ふくみ4 12日 1時
一時だった。
ふくみは寝不足のような身体の不調を感じていたが、一二時間ずれるというこの館のルールに照らし合わせると、まだ昼過ぎでしかなかった。いつになったらこの生活リズムに慣れるのか、そんな展望すらわからなかったし、慣れなくたって、別に良かった。
精密女が、そろそろ下層の調査でもしよう、とふくみを連れ出したときだった。リビングの前を通りかかったふくみたちを、中から出てきたすずめが呼び止めた。
テレビでニュースを見ていたらしい。開いた扉の隙間から、淡々とした音声が流れてきていた。
その内容は、
「ねえ、聞いてよ」すずめが、言った。「上層でも殺人だって」
「え……?」
ふくみたちは驚く。リビングへ立ち入り、テレビから垂れ流されているニュースを眺めた。ソファには、孟徳も座っていた。気味が悪そうに、画面を見つめていた。
――上層の資産家の住む、フリーフォール館で殺人。
――被害者は槇石順吉。
――死因は失血死。頭と左腕の切断。
どういうことだ。
レディファンタジー館と、全く同じ状況だった。
「これは……」精密女が腕を組みながら呟いた。「美雪さんに尋ねたほうが良いでしょうねえ。彼女たちが無事なのか、それも気がかりです」
「……ねえ、彩佳は、大丈夫なの?」
「さあ。何かあればこっちに連絡が来るはずですが、何もありませんから、順調に事情聴取にでも巻き込まれて、定時連絡で上層部に報告して、それっきりでしょう。つまり、無事なんじゃないですかね」
「そう……」ふくみは安堵する。「でも……こっちと、状況が一緒じゃない。もう模倣犯でも出たわけ?」
「さあ。でも変ですね、確かに」
ふくみたちの会話を尻目に、すずめと孟徳が話している。
「……こりゃ危険かもね」すずめは唸った。「出かけるの、辞めたほうが良いのかな」
「おいおいおい、すずめ、何いってんだよ」孟徳が立ち上がって、腕を広げて言う。「こういうときこそ、俺達がビクビクしちゃいけないだろう? それがバンドマンにできる方法だ」
「私、バンドマンじゃないわよ」
「何でも良い」孟徳はふくみの方を向いた。「茅島さん、出掛けましょう。俺も、犯人探し、手伝いますよ。下層の土地勘ならあります。知り合いも多いですから、いざとなれば危険も少ないです」
ふくみたちは断ろうとしたが、この男のしつこさには音を上げるしか無かった。結局、彼らは予定通りに出掛けることにしたらしく、ふくみたちと一緒に家を出た。
起きて数時間、玄関をくぐったというのに、外が暗いのが、ふくみにはまだ信じられなかった。自分の心境にも近い景色だと思った。今の自分には、こんな夜の街が似合うのかも知れない。
館が離れた場所にあるために、下層の繁華街へはそれなりの距離を要する。その間に、わけのわからない道順を辿る。ふくみはすでに、自分が何処を歩いているのかわからなくなっていた。精密女が記憶しているらしく、自分の手を引っ張ってくれているが、彼女がいないとしたらどうなっているのかわからない。音を頼りに目的地へ歩くというのにも、限界はあった。
孟徳は、すずめやふくみ達よりも前を歩きながら、楽しそうに街についての説明をした。またライブなのだろう。背中には楽器が入ったケースを背負っていた。その重さは、彼にとっては軽いものなのかも知れないが、ふくみは自分が背負うことを想像すると、顔をしかめるような思いだった。
ああ、それにしても、雑多でわけのわからない街だった。彩佳の住む海把区も、海沿いということもあってか、生臭さを感じるくらい混沌としているが、ここは本当に、上層を追いやられた人間が、無理に居場所を作ったような、そんな印象を受ける。偏見だろう。ふくみは反省した。
増築を重ねたビルディングの並びが、すぐに倒れてしまいそうに見える。それらをつなぐ電気ケーブルと、ネオン看板が街の主な光源だった。まだ繁華街ではないというのに、いくつか飲食店が開いていた。客足は、さほどでもない。
孟徳は、歩きながら言う。
「下層には、上層より機械化能力者も比較的多くですけど、住んでるんですよ。まあ本人から言わないので、実際にそうだと思って会ったことはないですし、知り合いにもいませんけど」
「なら……」精密女が返事をする。「おそらくですけど、犯人は機械化能力者ですから、下層に潜伏しているでしょうね。上層に比べて、下層にそういった人間が多いのであれば、こっちにいるほうが目立ちませんね」
