4章 今、楽しいですか?
彩佳1
夢であった方が、まだ整合性が取れる気がした。
倉庫の地下への梯子を下りると、そこは下層にあるはずの、茅島さんたちがいるはずの、レディファンタジー館の倉庫だった。
どう言うことだろう。上層を突き抜けて、下層に繋がっているのだろうか。
私、美雪、そしてセナは、私達と同じように面食らっている茅島さんと精密女に手を引かれて、こっそりと彼女たちの泊まっている部屋に連れ込まれた。
部屋の作りは全く同じだった。だから、さっきのはなにかの冗談なかと思った。ここは上層、私達のいた館で間違いはないんだ、騙されているんだ。
そう思おうとしたのに、そこにいる茅島さんは、紛れもなく私の知っている茅島さんだった。本当は、顔の皮でも引っ張って確かめてやりたかったのだけれど、彼女は私から顔を背けて、自分のベッドに腰掛けてぼーっとしていた。
私は精密女の使っているらしいベッドに座って、同じように、彼女と目を合わせないように、息を止めるみたいにしてじっとしていた。
気まずいという感情すら湧いてこない。これが現実。私の招いた状況が、私を苦しめていた。だから、まだ会いたくなかったんだって、誰に訴えればよかったのだろうか。
そんな私達を見て、美雪はため息を漏らしてから、精密女と情報をすり合わせていた。簡単に言えば、上層であったことを報告して、下層のことを聞いた。することがなかったので、私の耳にもその話は入り込んできた。こちらでも殺人事件があったことと、スラム街が本当に存在していることは、間違いないみたいだった。あとはあまり興味もなかった。茅島さんたちも危ない目に遭ったらしいのだけれど、彼女に怪我をした様子はあまり見受けられなかった。
けれど、未だにこの状況を飲み込むことが出来なかった。
どうして上層の館の地下から、下層の館に飛び降りてしまったのか。立地的に、上層の突き出た部分の真下に家屋が存在していたのだろうか。
悩んでいると、精密女は核心的な説明を、私達にした。
「レディファンタジー館は上層に有るんですよ。エスカレーターの近くに」
「……なんだって?」
美雪が、何を言ってるんだという顔をして、精密女を見た。
もう、知らなかったんですか、と彼女は呟く。
「エスカレーターを登って、しばらく歩いた場所に建ってるんですよ。だから、下層の街に行くのに、少しだけ遠いんですよ。ね、ふくみさん?」
精密女が茅島さんに問いかける。茅島さんは、そうよ、と頷いた。
「最初は疑問だったけど、まあ、住所をぼやかすのが、セキュリティのためらしくて。おかげで結構歩かされる羽目になったわ」
「ちょ、ちょっと待ってよ」美雪が手を上げて静止させた。「私達がいた上層の館もエスカレーターからしばらく歩いた住所だったよ? 近くに同じ館がふたつあったってこと? そんなの、あったらわかるって」
「まあ、そうですけど……」精密女が、顎に手を当てて、唸る。「それに、天井を突き破ってあなた達が現れたという事実からすると……答えは一つしかありません。このふたつの館は、全く同じものだったんです」
同じもの。
全く?
