3章 私は終わり、貴様は怒るか喜ぶか死んでいる

彩佳1 12日 12時

 翌日だった。その日の十二時。

 私達は再び区役所を訪れていた。別に、許可は得ていたけれど、私はびくびくした気持ちを、隠し通すことが出来なかった。その理由は、美雪にあった。

 ここは事務室だった。仕事がしやすいように暖房が効いており、壁には市民に対するキャンペーンの案内が表示されていた。まっすぐに並んだ職員の机には、全て仕事用のデスクトップコンピューターが乗せられており、さっきまで誰かが使っていたが故の熱が、キーボードの表面に残っていそうなものばかりだった。

 美雪はその中のひとつを、許可なく操作していた。当然、区役所内に入ることは許可されているのだけれど、コンピューターの中を覗き見ることまでは許されてはいない。そもそも、どうして操作なんかが出来るのかと言うと、彼女のクラッキング技術がそれを可能にしていた。美雪は、他人のコンピューターに対して不正アクセスする技能と、アプリケーションと、物怖じしない度胸を備えていた。

「ねえ、美雪……」

 事務室と言えども、昼時なのか人は少ない。なおかつ、広い室内ではあった。その中の、隅の方に私達はいた。これ自体は個人のコンピューターではなく、備え付けの共用のもののようだった。それでも、区役所内のデータベースにアクセスできるという意味では、誰のものだろうが美雪にとって差のあるものではない。

 ここから眺める室内は、整えられていた。機械の載った机、機械の載った机、機械の載った机。そればかりが見える。ラジオを流しているのか、作り込まれた人の声だけが、暖房から送風される温風と一緒に、持続的かつ強迫的に聞こえていた。

「大丈夫だって」美雪はキーボードを触りながら、笑った。「心配性だなあ彩佳は。一応中に入るアポイントは得てるんだから。一般の人が見学に来るって、結構あるらしいよ」

「そうだけど……」

「こういうのは、堂々としてたら怪しまれないって」

 そもそも何故こんなことをしているのかと言えば、暗号に完全に行き詰まった私たちの出来ることは、区長からもたらされる新しい情報を待つこと以外に存在しなかったからだったのだけれど、昨夜に来た区長からの連絡は、多忙のため調査が遅くなる、という昭然とした文面だった。

 殺人事件まで起きているというのに、そんな漸進的なことをしているわけにもいかなかった。犯人もパーツを狙っているという話もあるという仮説から言えば、さっさと、こちらが先にパーツを見つけてしまったほうが、どう考えても最善だろう。

 まずは前の区長の個人情報を調べようと思って、私達はこんなことをしている。

「……美雪、まだ?」

 私はあたりを見回しながら言う。まばらではある。時間が経って、昼食に出る人数が増えたので、さらに誰もいなくなっていった。けれどその時間経過が、私には怖かった。面倒な人間に見つかったとなれば、警察に突き出されて、久喜宮の厄介になって、終わる。

「もう。彩佳、役所が怖いの?」

「……うん」

「あはは。いるよね、そういう人。何も悪いことしてないのに、警察が怖いみたいな」

 そうしている内に、ディスプレイに前区長のことが表示された。経歴が、真っ白い表にまとめられたものだった。立候補する際に提出した、履歴書みたいなものだろうか。こうしてみると、インターネットに記載されていた情報と、そこまで大きな違いは見受けられなかった。

 舘田キンジ。四十五歳。男性。区長となるために機械化能力者となり、左腕に区所有のパーツを搭載している。中央コンピューターに承認された正式な区長。去年に事故死。

 そこには、彼の仕事場と、彼の自宅の住所も記載されていた。自宅は上層にあり、区役所からは車さえ使えば、遠いものでもなかった。

 仕事場は区役所内の十五階。会議室Dという所だった。久瀬川が何処で普段働いているのかは知らないが、ここが区長室の正式名称なのだろうか。元々あった会議室を改造でもしたのか、中央コンピューターがあるが故に、それほどまともな区長専用の仕事部屋すら、もはや必要がないみたいだった。

 美雪は更に、中央コンピューターについての情報を出す。

 画像が表示される。確かに区役所の一室のようだった。それが何処なのかまでは記載されていない。久瀬川もその場所は知らないと言っていたことから、セキュリティとして、役所の人間にすら、場所を周知されていないのだろう。

