彩佳2 15日 18時55分
結局、私は茅島さんと一言だって口を利かないで、レディファンタジー館を後にした。天井に空いている穴を通るのには、地上から長い梯子を慎重に使った。美雪もセナも身軽なのかすいすいと登っていったが、私はかなり苦労した。このまま手が滑って死んでしまうなら、別にそれだって構わなかった。
どういう仕組みなのかわからないが、登りきるとそこは元いたフリーフォール館だった。
ゆっくりするまもなく家人を説得したのは、私はもちろん美雪でもなくセナちゃんだった。その材料に、茅島さんから受け取ったパーツを用いた、と言った。彼女の父も使用人岡芹も、例のパーツを前にすれば、断る理由などなかったのだろう。私が思うよりも、すんなりと話はまとまった。
すっかり館に身体が馴染んでしまったのか、こんな時間に館の外に立っていることに対して、大きな罪悪を覚えた。槇石家の彼らは、私達よりも、ずっと落ち着きなく、何度も何度も時計を眺めていた。
法に触れると言う話は、本当なのだろうか。罪になろうが、状況はそれどころではない。
夜のフリーフォール館を外から見上げるなんて、ここに来てから初めてのことだった。もう真っ暗になってしまっている辺りを、申し訳程度のライトが照らしていて、浮かび上がるのはやはり、その異常に半円形の外観だった。
茅島さんは、本当に真相がわかったというのか。この地下が、レディファンタジーに繋がっている理由が。
黙っていれば、全部解決する。私なんかいなくたって、茅島さんが、全部。
そろそろ十九時になる。茅島さんの言っていた、約束の時間だった。
「美雪……」
私は、隣に立っていた金髪女に呼びかける。
「何?」
「茅島さんを信じて良いのかな」
「今更何言ってるんだよ」口元を持ち上げて、美雪は笑う。「ふくみは私達に聞こえない音まで拾えるんだし、そのうえ妙なほど勘が鋭いんだから。友人の彩佳ならよく知ってるでしょ?」
「……うん」
「いつも事件について、真っ先に真相に気付くのは、ふくみだよ」
「……うん」
十九時。
何が起きるのか。
ここから見ている限りは、間違い探しくらいの違いも、見つけられなかった。どう見たって、何も起きていない。
立ち尽くしたまま、五分が過ぎた頃だった。
玄関の扉が開き、そこから人影が現れる。
茅島さんだった。長い髪をなびかせて、私達を眺めると満足そうにしていた。
続いて、精密女とよくわからない男女たちが、ぞろぞろと出てくる。彼らは不安そうな表情を見せていた。
「ど、どういうことだ」
敏弘が、驚きのあまりに声を上げる。
「なぜ、うちから知らない人間が出てくるんだ!」
「なんなんだよあんた!」馬郡の人間と思しき、変な髪形をした男が叫ぶ。「ここはレディファンタジーだ! うちの庭で何をやってる!」
「まあまあ」
それを両手で静止させたのは、茅島さんだった。
「これから、その理由をお見せします。孟徳さん。この人達を中へ入れても良い? それで、全部はっきりする」
「…………ええ、茅島さんが言うなら、構いませんけど」
「ありがとう」彼女は、槇石の人間たちに向き直った。「では、中へどうぞ」
先陣を切ったのは敏弘だった。その後ろに岡芹、セナ、私と美雪。
ノブに手をかけて、押し開いた。
そこには例の発電機が有る。何も変わらない。
奥の扉。開いた。廊下が伸びている。何も変わらない。
何も変わらないはずなのに、完成しないパズルみたいに、なんだか気持ち悪さを感じる。
「なんだよ」敏弘が呟く。「うちじゃないか、別に」
「リビングを」茅島さんが後ろの方から声をかけた。「リビングを確認して下さい」
敏弘は言う通りにした。廊下の、左側の扉に手をかけて開いた。
「一体何が……」
中を確認した彼は、驚いた。
「…………誰のだ、これは」敏弘。「……なぜこんなものが」
私達も、続いて覗き込む。
リビング。家具の配置はさほど変わらない。
けれど決定的に違うもの。私達がフリーフォール館では見かけなかったもの。
テレビの前に置いてある、ゲーム機。
「……俺と、使用人の矢畑さんのものだ」さっき茅島さんに親しげに名前を呼ばれていた孟徳という男の声が聞こえる。「な? ここは、レディファンタジーだろう?」
「おかしいだろう」敏弘が抗議をする。「私達は、自分たちの家から出て、ずっと外で待っていたんだ。どうして家の中身がそっくり変わっているんだよ。お前たちが騙そうとしてるんじゃないのか?」
「こっちだって、自分の家から出てきたんだよ」孟徳が反論した。「出てきたら、知らない人間が立ってて、何が起きてるのか、わかんねえよ」
「……他にも確認させてもらう」
敏弘は廊下を駆けて、二階へ行った。
「……私も」セナが言う。「自分の部屋、見てきます」
