ふくみ2 14日 22時

今日こそは例のメンバーに会わせてやると孟徳が言うので、本当に不本意ながらふくみは彼のバンドが出演するというライブハウスを訪れた。

 地下にあるその店は、こぢんまりとしているように見えたが、実際に中のスペース自体には広さ感じた。その理由は左右に貼ってある大きな鏡であることに気づいてから、なんだか騙されたような気分に、ふくみはなった。

 人が、大量の下層人が集まっている。一瞬でも広いと思ってしまった空間だったが、それだけの人数が集まると、腸詰めみたいな状態に近かった。

 階段で言うと五段ほど高くなっているステージには、見たこともないような機材が置いてあった。バンドという集まりの中では一般的なものなのだろうけれど、どうやって音を出して、どんな演奏が行われるのかは想像もつかなかった。実験器具を見ているほうが、まだ理解が出来たのかも知れない。

「うるさいですけど、次第に楽しくなってきますよ!」

 最大限、ふくみに気を使って、孟徳はそう言い残してステージ裏の方へ去ったのが数分前だった。ふくみは、その言葉に緊張感を覚えながら、会場の隅で、壁にもたれながらじっとしていた。

 精密女は、意外にもこういう場所が好きなのか、客の間に入り込んでいた。ここからでもその両腕と、それなりにある身長は目立っていた。美雪とは、こういうところが相性のいい部分でもある気がした。

 そうしている内に、照明が落ちた。敵襲かとも思って身構えたが、観客が喜んでいる。ふくみは一瞬だけ抱えた身体の緊張を、川に投げ捨てるみたいに解いた。

 始まるのか。

 客が拍手をしていると、ステージ上に孟徳と数人が現れた。

 その様子は、普段とは違って、

 多少なりともしっかりとしているな、という印象を抱いてしまった。

 演奏が始まる。

 普段は音楽なんて聴きもしないのは、さしたる理由があるわけでは無かった。耳の機能のせいで、あまりわざわざうるさい音を聴きたくもないと言うのはあるが。そうは言ってもその感度を調節することも出来た。

 そうしなかったのは、別に彩佳が音楽に興味を持っていなかったからだった。美雪には勧められていたが、彩佳が聴いていなかったから、どうでも良いと思っていた。ふくみ自身がそれで良いと本気で思っている。

 けれど、生演奏を聴いて、ひとつ、確信めいた事実を得た。

 なるほど、別に好きじゃないわけだ。

 うるさいだけで、何も良いと思わない。良いと思う脳の作りになっていないんだ。

 耳が痛い。感度を下げているのに、どうしたことだ。内臓まで、振動が伝わってくるらしい。

 よくわからない。

 どんな曲なのかも判断がつかない。

 頭がおかしくなりそう。

 でも、なんでか彩佳のことを思い出した。その理由さえもわからなかった。

 曲が終わって、ステージ上から孟徳が言う。

「これは最近作った曲で、伝達について書いた曲だ」



 ライブが終わった。時間にして、一時間もないくらいだった。その間ふくみは、良いとも思わなかった演奏を、黙って聴いていた。印象は変わることはなかったが、この環境には慣れてきたのか、耳の痛みも薄れていった。多分、何かが故障したんじゃないかと冗談めいたことを彼女は考える。

 孟徳たちのいる楽屋に呼ばれたのは、次のバンドの演奏が始まった頃だった。

 狭い楽屋には鏡がいくつか設置してあり、申し訳程度の机と、ケータリング。換気のためかずっと扇風機が頭上で首を振っていた。

 精密女とふくみは手頃な椅子に座った。楽屋には、幸いなことに孟徳とそのバンドメンバーしかいなかった。

「こいつですよ、茅島さん」

 孟徳が、隣に立っている男の肩を叩いた。

 スラム出身だと言う彼は、派手な髪型をしていて、信じられない服装をしていたが、その顔つきは気弱そうだった。ドラム担当だ、と彼は自らを紹介した。

「スラム出身だって?」

 ふくみが確認をとると、彼は頷いた。

「はい。でも俺もスラムを離れて久しいんで、最近の情勢はわかりませんけど……。隣に住んでた爺さんが詳しかったかな。あの爺さん、スラム暮らしが長いらしくて。一応、住所を教えておきます」

 彼はふくみの端末にデータを送信する。

「スラムって、どんなところ?」

「最低ですよ。治安という意味では、戻りたくないですね」彼は顔を顰める。「確かに、機械化能力者も多かったみたいですけど、機械化能力者なんて、スラムでもさらに嫌われますから、誰もわざわざ言いませんよ。だから、誰がそうだったのかとかは、わかりませんけどね」

「過激派ってのは?」

「ああ、まあ、そういう奴らがいるっていう話ですけど……」彼は頭をかきながら話した。「全員がスラムってわけじゃなくて、普通の下層の奴も、同調した上層の奴もいるみたいですね。実際確認したわけじゃないんですけど。単に、今のこの区の政治が気に入らない奴らです。俺も気に入ってないですけど、そこに加担するほどじゃないですよ」

 そう言って彼は、両手を広げて「機械化能力者じゃないか、俺も確かめて貰っていいですよ」と言った。精密女に腕でも掴んでもらえば確認できるだろうが、そこまでするほどのことでも無い気がしたので、彼の連絡先を教えてもらっただけで開放した。

「あいつ、良い奴なんですよ」

 孟徳が、トイレに消えたさっきの彼のことを、そんな風に話した。

「人は、出身地じゃないんですよ」

 自分の出身地すらわからないふくみは、その言葉をどう受け取ろうか悩んでしまった。



 会場でふくみは、暗号を凝視して考え事をしていた。

 バンドが演奏していてうるさかったが、次第に意識の外に消えていった。暗号は下層のものともうひとつ、美雪が送信してくれた上層のものまである。彼女たちはまだこの暗号が解けてはいないようだった。もちろん、ふくみは自分が考えたところで彼女たち以上の視点を得られるとは思っていなかったが、一度向き合ってみたくなった。

