彩佳4 15日 7時

 悩んでいた。

 昨夜はまるで眠れなかった。あの銃声が耳の奥でずっと、枯れた井戸に投げ落とした石みたいに鳴り響いていた。

 私は、持って来た衣類を畳んでいた。そうすることで、精神が落ち着く様な気がした。

 こうしておけば、いつでも逃げられる。逃げて、自分の家に帰って、気が狂うまで引き篭もることも出来る。勝手に死ぬことだって出来る。

 区長……。

 仮にも会話をして、良くしてもらった人間が、電話越しに殺された。そのショックは、他人に対して興味の薄い私でも、無理やり見せられる気持ちの悪い絵画ぐらいには、気にせざるを得なくなっていた。

 彼女の声。

 彼女の顔。

 彼女の四肢。

 その全てが、もう失われてしまったのか。嘘みたいな話だ。

 ただひたすらに、悲しみを生成している。

 いや、無常感だろう。結局自分が、まともに茅島さんの役にすら立てない事実への憤りでしかない。

 私たちでは、私たちふたりだけでは、無理な仕事だったんだ。

 美雪は、コンピューターを触っていた。もはや、飽きたと言っても良いくらいに、見慣れた光景だった。

 私は、耐え切れなくなって口に出す。

「美雪、もう帰らない?」

 その言葉に、美雪は頷かなかった。

「彩佳はバイトだから、その許可も下りるけど、私はそうはいかないよ」彼女は自嘲みたいな笑いを浮かべた。「危険なのは初めからだったけど、こうなったら上司だって理解してくれる。上も彩佳に、そこまでを求めてないからね」

 区長のことを報告した際の上司の答えは「状況を見て続行」だった。美雪は文句を言わなかったし、その答えを予想しているみたいだったけれど、私はなんて非情な職場だろうという感想を、胸の内に抱えてしまった。

 久喜宮から聞いた状況。現場で区長は、死んでいた。もちろん銃殺で、両腕を縛られていた。

 区長はあの日、区役所を後にして自宅へ戻る途中だったという。家の前までは秘書が送り届けたが、そのあと襲われて誘拐されたのだと推測された。

 その犯人が、殺人事件と同じなのか、別なのかという判断もついていない。久喜宮は別だろうと見ているようだった。

「区長……」私は漏らす。「本当に死んじゃったんだ」

 美雪は手を止める。不味いものを口に含んでしまった時の様な顔をして。

「……かわいそうだよ。あんなの……」彼女は俯く。私は彼女が涙を流していたことを知っていた。「……やりきれないよ。許せない。犯人は八つ裂きにした方がいいと思う」

 沈黙。十五分。

 私はまた口を開く。

「……茅島さん、どうしてるかな」

「精密女も連絡不精だからなあ……」美雪は嘆く。「引き上げるつもりも無いみたいだけど、定期的な連絡以外に相談は無いみたいだから……」

 茅島さんは残っているのか。

 それを聞くと、妙に悔しい気持ちがある。

 また、私だけビルの外で待たされているみたいな気持ちに、茅島さんが私を置いて先に死んでしまいそうな気持ちになっていった。

 逃げて良いのか、私だけ。

 駄目なのは理解していた。危険なんてどうでもよかった。

 なぜ身体が逃げようとしているのか、それがわからなかった。

 きっと、うまく行ったところで、仕事をこなせた所で、あなたが褒めてくれる保証なんてないからだと思った。

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