彩佳3 14日 17時

 襲われて、昼食を食べて、そのまま何もしないで館に籠もっていた。

 美雪もそうしていた。彼女だって、施設の調査員だが襲われたばかりで外を出歩くような、無神経で図太い人間でもなかった。

 私は、ベッドでずっと、あのときのことを考えている。

 鮮明に思い出せる銃声。そして美雪の叫び声。伏せた区長。

 何もしなかった、何も感じなかった自分。

 むしろ、死んでもいいから茅島さんの役に立とうなどと考えていた。

 茅島さんと一緒にいられないなら、別に勝手に死んでしまったって良いと、私は本気で思っていた。別に、今までも自覚することはあったのだけれど、それが表にはっきりと現れることに、妙な納得と、若干の恐怖心を覚えた。

 ただ仲直りすればいいだけなのに、それだけのところまで、考えが及んでしまうのか。

 もう、私はその仲直りすら諦めてしまっているのか。

 暗号とか、殺人事件とか、そんなことよりもずっと、茅島さんの存在の方が、私の喉につっかえている。気が狂ってしまうくらい苦しい。

 美雪と仕事について考えている時だけしか、私は解放されないのか。

 電話が鳴る。誰だと思った。舌打ちを漏らして、嫌々ながら表示を確認した。

 久瀬川区長。

 どうしたんだろう。先程襲われたという事実からか、変な不安感が漂ってくる。

 応答。

「もしもし、加賀谷ですけど」

『…………』

「区長?」

 吐息。

 震える吐息が、聞こえる。

「もしもし……?」

『…………ころ』

 ころ。なんだ、ころって。

 不穏な予想しか私には出来なかったし、

 その考えはまったく合致していた。

『殺される……! 助けて……!』

 ――。

「み、美雪……」

 私は美雪を呼ぶ。

 彼女は察して、私の代わりに電話口に立つ。私は、その耳元で、端的に説明した。

「区長。どうしました?」

 美雪は私にも聞こえるように、スピーカーモードにする。音の悪さが目立った。

『殺されるの! 助けて! 言う通りに、言う通りにして!』

「落ち着いて下さい!」美雪は、その金髪を邪魔そうにかきあげた。「今、何処なんですか?」

『手を引いて…………じゃないと、私、殺される』

「手を引く?」

『この街から……美楽華区から出ていけって……犯人が! 言ってるの! 言う通りにしてよ!』

「犯人? 誰なんですか? 区長!」

 言いながら美雪は、私の端末を使いながらコンピューターに接続する。

 ――逆探知だ。

『わからないわよ! 早く出ていって! 誰かもわからないし、ここが何処かもわからないんだから! 出ていって! 言う通りに! 言う通りに!』

「落ち着いて下さい。出ていきますから」美雪は冷静に口にする。「犯人の要求は、それだけですか?」

『それだけよ! あなた達が邪魔だって言ってるわ!』

 美雪は、空いている手を使って、コンピューターに文字を打った。それを、私に見るように示した。

 そこには、

 ――区役所付近の廃ビル。私の端末で久喜宮さんに知らせて。

 私は、美雪の端末を彼女の指から抜き、久喜宮にメールを送る。その状況と、場所を記載して。

『…………え? 嫌! 嫌よ! ちゃんと伝えたじゃない!』

 急に、区長が騒ぎ始めた。

 駄目。

 これは、駄目だ。

『お願い殺さないで! お願い! ちゃんと伝えたわよ! 待っていれば、あいつらは帰ってくれるわよ! せっかちよ! なんでよ! 何で殺すのよ! 嫌! 嫌! 嫌嫌嫌嫌! やめてやめてよやめて! 嫌よ! 死にたくない! 待ってよ! ねえ! 何が欲しいの! 何が目的なの! 私を殺して、どうなるっていうの! なんのために? ねえ、お願い…………お願いします、殺さないで! まだ、やりたいことも有るの、好きで区長に祭り上げられたんじゃないの、都合が良かったの、私は何も知らないバカだから、ちょうどよかっただけなの、お願い、お願いします、お願いします、お願いします、お願いします、お願いします、お願いします』

「区長!」

 叫ぶ美雪。

 けれど、銃

     声

 が聞こえた。

 静かになった。

 もう、何も聞こえなくなっていた。電話も、いつの間にか、切られていた。そこから流れ出すものは、もうなにもない。無。区長の声も、その存在も、無。嘘だったみたいに、でも嘘だったらどれだけ良かったのか、嘘であってほしいとしか、私は思えない。時間が経たない。私と美雪は、ただ呆然としていた。立ち尽くしていたし、コンピューターの前から動けなくなっていた。私は端末を開くことも出来ない。久喜宮はどうしたのか、何が起きたのか、どうなったのか。区長は、一体どうなってしまったんだ。わからない。耳に、ずっと、あの不鮮明だけど、はっきりとした銃声がこびりついていた。本当の拳銃は、あんな音がするんだ。前の区長の自宅で聞いた音と、ほとんど同じだった。銃に対して、詳しくなんてなりたくなかった。私は休学中の大学生だったはずだ。どうして、こんなことに。茅島さん、あなたはずっと、こんな現場に立たされていたのか。私と死んでくれるなんて、本当に出来るのか。とりとめもないことを、

 考えていると端末が鳴って、私は気を取り戻す。

 久喜宮。

『……八頭司さんか?』

「…………いえ、加賀谷です」

『…………たった今、現場に着いた。現場が警察署の近くだったから、すでに何人かの警官は到着しているんだが……』

「…………」

『区長が、殺されたよ』

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