 彩佳が、これを解こうとしている。

 なにか、力になってみたいというのが動機でもあった。

 とは言うものの、こんな意味不明な暗号、解き方の見当もつかなかった。きっと、これだけでは意味をなさない。ローマ字を変換したものだというものはわかる。全てに子音がくっついているからだった。暗号を日本語に戻して、一文字ずつずらしたところで、意味は通らなかった。

 なにかそういう指示書が有る。こんなものは、闇雲に変換したところで、偏見で描いた狂ったデッサンみたいに、元の形を失って崩壊していくだけだった。

 諦めて、バンドを見た。孟徳とは違う。音楽の種類としては、孟徳のバンドと同じもののように聴こえた。使う楽器も、流行りなのか全く同じだった。

 精密女が、ステージの方を見ているふくみに気づいて人混みの中から現れる。

「暗号はどうしたんです? 音楽が気になってきました?」精密女は騒音の中だったので、大声でそう言ったが、ふくみの耳を使えば普通に話したところで聴くことは出来た。

「別に」ふくみも大きめの声で、言いながら目をそらして、端末に視線を戻した。「わけのわからない暗号だなって、思っただけ。多分、そう難しいものじゃないと思うけど、単純すぎて、なんだか内輪のノリを見せつけられてるみたい」

「はは、きっと真理ですよ、それは」彼女は笑って、また人混みに帰る。

 ふくみには、いつもよりも精密女がはしゃいでいるように見えた。彼女が大声を上げたのは、なにも騒音だけが原因ではない。声色が何よりの証拠だった。いつもよりも上ずっている。きっと、隠しきれないくらいに、楽しいんだと思う。

 護衛だと命じられてから、彼女はそういう様子を見せなかったけれど、おそらく案外真面目な彼女のことだから、気を抜いた瞬間なんてものは、眠っている時ですら、なかったのかもしれない。

 施設にいても趣味がよく見えない、パーソナルがわからない女だった。ジークンドーのビデオを収集するのが趣味だとは言っていたのだけれど、その格闘ビデオを観ているのは、任務のためでしか無い。現に、犯人に対する物理的な交渉の際にも、そのジークンドーのモーションを覚えさせた両腕を、暇つぶしみたいに使っていた。

 本当の趣味は、こっちなのか。

 なら今だけは気を抜かせてやろう。ふくみは思う。自分であれば、こんな騒音の中であっても、耳を使えば不審な人物くらいは明らかにできる。

 暗号から目を離して、意識を観客に向けた瞬間だった。

 何か、聞き慣れない金属音がする。

 なんだっけ、この音。ステージを見る。バンドの演奏の一部に取り入れられているものでもない様子だった。

 金属音は、ライブハウス入り口から、楽屋の方へ向かっている。

 そうだ、この音って……

 まさか、

「精密!」

 呼んだ。聞こえるのかはわからないけれど、叫んだ。

 遠くで精密女が、振り返る。

「楽屋!」

 それだけ言う。伝わったのか、精密女は頷くまもなく人混みから抜け出して、楽屋の方へ向かう。

 ふくみも後を追う。客が邪魔だ。

 あの音。

 拳銃。

 なんのつもりで?

 考えた。孟徳だろう。楽屋へ向かう理由なんて、それしかない。

 孟徳を殺してどうする。馬郡の跡継ぎと思しき彼を殺して、完全に滅ぼすつもりだろうか。

 先の、楽屋へつながる廊下。

 精密女の声。

「待ちなさい」

 言い終えるまもなく、銃声がする。

 追いつくと、精密女の背中が見えた。

 腕を振っていた。

 床から、死んだ虫みたいな音が鳴った。

「私に銃弾なんか意味ありませんよ。私は、見たらわかると思いますが、機械化能力者です」

 相手は帽子とバイザー型のサングラスをして、顔を隠していた。誰だ。背丈すら誤魔化している可能性がある。

 犯人は、銃弾が通じないと知ると、何もできなくなっていた。

「銃を捨てて」

 ふくみは、精密女の後ろからそう告げた。彼女の背中にしがみつく格好だった。こうしていれば、下手な柱の後ろに隠れるよりも安全だということは、前から知っていた。

 犯人はすくむ。

 その隙を、精密女は狙おうとした。

 というのに、

「な、何があったんすか!?」

 孟徳の声が、楽屋の扉が押し開かれるのと同時に聞こえ、

「馬鹿!」精密。「戻って!」

「うわ!」

 理解して、引っ込む孟徳。

 犯人はその扉を押さえて、銃を持った片腕を突っ込んで、中に向かって数回発砲する。

 火薬が炸裂する光が薄暗い廊下に広がる。

 精密女は駆けた。

 犯人は逃げる。

 追う精密女を見送って、ふくみは楽屋の様子を覗いた。

「大丈夫!?」

 孟徳たちは扉の脇で小さくなっていた。

「なんなんすか……さっきの……」

 泣きそうな声を漏らす孟徳たちに、それでも怪我は無さそうだった。

 銃弾は鏡に当たって、割れていた。その他の弾は壁や床に当たったらしい。

「ここでじっとしてて」

 ふくみは孟徳に言い残す。

「え、茅島さん、行っちゃうんですか……?」孟徳は震えながら言った。「そんなあ、危ないですって! ここにいましょうよ!」

「残念だけど、そういうのが仕事なのよ」

 踵を返して、楽屋を後にして、ふくみは精密女を追った。

 端末。精密女からのメール。

『スラム街に逃げ込みました』

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