「ねえ精……鈴木」一瞬精密女と言いそうになって、言い直してからふくみは尋ねる。「どうして機械化能力者だって言えるの?」
「いつものあなたなら、わかってると思いますけど」精密女は、そんな嫌味を付け加えて説明する。「死体の特徴。切断なんて言うのは、別にさほど大規模な道具を使う必要はありません。むしろ必要なのは腕力。それよりも気になっているのは、生きたまま血を抜かれたという部分ですね。その証拠が、暴れたという、あざ」
「ああそうか……。そんな急速に血を抜くような道具なんて、医療用のものしか無いから、考えられるのが、血とか水分を抜き取る機能ってことか。一般に、そんな医療用器具は入手しづらいとしても、自分に機能として搭載されているなら、それも不可能じゃないってことね」
「そうそう。考えればわかるじゃないですか」はは、と精密女は笑う。「機械の腕であれば、切断に必要な腕力もありますからね」
確かに、いつものふくみなら別に、そこまでの考えに至ることは、対して難しくはなかったはずだった。その考えが正解なのかはともかくとして、仮説の一つとして浮かべておくのも、悪くはなかったはずなのに。
なんだか、まだやる気がでないのか。ふくみは頭をかいた。いつもなら、仕事なんだからさっさと犯人を見つけ出して報告しよう、ということを念頭に置いているというのに、今に至るまで、結局本腰を入れられていない自分を自覚する。
彩佳が気になるんだ、きっと。彩佳が心配なんだ。
これが、日頃彼女が抱えている気持ちだったのだろうか。
下層の繁華街は、賑わっているように見えた。
けれど、孟徳が言うにはどこか殺伐としているような雰囲気を、漂わせているらしい。一度しか足を踏み入れていない街の、住民の機嫌の違いなんて、耳の良いふくみだってわかるはずもなかった。
歩いていると、言い争っている住民を、数回目撃した。これもいつものことなのかとふくみは素通りしようとしたが、孟徳がその争いを止めに入った。つまり、争いはいつものことでもないらしい。争いの内容を聞くと、どうもお互いを、豊人殺しの殺人犯だと決めつけていることが、主な原因だった。
豊人の死で、この街の日常は、少し陰っていた。
ふくみたちは、街角にある屋台のような場所で食べ物を買った。時間から言えば、昼食という計算になるが、ふくみの身体は食事をしようというつもりではなかった。ともすれば、吐いてしまうかも知れないが、まあ何も食べないよりはマシだと判断して、ハンバーガーを買った。精密女は、こういう時でも、昼間と変わらないでずっと同じ調子だった。肉体まで機械なんじゃないか、と疑うこともあった。
橋の上で、暗闇を流れる川を凝視しながら、四人で食事をする。
真っ先に食べ終わった孟徳が、飲み物を咥えながら言った。彼が何を注文したのか、ふくみは見ていなかったので知りもしなかった。
「親父が死んで、馬郡家も終わりですかねえ。その不安や、ここぞとばかりに出てくるような人間が治安を乱してるんでしょうねえ……」
孟紀が、今まで見せたこともないくらい、寂しそうに呟く。
「これから、葬式もあって……そうしたらあの家を出て行けなんて言われるんでしょうね。あそこは、下層を代表している地位にいる人間が住まうところですからね」
「どうすんの、これから」
ふくみが川に石を投げ落としながら尋ねた。音は聞こえたのに、波紋の広がりは、見えなかった。
「まあ、俺はこう見えて売れっ子バンドマンなんで、住むところには困りませんけど……すずめはどうするんだ?」
「さあ……」すずめが答える。ぼーっと空を見上げていた。「この街を出ようかしら。疲れてきちゃったわ。それか、あんたと一緒にいてあげる」
「はは、まあ姉弟だからな。俺は街を出るつもりは、毛頭ないぜ」
孟紀は視線を町の奥の方へ向ける。その方向に何があるのか、ふくみは知らない。耳を集中させても、うるさい酔っ払いの騒ぎしか聞こえなかった。
「スラム街にも聞いてみるべきかな……」
「スラムって……」
彼に、ふくみと精密女は同時に尋ねた。スラムという単語を、ここへ来て聞いたような気はしたが、本当にスラム街が存在していると認めてはいなかった。
孟紀は、まああまり言いたくはないんですが、と前置きをしてから声を落とした説明した。