「そうか……だから夜中に出歩くなって言われてたんだ」美雪は納得する。「こっちじゃ、昼間に出歩くなって言われてたんでしょ? きっと、かち合っちゃうからだ。昼はフリーフォールで、夜はレディファンタジーっていう風に、完全に切り替えたいんだよ」
それでも、煮え切らないことしかない。
なんで地下に降りれば、こんな所に出るのか。
そして、結局、冷蔵庫の下とは。
暗号の答えを、美雪が精密女に説明すると、聞いていた茅島さんが口を開く。どんな顔をしていたのか、私からは見えなかったし、あまり見たいものではなかった。
「美雪たちが地下で部屋みたいな所を通ってきたって言うなら、冷蔵庫の真下に位置する所に、パーツが隠されているのかしら」
きっと、そう言うことだろう。あの小部屋には、まだ十分に探索されていない。まだあの何処かに、何か重要なものが隠されているような、予感にも似た想像が、私を支配した。何も見ていないのに、どうして茅島さんがそこまで読み取れるのかは、わからなかった。
「なるほど……」精密女が頷く。「では美雪さん、今すぐ確認に行きましょう。倉庫に梯子はありましたよね?」
「うん……」
ふたりは部屋を出ていく。美雪は去り際に、私の方をチラリと見て、申し訳なさそうな表情を浮かべていた。
残されたのは、仲の悪い私たちと、セナだった。
何も話さなかった。
セナは椅子に座って、頭を伏せていた。無理もないだろう。自分の住んでいた家と、ほぼそのままの物がもう一つあったのだから、ともすれば気持ち悪くて仕方がないのかも知れなかった。
そして私と茅島さんは、ずっとそっぽを向いていた。
自分の手だけを見ていた。まだ包帯が巻かれている、もう治っているはずの右手。
茅島さん。
話したいことがあったはずだった。
謝りたかった。
でも、その心の準備が出来ていないと言うだけで、私は何も出来なくなってしまった。
呼吸をすることも、恐ろしくなった。
何をしても、彼女の気に障る気がして。
再びドアが開いて美雪たちが現れたのは、十五分ほど経過して、私が沈黙に耐えかねてトイレにでも行こうかと思っていた頃だった。
「喜んで下さい、見つけましたよ」
そう語る精密女の片手には、彼女の腕と同じような、一見すれば骨みたいな物質。
これが、あれほど渇望した、争いの種にすらなっているとされる、区長の権限を持つ忌まわしいパーツなのだろうか。
「何処にあった?」
意外そうな顔も全くしないで、茅島さんは精密女の持っているパーツを受け取りながら、尋ねた。
「もちろん、あの小部屋だよ」隣で美雪が答えた。「冷蔵庫の下かどうかはよくわからないけど、あそこの、角に隠してあった。黒い布がかけてあったから、見つけて欲しく無さそうだったよ」
セナが、茅島さんの手にあるパーツに、震える手を向ける。
「……これが、これのせいで……」
「美雪」茅島さんが、セナを一瞥した。「そう言えば、この子は?」
「槇石家のお孫さんの、セナちゃん」
「そう……お祖父様が、殺されたんですって?」
「これのせいなんです……きっと、犯人がこれを欲しがって……おじいちゃんがパーツを持っていると思い込んで、腕を切断したんです! これのせいなんですよ!」
「ふくみさん」精密女が言う。「パーツは、区役所に届けた方が良いかと」
「……それもそうね。それまでは……どうしましょう」
彼女は、パーツを持て余した。ベッドの上にでも置こうかと迷っている様子を見せていたが、やがてセナが茅島ふくみの前に立って、頼み込んだ。
「……おじいちゃんに関係があるなら、私が預かっておきます」
「……でも」
「私だって……おじいちゃんの子供です」
そう話す、セナは瞳をまっすぐに茅島さんに向けていた。
茅島さんは、眉を見初めてから、頭をかいて、セナちゃんにパーツを渡した。受け取ったセナちゃんの顔は、今にもそのパーツをへし折ってしまいそうなほどの憎悪を滲み出していたが、茅島さんが彼女の手に肩を置いて、告げた。
「……これを持っていることは……外では言わないでね」
「……はい」
「ごめんね。お願い」
さて、と言って茅島さんは精密女に声をかける。
「ねえ、今何時?」
「朝の九時前ですけど」
「孟徳とすずめ、それから矢畑さんに、午後七時に、外出可能な時間になる頃に、玄関に集まるように言って」
「わかりました」
「美雪。あなた達は、馬郡の人間に見つかって、面倒にならないうちに、さっきの小部屋を通って、上層に戻ってて」
「うん……」美雪が頷く。「わかった」
「で、戻ったら全員を説得して、十九時に館の外で待っていて。法律違反だかなんだか知らないけど、大事なことだから、頼んだわ」
「ねえ、ふくみ……」
美雪が、ある予感を持った表情で、口を開いた。
私も、精密女も、セナでさえも、きっと同じことを考えていただろう。
茅島ふくみは、既に――
「もしかして、全部わかったの」
「ええ……」
気怠そうに、下らないなぞなぞがようやく解けた程度の様子を見せて、茅島ふくみが頷いた。
「ぼーっとしてたら、天啓を得たわ」
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