 写真では、部屋の中央に、巨大なタワー型コンピューターのようなものが設置されていた。樹だ、と私は思った。ディスプレイは何処にもない。この中に人工知能のようなハイスペックな機械があるはずだけれど、それがどう動いているのか、ディスプレイがなければ知りようがないのが、私には怖かった。

 前面部分には窪みがあり、そして近くから延びたコードの先にヘッドセットが繋がっていた。なんの機械だろう。気になっていると美雪が説明してくれた。

「これで認証するんだと思うよ。この窪みに左手を入れて、頭にこれをつけて人格パターンを読み取って、この人を区長にしますって認めるんだよ」

 さらに進んでいくと、前の区長が中央コンピューターに自分を認識させている時の写真も出てきた。美雪の言った通りの方法で行っている。疑うまでも無かった。

 前の区長に関しては、区役所のデータベースに入っている範囲ではそのくらいが限度だった。

 美雪が言った。

「この区が中央コンピューター頼みの運営をやってるっていうのは本当だろうね」

「上手く行ってるのかな、それ」

「さあ。私は知らない」

 美雪が次に表示させたのは、久瀬川区長のプロフィールだった。前の区長と同じような形式のデータだった。

 私はまた周囲を見た。人数は、さっきとさほど変わらなかった。それほど時間が経っていないのだから当たり前だ。

 画面に視線を戻す。

 久瀬川ミコ。三十歳。女性。現区長。非機械化能力者。槇石家の推薦で区長に就任。中央コンピューターの承認は受けていない。

 そして目を引く一文。

 下層出身。

「へえ……」私は息を漏らした。「槇石がお金を出してるっていうから、上層の人だと思ってたけど違うんだ」

「まあ……パフォーマンスとして両方の人材を起用するっていうのはあるからねえ」

 その後、区役所のデータベースを漁ったが、暗号に関するものは見つからず、美雪は諦めてコンピューターを閉じて席を立った。とくに、誰にも咎められなかったことに、私は安堵する。

「次、どうする?」ふたりで事務室を出るところで、私は尋ねる。「もう帰る? 前の区長の自宅でも行く?」

「彩佳、まだ早いよ。昼ごはんもまだでしょ」美雪は、若干私を馬鹿にしたように言う。「まだあるよ、ここでやること。前の区長の仕事場を調べるんだよ」

「それって……え? 勝手に入るの?」

「見学の許可は取ってるってば」

 行こう行こうと、彼女は私を引っ張って廊下を進んで行った。私は止めて、彼女を連れて帰ろうとしたが、美雪に力負けをした。

 エレベーターに乗り込んで、十五階へ辿り着く間、私は誰にも見つからないようにと、目を閉じてずっと祈り続けていた。

 十五階で降りて、廊下の先にはいくつかのドアが見えた。横に貼り付けてあるプレートには、何処も会議室だと書かれていた。前の区長の仕事場はDだったはずだ、覚えている。区長が働いていたのだから、さぞ重要で人の多いセクションなのかと思いきや、なんの活気もなく、昼食時のためか廊下一帯が静かだった。

 進んで、問題の会議室の扉に手を掛ける。

 鍵は掛かっていた。電子ロックだった。

「駄目だ美雪」私は振り返って、彼女に言う。「開かないよ。諦めよう」

「ああ、電子ロックなら開けられるよ」

 そんな恐ろしいことを言って、彼女は小型の人間の手みたいな機械を、扉の横の認証端末にかざした。

「施設の先輩の機能が、鍵開けなんだけど、その仕組みを教えてもらって作ったんだよね、これ。いらなくなった腕パーツを改造してさ」

「あんたそんなことまで出来るんだ……」

「まあこれからの時代は、こういう状況に適応したフレキシブルさだよね」

 待っていると、本当に端末に反応があった。パネルの部分に、当たり前のようにアンロックと表示されて、呆気のないほど簡単に扉は開いた。

 私はもう後戻りが出来ないことに覚悟を決めながら、前の区長の仕事場へ、暖簾でもくぐるみたいに、慎重に踏み込んだ。

 室内は、カーテンを閉め切っているのか、暗い。籠もった熱気が、冬に似つかわしくないくらいに私たちを襲った。大量に敷き詰められたゼリーの中に、身体を浸していくような感覚があった。

