私達に告げる。「私たちがここを離れると、資産家のみなさんが危険です。警察だけでは、保つとは思えませんので。あなたたちしか、自由に動ける人はいませんが、戦闘力はありませんから対峙はしないように。現場の、警察の人間と連携して追い詰めて下さい」
「…………わかった」茅島さんは頷く。「タクシーで向かうわ」
「ええ。お願いします。庭の、向こうの角に足場があるので、そこから塀を乗り越えれば安全に道路に出られると思います」
「ええ」
ちらりと私を一瞥して、茅島さんはそれから走った。
その意味。
――ここにいろ。
そうとしか思えない。
だって、私はこういうときに、なんの役にも立たない一般人だから。
でも、そういう扱いが、私の気に障る。
「彩佳さん」
精密女は茅島さんを見送りながら、私に声をかける。
「ふくみさんには、あなたが必要です」
「…………」
「あの人は、あなたを、大切に思いすぎているだけなんです」
「…………そんなこと」
「美雪が戻ってきたら、あなたも彼女の後を追って下さい。良いものを渡してあげます」
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