ふくみ5 15日 8時

 館へ戻った。

 すずめを部屋まで送り届けた後に、警察が尋ねてきた。あのもはや見飽きたような顔をした、徳富刑事ともうひとり、彼の部下らしき男。彼らはふくみたちにすずめ誘拐の一件のことを詳しく尋ね、すずめにも同じことをした。満足するとそのまま軽い挨拶だけを述べてその場を去った。時間にして、二十分もない。

 それからすずめの部屋へ戻り、ふくみたちは彼女に誘拐の顛末を改めて聞き出した。すずめの話は、想像と何も変わらないくらい単純なものだった。仕事場へ行き、楽屋でくつろいでいると人が訪ねてきて、外へ呼び出されると数人の男に囲まれて、あんなところへ連れて行かれたのだという。

「怖かったわ、なんなのあいつら……」

 すずめはそう漏らしたきり、何も話さなくなった。

 ふくみは考える。殺人事件の犯人は、あいつらと関係があるのか、ないのか。何してもスラムには機械化能力者が潜んでいるというのは、間違いでもなさそうだった。

 もう一度、スラムを洗い出す、それが一番の近道だろうか。

 精密女にそのことを告げると、彼女は珍しく嫌そうな表情を浮かべて首を振った。

「変にスラム街の人を刺激して、すずめさんに危害が及ぶってのも、嫌ですよ、私は」

「……それもそうだけど」ふくみは、強く言おうとして諦めた。「怪しいのに何も手出しできないのももどかしいわよね」

「ええ。それに、明確に私達は敵視されていますから。下手をすると、上層の彩佳さんたちにも危害が及びますよ。構造的に別れているとは言え、同じ街なんですから」

 彩佳。

 彼女の顔が浮かんだ。もう、随分と見ていない気がする。

 ふくみはため息を吐き、そして壁にもたれて、気だるそうに髪の毛をいじった。

「潮時なのかしら」

「諦めるんですか?」精密女は意外そうに訊いた。「上司はそんなつもり無いみたいですから、こっちも解決まで粘るって報告しておきましたけど」

「……私も、諦めたいんじゃないけど、なにか手を打たないと、これ以上進展しないと思う」

「確かに、状況が悪すぎるのは、同意しますよ」精密女は、すずめと彼女を心配そうに見守っている孟徳の方に、ちらりと視線を向けた。「館の人に、関わりすぎましたね。普段よりもリスクがつきまとっています。それに、自分たちの手の届きづらいところに、彩佳さん美雪さんがいますから、下手に彼女たちに危害が及ぶと、どうしようもありません。彼女たちに、そういった危険に対抗する術はありませんから」

 扉がノックされる。

 現れたのは矢畑だった。彼は、神妙な顔つきをぶら下げて「失礼します」と囁いた。

「……どうしたんです?」すずめが訊く。

「さきほど、知ったんですけど」矢畑は言いづらそうに、唇を噛む。「…………区長が」

「ミコがどうしたの?」

 親しげにそう呼ぶすずめ、その声色。

「久瀬川区長が…………」矢畑。「殺されました」

 殺された?

 聞いたすずめは、何も言えなくなっていた。

 身体を、ぴくりとも動かさないで。

「……………………え?」

 彼女が声を絞り出したのは、その二分後だった。

「…………嘘でしょ? ねえ、矢畑。殺されたって……? どういうこと?」

「ですから……久瀬川区長が、何者かの手で……」矢畑は視線をそらせて、念を押すように説明した。「銃撃でした。手口の関係で、豊人さんとは別の犯人だと見られているんですけど…………」

「そんな…………」

 すずめは、涙を流して、ついには泣き崩れた。

「どうしてよ…………ミコ…………」

「ですから……久瀬川区長が、何者かの手で……」矢畑は視線をそらせて、念を押すように説明した。「銃撃でした。手口の関係で、豊人さんとは別の犯人だと見られているんですけど…………」

「そんな…………」

 すずめは、涙を流して、ついには泣き崩れた。

「どうしてよ…………ミコ…………」

 声をかけられず、ふくみたちはじっとその様子を見るだけに終始していた。

 嗚咽。

 彼女の、そんな気の毒で可哀想な声だけが響く。

 すずめが多少なりとも収まった頃には、矢畑はいつの間にか去っていなくなっていた。逃げたのかもしれない。

「…………ミコは」

 すずめは、今までの自分の恥じらいを弁明するみたいに、訊かれてもいないことについての説明を、絞り出す様に始めた。

「友人だったの……。あいつ、区長なんてなってるけど……下層の生まれだから、家が近かったの。ここじゃなくて、前に住んでた所……。ここは、親父が数年前に、下層の代表面し始めた頃に住む権利を与えられた家だから……」

「そうなんですか」と精密女が相槌を打つ。

「ミコ……。家が近かったし、歳が同じだった。学校も一緒だった。だから、よく遊んでいたの。…………区長になってからは、疎遠だったわ。槇石なんて上層の金持ちに抱き込まれて、失望すら感じたけど、でもあいつは……下層を潰さないために動いてるんだと思った。活動を見てたら、そんな気がした。だから応援してたの。応援してたのよ。応援…………」

 また、すずめの話が止まる。

 落とし穴に落ちたみたいに、そこから進まなくなった。

「大切な……」精密女が言う。「友人だったんですね」

「私、スラムの奴らに……彼女の仲間だとでも思われたのかしら。私にも、区長の権限を引き継ぐような権利があるって思われたのかしら。そんなわけないじゃない。そんな力があれば……私は上層とかスラムなんてさっさと潰してるわよ」

「…………」

「だから、私みたいな偏った人間は、そんな力を持っちゃいけないのよ」

「許せませんか?」

「許せないわ……上層も、スラムも……下層はいつも、その皺寄せで苦労してるの……誰も理解してくれないけど……。でも更新計画があった時は、私は希望だと思った。下層の人は反対してたけど、もし下層が残ることができれば……私の思い通りになるのよ。結局、何にもならないまま、たち消えちゃったけど」

 ふふ、とすずめはガスを抜くみたいに笑った。

 それに孟徳が噛み付く。

「お前、本気でそう思ってたのかよ」

「思うだけなら勝手よ。なんの活動もしてないわ。どうせ計画が進んだら上層が残るんだろうなとも思ってた。ミコが計画を継いで進めていなかったのは、そういうことよ」

「犠牲になって良い人間なんかいないだろ」

「……は。子供よ、そんな考え。あんただって思わないの? 上層やスラム街が無くなれば良いって」

「思わない。俺は、バンドマンだからな」

「あんたのそういうところ、全然好きじゃないわ」

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