 美雪は明かりのスイッチを探して、点灯させた。

 電灯が光って、部屋の様子がそこで鮮明になった。

 一般的な会議室だった面影はあった。巨大なモニター、防音材の入った壁が目立つ。そして、長机が壁に寄せられて置かれていた。その上には雑多な物、コンピューターや、資料の類。さらには飲みかけの缶コーヒー、捨てられていないゴミ。近くに置いてあるゴミ箱を見ると、まだ中身が捨てられていなかった。

 棚も置いてあり、そこにはファイルが収納されていた。

 ここは、確かに誰かの仕事場だったのだろう。けれど、随分と使われた形跡はなかった。というよりも、封印してあったという印象のほうが強かった。

 前の区長の死から一年もの間、一度も開かれていない可能性すらあった。

「……汚いね」美雪は嫌そうな顔をして、机に近づく。「とりあえず、なにか無いか探してみようか」

 物色する。美雪は前区長のコンピューターの中身を、私は机に散らかっているものや棚に収納されたファイルを調べた。

 先に成果を上げたのは、私の方だった。自分の背丈ほどもある棚の、その半分ほどのファイルを調べては床に捨て、というのを繰り返していたときだった。

「美雪。なんか……きな臭いのが出てきたんだけど」

 私が呼びかけると、彼女はコンピューターの前から飛び跳ねて、私に近寄って、手に持っていたファイルをしげしげと覗き込んだ。

 書かれていた文言が、私の興味を引いた。

 美楽華区更新計画。

 そんな話は、前の区長のプロフィールにも、住人の例えば岡芹やセナのような親切な人間から耳にしたことすらなかった。前の区長の成果であるとするなら、聞こえてきても不思議ではないはずだ。

 その理由は、読み進めると同時に判明した。

 この更新計画は、要するに上層と下層、どちらかを残し、どちらかを潰して一つにしてしまおうという都市発展計画だという。この街の状況は不健全で、諍いが絶えないのは、上層と下層という分断が原因だからだ、というエゴイスティックな考えがベースになっていた。

 ひとつにするとは聞こえが良い。実際には、どちらかを解体し、まっさらにして、土地ごと隣の区や国にでも売り払ってしまおうというのが、その本筋だった。

 そんな後ろ暗い計画は、前の区長の死によって、現在は凍結されていた。権限は、久瀬川に引き継がれているが、その久瀬川も中央コンピューターの承認を受けないイリーガルな区長という立場から、更新計画を進めるほどの権力を持ち合わせていない。

「誰も口にしないわけだ」美雪が呟いた。「こんなの……だめだよ。一つにして、綺麗になるわけない。気に入らないって人が、区役所に喧嘩を売りに来て、とんでもないことになるだけだよ。凍結されたなら、記憶から消したほうが良い」

「……そうだね」私は頷いた。「でも……結局これって上層が残るんでしょ。だったら……上層が恨まれる理由もわかる気がする」

「下層やスラムにとって、上層は本当に敵みたいだね」

 舌打ちを漏らしながら、美雪はコンピューターに戻る。私はファイルの物色を再開したが、それ以上は特に何も見つからなくて、美雪を待っている間に、私はここに私がいたという証拠を消すために後片付けをしていた。

 その時、美雪が声を上げた。

「あった、彩佳!」彼女は私を呼ぶ。「見て! これ、暗号の原本だよ!」

 私は掴んでいたファイルを捨てて、慌てて美雪の頭越しに、ディスプレイを覗き込んだ。

 そこには、あの私達が頭を悩ませているが結局よくわかっていない、暗号。

「私達が順吉さんに見せられたものは、画像データだったよね」美雪は、画面を指で示しながら言う。「この文章を、ディスプレイごと撮影したんだよ。だから、肝心の部分が写っていなかったんだよ。これ、見て」

 その部分とは、

「上層……」

 暗号文の付近に、上層と書かれていた。

「つまり…………、下層があるってこと?」

 私は口にする。口にしてから、その意味を理解した。

 なんだ、これだけで考えていたって、一生解けないんだ。

 そこにはきっと、諦めと安心が同時に存在していた。

 解けないようになっているんだから、私達がわからなかったのはしょうがないんだ、きっと。

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