彼らが戻ったのは、二分もしないうちだった。
戻ってきた敏弘の表情、セナの態度。それらで全てを察する。
自分たちの部屋では、無かったんだと。
全員で外に出る。
庭には、私達を見守るようにして、警察官が二名ほど、少し離れた位置に立っていた。きっと、茅島さんが呼び寄せた警官だろう。
間違いなく、私達はフリーフォール館から出てきたっていうのに、ここはレディファンタジー館になっていた。外観は同じだ。庭も同じ。何もかも同じだっていうのに、中身だけが異なっていた。
茅島ふくみは、玄関の前に立って、全員の顔ぶれを見回すと、論文の発表でもするみたいに語り始めた。
「みなさんに、事件の真相がわかったので説明します。警察の方も、よろしいですね?」
茅島さんが話し始めるところを、敏弘が遮った。
「真相って……親父を殺した犯人のことか?」
「はい。警察を待機させているところからわかると思いますけど、その犯人はここにいます」
なに、と敏弘は身を庇う様にして、周囲の人間から距離を取る。
茅島さんは続ける。
「まずは……まあ、この館の仕組みから説明します。この家に住んでいる、誰もそのことを知らないみたいですから。とは言っても、さっき見てもらった通り、この家は外出禁止時間を境に、館の中身が入れ替わっています」
「それって……」馬郡の女が手を挙げる。「結局どういうこと? いまいちよくわからないんだけど」
「今は十九時ですから、レディファンタジー、これが朝七時になると、フリーフォールに入れ替わります。その仕組みは、おそらくですか、かなり機械的というか、物理的なシステムでしょう。きっと、巨大な観覧車みたいな物です。円盤に外周に、部屋を吊り下げて、回転させて、上下を入れ替えているに過ぎません」
上下を入れ替える。
想像する。観覧車というより、セロハンテープとセットする台座を思い描いた。そこに、棒で吊り下げた部屋をふたつ。くるりと回すと、上の部屋と下の部屋が入れ替わる。玄関は上にしかなく、下側は地下へ埋没する。
「そうなると、理解できることが二つあります。一つは外出禁止という決まり。これは、館が下側になっている時間に適応されています。外に出るな、というのは、そもそもとして外に出られないし、出ようとされると、この館の仕組みがわかってしまうから。確かめてはいませんが、玄関への扉に鍵も掛けていたでしょう。セキュリティシステムも起動していたという話もあります」
ずっと住んでいたというのに、そんなことを考えも気づきもしなかったことがショックなのか、敏弘は頭を抱えてしまった。
茅島さんはそんなことが意に介さないで、続けた。
「もう一つは、地下室の先にもう一つの館があったことです。この二つの館を行き来する唯一の方法が、この地下室です。これは玄関と同じで、回転機構とは別に、固定して接続されているため、時間の影響は受けません。美雪達はここを通って下側にあったレディファンタジー館に現れました。確かめるとはっきりしますが、今はこれが逆になっているでしょう。上側がレディファンタジー、下側がフリーフォールです」
「地下室……?」孟徳が呟く。「そんなの、あるんすか……?」
「ええ。区長のパーツもそこに隠してありました。暗号には『冷蔵庫の下』と示してありました。その通りの場所にパーツがありました。それとは別に、地下室のさらに床下に、下側の倉庫の天井へ抜ける梯子があります。気になるなら、後で確かめて貰えれば」
茅島さんは、館に目を向ける。
「さて、では、この館の仕組みを理解してもらったところで本題に入りましょう。両方の家の当主が殺された、殺人事件についてです。死体の状況は、両方とも共通して、頭と左腕がなかった。死因は失血死。生きたまま血を抜かれたようです。何故そんなことをしたのか、警察は区長権限を持つパーツを、このふたりのいずれかが持っていることを理由に左腕を切断したのではないか、という仮説を立てていました。ですが、そうだするならば、では頭まで切断する必要はあるのでしょうか。パーツが、頭部にある可能性も考慮したのかもしれませんが、それにはれっきとした、別の理由がありました」
そうして、私達の方に視線を戻す。
「その理由を考えるためには、念頭に置かなければならないことがあります。それは死亡推定時刻です。上層で発見された死体は夜に、下層で発見された死体は朝に殺されたのだろうと、警察は導き出しました。これは科学捜査の一貫ですから、揺らぎようがありません。ですが、困ったことに、それぞれのこの時間帯には、何もなかったと証言する人物がいます。私もそうです。死体にはあざがあって、かなり暴れたということから、それなりの物音がしたと思いますが、該当する時間帯に、そんな様子は全くありませんでした。つまり、死体の状況と証言がまるで一致しません。この点が、この事件でもっとも意味のわからない部分だったのですが、その答えは簡単だったんです」
