彩佳7 11日 22時
敏弘に開放された私達は、客室に戻った。
あの父親に、妙に感傷的な気分を押し付けられた私は、なんだか口を利く気分にもなれなくて、ベッドに寝転がっていた。美雪はまた、飽きもせずにコンピューターを触っていた。
もう眠ってしまおうかと考えているときに、私の端末が鳴った。電話だ。相手を確認すると、久喜宮だった。文字列で、彼の名前を見ることがなかったから、私は一瞬、それが誰なのかを思い出すことも出来なかった。
あの不良刑事、一体何の用だ。
私は身体を起こして、二秒待ってから電話に出た。
「はい……加賀谷ですけど」
『おお、ちゃんと出やがった。俺だ、わかってると思うが、久喜宮だ』
なんだか失礼なことを言われたような気がしたが、私は彼の次の言葉を促した。
「何かあったんですか」
『大したことじゃないんだが、そっちの状況が知りたくてな。報告してくれ』
なんでそんな仕事みたいなことをしないといけないんだ、と私は愚痴をこぼしそうになったけれど、非番とは言え刑事の彼に反抗する勇気はなかった。
私は今日のことを彼に、なるべく詳しいとまでは言わないまでも、理解は出来るように説明した。区役所へ行き、区長に会って、その帰りにセナが下層の同級生に因縁をつけられたことも言った。区役所では、特に暗号に対するヒントみたいなものは見つかっていないとも付け加えたし、久瀬川が協力してくれているとも添えた。
『セナちゃん、いじめられてんのか』
呑気に、それでも深刻そうに、久喜宮はそんな声を漏らした。区役所についてはなんの感想もないらしい。
「まあ……普段はやり返してるそうですけど」
『じいさんが殺されて、そんな元気もないってか』
「……そうみたいでした」
『じゃあ、こっちも新鮮な話を教えてやろう。検死結果が出た』彼は話題を変えた。『死亡推定時刻は間違いなく夜、あの時間帯だ。死因は失血死。そして死体には、大量のあざ。これは、上半身にのみついていた』
「上半身?」
『ああ。下半身は縛っていたらしい。現に縄の痕も確認されている。逃げないようにするには、それで十分だとは思う。腕も切断しなくちゃいけないしな。死因は失血死と言ったが、これは生きたまま血を抜かれたことが原因で間違いはない。血を抜き、殺した後に、頭と左腕を切断した。一見すると、猟奇的な犯行だな』
はあ、と久喜宮はため息を吐く。
『あとな……もう一つ重大なことを教える。いいか、気を引き締めてくれ』
なんだ。
急にそんなことを言われたら、私としても生唾を飲み込まざるを得なかった。
美雪の方をちらりと見る。久喜宮の声は、彼女の方には聞こえないようだったが、私の様子を察して気にしてくれていた。
久喜宮は、言った。
『レディファンタジー館、知ってるよな』
「ええ……茅島さんが、そっちにいるはずですけど」
『そっちでも、殺人事件があった』
「え……」
嘘だろう。そう声に出してしまいたくなった。
何か、頭の悪い冗談にしか見えない。
『詳細は、まだ伝わってきてないんだ。なにかわかったら連絡する。殺されたのは……そこの馬郡豊人だ。俺は部外者だから、どんな人間なのかは知らん』
「そう……ですか」
被害者が茅島さんじゃなかった、という事実で、私はしてはいけないような安堵を覚えた。
馬郡といえば、下層で幅を利かせている資産家だった。槇石とは、似たような立場になる。
『ということでな、今、この区の治安は最悪と言ってもいいだろう。下層と上層、双方の首領みたいなのが、一度に殺されたんだ。代わりの、新しいヘッドが名乗りを上げても良い頃だろう。そんな事を言うと、暴力団のようだが、結局はそういう街なんだよここは。今は下層と上層の関係は、本当に何が起きてもおかしくないんだ』
「……はい」
『あんたらも、無闇に出歩くんじゃないぞ。まあ夜の間は安心か。けれどな、誰に襲われるか、わかったもんじゃない。そのセナの同級生の奴らとかいうのも、セナちゃんになにをするかわからん。俺もなるべくそっちへ行きたいが、今は非番の、ただの趣味でここに来ているおっさんに過ぎない。危ないところには行くなよ』
「わかりました。ありがとうございます」私は言う。
『殺人事件の犯人もうろついてるっていうんだもんな……。そっちの方も、まるでわからん。警察の方でも、ある程度の目星っていうのはついているが、信用はできんさ。あいつらは外部犯、それも下層やスラムの人間の可能性があるとしているが、あくまで可能性だ。俺は内部犯だって、疑うべきだと思うがな』
「内部って……」
『言いたくはないが、セナちゃんだって、犯人かも知れないんだ。何処かで疑う心ってもんは、持っておいたほうが良い』
「……そんな、いや、ありえないでしょ」
『否定材料がないだろう。疑うだけ得さ。それに、あの娘の証言が、あの時間帯に物音がしなかったという不可解な状況を作り出しているだろう』
「それが……嘘だって言いたいんですか?」
『……まあ、わからんがな』
気をつけろよ、と申し添えて、久喜宮は電話を切った。
セナ……。あの男に、そんな入れ知恵をされたら、もう疑いの目で見るしか無くなってしまっていた。公園で因縁をつけられたときも、祖父が死んで悲しんでいたときも、区役所で、自分たちの役に立ちたいと言って同行した時だって、全部演技なのだろうか。
「どうしたの?」美雪がいつの間にかベッドの近くに立って、私を見ていた。「誰からだった? 久喜宮さん?」
「うん……」
私は頷いて、さっきの内容をそのまま美雪に伝えた。
美雪は聞いて、セナが犯人かどうかよりも、血を抜いて首と左腕を切断したことの不可解さが気になっていたようだった。彼女の場合、あんな親密な態度をとっておきながら、普段の仕事の影響か、関係者のことは全員疑っているようだった。
わかっている。当然、茅島さんだって、そういうスタンスを取るだろう。私もバイトとは言え、そういった物の考え方をするべきだと思うし、いつもなら別に、誰のことだって信用なんかしていない。
でも、セナちゃんに限って、本当に犯人である可能性はあるのだろうか。何か……否定材料が心の底から見つかってほしいと、私は願ってしまう。
その理由は明らかだった。自分が……慕われていたからだ。
お前は単純だ。私は自分に対して、これ以上無いくらいに呆れてしまった。
そのときに、扉がノックされた。
美雪が応答に向かった。私は時計を見た。二十二時。もうこんな時間か。夜ふかしをしたって、別に咎める人間はいなかったが、夜の間は外に出られないとなると、昼間にあまり寝て過ごすというのも、合理的だとは思えなかった。
美雪が戻ってくる。
「セナちゃんだった」
言い知れない、緊張。
「三人で一緒にお風呂にでも入ろうってさ。行こう」
「うん……わかった」
私は準備をする。この家の浴室はかなり大きい。三人であっても、窮屈さを感じることすらないだろう。
でも、どうして私達と入りたいだなんて、彼女は言うのか。
今日の一件で信頼されている。
それとも何か裏がある。
セナ……セナが、夜中になんの物音もしなかったという証言をする理由って、なんだろう。犯人だとするなら、それも不自然じゃないか。だって、誰か違う人間がいたようですって説明したほうが、自分への疑いは薄まるんじゃないか。
別の理由。
そう、例えば、誰かをかばってるとかいった、合理的な理由が必要だった。
いや、疑うのはよそう。
証拠が揃って来てから、考えれば良いんだ。
そうやって、私は逃避する。
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