彩佳6

 暗号は解けた。だというのに、この釈然としない気持ちはなんだろう。

 まるで、卵を割ったら、中から鉛筆が出てきたみたいな、決まりの悪さを感じていた。解けさえすれば、なんとかなるんじゃないのか。結局の所、前の区長が内輪向けに考え出した暗号なんてものは、解けたところで内輪の人間にしかわからないのか。

 冷蔵庫の下。暗号はそう示している。

 なら、前の区長の家。その冷蔵庫の下だろうか。今日の予定は、そこを調べることになりそうだったが、美雪が反論した。

「前の区長の家なら、冷蔵庫は二階にあったよ」彼女は見取り図を指す。「自室じゃなかったけど、隣にキッチンがあって……それでその丁度下にある部屋は……これ」

 玄関。

「なにもなかったよね……」私は思い出す。開かれた玄関。何かを隠すようなスペースは、存在しなかった。「じゃああの家じゃないのか」

 何処の冷蔵庫の下なのか。区役所? 彼の仕事場に、そんなものはなかった。区役所全体を調べてみれば、一台くらいはあるだろうが、区長が殺された今、私達にそこを調べるようなアポイントメントを得られるのかはわからない。第一、複数の冷蔵庫があったらどうする。どうやって絞るのだろう。

 もっと単純な……

「……そういえば、ですけど」

 セナが、手を上げて口を開いたので、私達は、彼女が何を言い始めるのか、じっと見つめてしまった。

「前の区長、死ぬ前くらいにうちに来たことが有るんですよ」

「……どうして?」私が尋ねる。

「さあ。わかりませんけど、挨拶回りだとかで。おじいちゃんとそこまで縁が深い人じゃなかったみたいですけど、上層で力を持っていたのは、変わらずおじいちゃんでしたから。この家に住んでるっていうのが、その証拠なんですよ。ここは、上層を代表している人が移り住んで来たんです。だから私は、この家に住み始めて大体……八年ぐらいなんですけど、前の区長さんが、この家の建築家と知り合いだとも言っていて……住んだことはないらしいんですけど。いろいろと見て回っていましたね。珍しい家だって褒めてました」

「……なにか、持ってなかった?」

「どうでしょう……仕事で使うような大きめの鞄は持ち歩いていましたけど」セナは気づいた。「……まさか、うちに、パーツを?」

「わからないけど……一応なにもないことも確認しないといけないと思う」

 私達はキッチンへ向かった。

 冷蔵庫。さほど大きくはない。私の身長より低いくらいだった。

「これは……」美雪が示して、セナに訊いた。「昔からここにあるの?」

「はい。少なくとも、私が生まれたからは、一度も変わっていません。前の区長も、中は開けてないですけど、見ていたと思います。ここを見てから、倉庫を見て……二階に行きました。確か」

 三人がかりで冷蔵庫を移動させた。それだけの力を合わせたって、重たいものは重たかった。私は、筋肉痛になるんじゃないかと心配になった。

 フローリングの床。調べるが、特に不審な点は見当たらない。埃が積もっていて気持ち悪かった。雑巾で拭き取っても、なにか不審な切れ目があるなんてことも、なかった。

 ここではない?

 なら、どこの冷蔵庫なのだろう。

「セナちゃん」美雪が、床から顔を上げて、尋ねる。「この家に地下ってある?」

「さあ……私は知りませんけど」

「探してみよう」

 私達は別れて、有るのかどうかもわからないような、地下への入り口を探した。

 三十分後だった。倉庫を探していた美雪から呼び出しがかかったので向かった。

 彼女は目に見えて喜んでいた。

「見てよ! 彩佳、セナちゃん」

 指をさす。倉庫のダンボールを移動させた部分。

 そこに、穴が空いていた。

「上に段ボールがあって、さらにこの鉄板が被せてあったんだけど、動かしたら、これだよ! 地下だ!」

 覗き込む。単なる貯蔵庫というわけでもない、下水へ下りるマンホール程度には、深さが有るし梯子もついていた。

 なにがある。

 ここには。

「……入ってみよう」

 私は先に足を踏み入れた。続いてセナちゃん、最後に美雪。

 一歩。降りていく。鉄の、不確かな棒きれみたいな梯子だった。どうやって壁にくっついているのか、生まれてから考えたことはなかったが、こうやって体重を預けていると、その理屈が気になってくる。

 降り立つ。見えない。端末で明かりをつける。

 そこは、小部屋のようになっていた。天井は低く、立っていられない。

 中腰になる。

 冷蔵庫の下って、どのあたりだろう。

 他の二人も到着した。セナは、自分の家にこんな変な空間があることに対して、不安を覚えているようだった。

 床に、更に入り口が有る。今度は鉄板が被せられていないために、私でもすぐにわかった。

 覗き込むと、さっき下ってきた梯子と同じ様なものが備え付けられていたが、人間一人分のスペースがあって、すぐに行き止まりになっている。

 行き止まりには、取手がついていた。

「なんだろう」私は呟く。その声が、小部屋に響いた。「どこかに繋がってる?」

「降りてみる?」

 美雪がそう尋ねたので、私は頷く。

 冷蔵庫の下。それがこの先なのか?

 私は身体を狭いスペースに差し込んで、片手で取手を掴んで、引っ張った。

 板が持ち上がる。

 その先は……

「……倉庫?」

 異常に広い空間。

 見覚えがある。

 さっき降りてきた梯子があるはずの倉庫が、私の足元に広がっていた。

 意味がわからない。

 地球を一周した様な気分。

 倉庫の、天井に繋がっていた。首を回して、明かりを向けて観察する。二階の扉も、置かれたダンボールもビニールシートも見える。

「……待ってて」美雪。「ちょっと、上からロープを取ってくる。このまま飛び降りたら危ないよ」

 二分待って、美雪が持ってきたロープを、私は身体に結びつけて、梯子を下りる。

 天井から手を離した。美雪とセナに支えられた身体が、ゆっくりと地面に接触する。

 見えてくる。

 間違いなく、倉庫だった。

 おかしいと思いながら、私は近くにあった梯子を伸ばして、天井に立て掛けた。不安だったけれど、長さはぴったりだった。

 美雪とセナが降りる。

 美雪が梯子から飛んで床に立つ。

「……倉庫だ」当たり前の様なことを、彼女はつぶやいた。

「どういうことだろ……」

「私たちが降りて来た倉庫とは違うみたい」美雪は、床を指で示す。「ほら、地下への入り口に、ダンボールが乗ってる」

 別の倉庫ということだろうか。

 それほど収納に困っている様子はないのに。

 そして、倉庫の外へ通じる扉がある。

 外に、何があるのか。

「全く同じです」セナが見回す。「うちの倉庫と……でもお父さんも、岡芹さんも……おじいちゃんからも聞いたことないです」

 ロケのセットみたいだ、と思った。けれど、そのカビ臭い様な匂いは本物の様な気がした。妙な湿気も、凍えるほど室温も。

 そうしているうちに、

 扉が開いていく。

 誰が開けようとしているのか。

 美雪とセナは、私の近くにいる。

 自動ドアなのか?

 いや違う。

 扉の向こうから、差す光に照らされて、人間の輪郭が浮かび上がる。

 ふたり。

 そのシルエットを、私はよく知っていた。

 私の、唯一の友人……

「…………彩佳?」

 扉を開けた張本人。

 茅島ふくみが、私の名を呼んだ。

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