「……館の仕組み」美雪が、口を押さえながら呟いた。「そうか……上下が入れ替わるっていう仕組みを使えば……」
「ええ……」茅島さんが頷く。「単純です。殺しなら、昼間には誰もいないフリーフォール、夜には誰もいないレディファンタジーでやれば、どれだけ音を立てようが、問題はありません。首の切断は、それが目的なんです」
「……まさか」とセナ。
「そう。私達が豊人だと思っていた死体は、槇石順吉。あなたたちが順吉だと思っていた死体は、馬郡豊人だったんです」茅島さんは淡々と述べる。「犯人はおそらく、機械化能力者です。現場や死体には血が撒かれていました。医療用でなければ、そんなに綺麗に吸血できる機械なんて、そう簡単に用意できるものでもありません。イリーガルな施しがなされた機能だと考えるのが、この昨今の情勢を鑑みるに妥当です。血を吸い取った理由は、苦しめるためだけではありません。吸い取った血を、もう片方の死体に浴びせるためです。そうなると、血液検査の結果では、入れ替わりに気付くことはありません。まあ死体を詳しく調べられたら終わりですし、じきに警察もその事実に気がつくでしょうが、犯人の目的は区長のパーツの獲得、そして美楽華区の転覆だと推察できます。殺したという事実と、時間さえ稼げればそれで良かったんですよ」
後ろに立っている、警察官二人が顔を見合わせた。死体の入れ替わりなんて、信じられないみたいだった。
「転覆って……」孟徳。「犯人は、スラムの人間だっていうのか?」
「そうでなければ、上層と下層、両方の資産家を殺す理由がありません。現に、いまやスラムの過激派が動き始めていますから、犯人が望んだのはこの状況だとしか思えません」
そして、茅島さんはある人物を睨み始める。
「これは私の予想ですが、犯人の手口を説明しましょう。まず犯人はレディファンタジーで夜まで過ごします。夜になれば当主を除いて、仕事で全員がいなくなります。それまで適当に時間を潰し、頃合いを見計らって、血を抜いて豊人を殺害します。車椅子を用いるほど足の自由が利かない人ですから、殺すのにそれほど難しいものではありません。そして首と左腕を切断。それは何処かへ隠します。きっと、もう処分されているでしょう」
想像する。その様子を。
生きた人間から血を抜き、首と左腕を切断する。
それを行ったという精神状態を、どうあがいても理解できなかった。
同時に、上半身にしかあざがついていない理由を、ようやく飲み込んだ。
「それから、頭と片腕を失った死体を、布かビニールシートで包んで、ロープで担いで、下側に位置しているフリーフォールに降ります。こちらは、時間にすれば全員が自室にいる状態です。深夜十二時前後あたりでしょう。発見されるリスクもありましたが、倉庫までは誰も来ません。変に物音さえ立てなければ大丈夫でしょう。そのまま死体を担いで、自分の部屋へ戻って、朝を待ちます。それから、出勤と通学で誰もいなくなるのを見計らうと、同様の手順で順吉を彼の部屋で殺害します。そうしてから、持ってきておいた豊人の死体を順吉の部屋に設置し、今吸い取った順吉の血液をかけます。これであの状況が出来ました。後は同じ手順で、今度は下側になっているレディファンタジーへ戻ります。こちらも眠るような時間で、全員が部屋にいる状況です。犯人は細心の注意を払って、豊人の部屋に戻り、順吉の死体を置いて、首と左腕を切断し、豊人の血液を振り撒いた」
複雑だったが、なんとなくわかった。
そんな、面倒な手順を踏んでいたのか。
「さて、そうなると話は簡単です」
茅島さんは、笑う。
「死体の発見が、フリーフォールではその日の昼間。レディファンタジーではその日の夜。設置をして、ほとんどすぐです。こんな時間帯に館にいた人間は、一人しかいません」
一人。
一人?
「仕事で出るでもなく、通学で出るでもなく、家の仕事をしていた人間、使用人ですよ」
私は、
岡芹を見た。
動揺している。あの、上手く仕事をこなしていた岡芹が。彼の手は震えていた。
犯人なのか?
そういえば――
「美雪」
――下層の使用人は、何処にいるのだろう。
「この人の名前は?」
岡芹を指差した茅島さんに、美雪が答えた。
「……岡芹さん」
「精密女。この岡芹さんの名前は?」
「良いんですか、言っても」
「ええ……」
精密女は、微笑んでから、もったいぶった様子で、
ついにその名前を口にした。
「矢畑さん、ですね」
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