「彼らは、上層に住むに値しないとされた下層、その下層すらも追い出された弱者ですね。彼らは、その、上層と下層の両方に恨みを持っているんです。妬みが原因でしょう。まあ、追い出されたとなれば、そう考えるのは当然です。時折、暴力的な手段に出ることもあって、美楽華区じゃあ一番の課題になってるんですが、住み処を強制撤去したところで、どんな手に出るかわかりませんから、何も出来ずにいるのが現状ですね」
「つまり」精密女が、指を立てて言った。「馬郡と槇石、その両方を殺す動機があるのは、スラムの人間ってことですね」
「まあ……身も蓋もないこと言ってしまえばそうですけど……」孟徳は、顔をしかめながら答えた。「だからって……あんまり近づいちゃ行けませんよ。犯人を探して欲しいのは本当ですけど、あそこは真剣に危険です。無法地帯ですよ。そりゃ、中央コンピューターによる監視は入っていますけど、全てをカバーできているとは言えないんですよ。何を隠し持ってるかわかりませんよ、ホント。こういうのは、俺に任せてくださいよ」
「ちょっと待ちなさいよ」ふくみは口を挟んだ。「危険だって言っておきながら、あんたに任せろって……あんただって危険でしょ」
「まあまあ、俺だってね、正面から乗り込もうなんて思ってはいませんよ。なんの証拠もないんですし、無意味だってことは俺にだってわかりますよ」孟徳は胸を張った。「うちのバンドメンバーの一人が、スラム街出身でしてね。いろいろと詳しいみたいなんですよ。怖いから、あまり尋ねたことはないんですけど。あいつに……親父と槇石順吉を殺すという手段に出そうな人間に、心当たりが無いかを訊いてみますよ。これからライブなんで、直接会うわけですからね」
孟徳は、思うほど思慮の浅い人間ではないようだ。きっと、彼の中で、父親を殺されたという悔しさが滞留しているのかもしれない。
そう思っていたのに、すずめがため息を吐いた。
「あんた、張り切ってるわねえ……あんな親父が殺されて、私は悲しくもなんとも無いわよ。殺されたって……文句は言えないわ」
はっきりと、そう言う。ふくみは、孟徳の気に障ったんじゃないかと不安になって、彼の表情を見たが、それでも彼はいつもと同じように、へらへらと笑っているだけだった。
「おいおい、すずめ。お前は親父のことを、わかっていないだけなんだよ。そりゃ無茶をやってきた、頭のおかしい親父だとは思うがな、殺されて良いとかそんな問題じゃないと思うぜ?」
「でも……」すずめは、うつむいた。「私は、あいつが殺されて、悲しくないのは、本当だもの。そこを無理に誤魔化したって、誰が喜ぶっていうのよ。親父だって、嬉しくないでしょ。私と……あの人の関係は、これでいいのよ。養子のあんたにはわからないと思うけどさ」
「なにぃ? 血の繋がりは関係ないぜ」
ふくみは、その様子を見て、変な感覚に陥った。
どれだけ、気に障るようなことをすずめに言われても、孟徳は怒ることすらしなかった。これが、この彼らのバランス。それで、彼らは上手く行ってるのだろうか。いや、疑うまでもなく、彼らの仲は良かった。
すずめは、父親のことは嫌いだが、孟徳に気を許している。そこは、一緒に暮らすものとしては、理想的な関係だと言えた。けれど父親のことを、そこまで嫌う理由はなんだろう。興味があったが、直接尋ねる気にはなれなかった。
ふくみはそこで、彩佳と喧嘩をしている自分を、また自覚して、彼らと比べた。
何が違う。
順調な彼らと、どうにもおかしい私達と。
「さて、孟徳」すずめが何処かへ歩き出そうとしながら、言った。「今日はうちのクラブに来てくれるんだっけ」
「ああ、勉強になるしな」孟徳は頷いて、そしてふくみたちに何事かを伝えた。「すずめは、クラブでディスクジョッキーってやつをやってるんですよ。俺ほどじゃないが、まあまあ客は入ってるんですよ。これからライブに備えて、うちのバンドメンバーで聞きに行くんです。スラムのやつも来ますから、一緒にどうですか?」
まあそこまで言われて断るのもなと、ふくみは考えてから、渋々了承した。
クラブなんて、美雪に話を聞いたくらいで、足を踏み入れたことはなかった。
どんなに恐ろしいところなのか、彼女の話だけでは、その解像度を鮮明にすることは出来なかった。
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