ふくみ3 11日 21時
二十一時。
ふくみはリビングで、矢畑の暇つぶしを眺めていた。
精密女は、上層部への連絡のために部屋で電話をかけていた。それは本来、ふくみの役割でもあったのだけれど、どうにもやる気のないふくみを見かねて、精密女は自分がやると手を上げた。そして、忙しいから、とふくみを部屋から追い出した。
矢畑はゲームをしていた。使用人らしくない趣味だと思った。けれど、使用人らしい趣味ってなんなんだろう。その使用人らしくなさというのが、リビングの占領率という観点にあるということに気付くのに、二分ほど掛かった。彼はリビングの半分ほどを、広げたゲームプレイ装置で埋め尽くしていた。これでは、ふくみのくつろげるスペースがあまり存在しなかった。
矢畑は、ふくみの姿を確認すると、説明する。ふくみたちは護衛には失敗した、けれど警察からの言いつけがあって、勝手に帰って貰うわけにもいかないから、もうしばらくは館に滞在してくれ欲しい、ということだった。ふくみは了承し、何もしないのは悪いので、殺人事件の調査をこっちでも行うと伝えた。どうせ、上層部はふくみたちにそうするように指示を出すだろうし、自分たちの本分は、機械化能力者による殺人事件の調査だという自負だってあった。
「犠牲者が、一人だけだと良いんですがね」矢畑が呟く。悲しそうな声色だった。ゲームをしているのも、現実逃避だろう。「豊人さん以外に、もう誰も死んでほしくないんですよ。警察にも、警備を増やすようにお願いしました」
ふくみは、ポケットから両手を出さないで、矢畑の言葉に頷いた。
そうは言うものの、調査に対してまるで乗り気になれないのも本当だった。自分は、どうしてしまったんだろう。ずっと眠いし、ずっと面倒だった。本来の自分の性格が、それほど自堕落であったという自覚は、ふくみにはなかった。仕事を真面目に行えば、施設を出て自由になれることを、別に疑っているわけでもない。
なのに、彩佳のことで、ずっと頭がいっぱいだった。
「それにしても」矢畑が言う。「一体、いつ豊人さんは殺されたのか、わかりませんね。眠っていた私も問題はありますが、起きていた孟徳さんが気づいていない程ですから、煮えきりませんよね。豊人さんから、呼び出しだってなかったから……」
「豊人さんからの呼び出しって、どういう?」ふくみはソファの空いている部分に座る。
「ああ、彼の端末に、私の端末へワンタッチ通信ができるアプリケーションを入れているんですよ。何かあれば、私が眠っていたって飛び起きられるようにしてるんですが、それも動かなかったのは、不思議ですよ」
そこまで説明されて、ようやく疑問に思えてくる。
死体の情報を思い出す。身体、指先からは、携帯端末が見つかったという話は、聞いたことがない。犯人が持ち去ったのだろうか。そもそも、見知らぬ外部犯であった場合、その姿を認めた豊人が矢畑を呼び出さないはずもなかった。
それが行われていないということは……
「顔見知りの犯行、ってことかしら」
「……考えたくもないですよ、そんなの」矢畑は、うげえ、と声を漏らす。「それって、私も疑われるし……子息の二人もそうじゃないですか」
「孟徳の証言も、信用できたものじゃないってことか……」
ふくみは立ち上がって、矢畑に別れを告げて、二階へ上がった。
孟徳に、詳しく話を聞いてみる必要がありそうだった。犯行時刻には、自分は作詞に勤しんでいて起きていた、と彼自身は証言していたが、彼にだって犯行は不可能だと証明はされていなかった。どういう方法かは知らないが、物音さえ立てなければふくみの耳にすら、気づかれることはない。
そんなことが、本当に可能であればの話でもあるが。
ふくみは、孟徳の部屋をノックした。返事はすぐにあって、扉を開けて入ってこいという指示がすぐにあったので、そうした。
「茅島さん、ちょうどよかった、俺の音楽、聞いてくださいよ。茅島さんって、耳が良いんでしょ?」
孟徳は、奥まったところにある自分のデスクの椅子に腰掛けながら、首を回してふくみに話しかけた。
ふくみは足を踏み入れようとしたが、あまり綺麗とは言えない部屋の状況を見て、扉を閉じて帰ることも賢い選択のうちの一つだろうと思い始めた。
床にはよくわからない機械の物体が、いくつも散乱していた。機械化能力者のパーツでは明らかにない。コンピューターのものに似ていたが、こういったものは、美雪でもないと判別がつかないだろう。
壁には模様の変わるポスターが張ってあった。彼が贔屓にしているバンドなのだろう。屈強そうな男性が数人、格好をつけて写っていた。それが日本人かどうかすらよくわからないほど、ライティングや補正で絵画的に小綺麗にされていた。
諦めて足を伸ばして、床を歩いた。警戒心が、彼に近づくたびに湧き上がっていった。ポケットの中で、拳を握りしめた。いつでもこの男を殴り倒せるようにするためでもあったが、それ以上に、身体の何処かに力を入れていないと、この孟徳と話すのに疲れてしまいそうだった。
「こっちも用事があるんだけど」ふくみは、あまり孟徳には近づかないで、できるだけ扉の近くで話す。「っていうか、耳が良いって誰から聞いたの」
「鈴木さんですよ。暇なときに教えてくれました」孟徳は楽しそうに答えた。
鈴木典子、つまり精密女だった。どうもあの女は、自分が隠しようもない機械化能力者であるせいで、機能の秘密保持の利点を理解していないんじゃないか。説教をする気力は無かったが、上層部に密告くらいはしようとふくみは決意した。
「ああ、茅島さん、怯えないでください」孟徳は座ったまま、やや緊張しているふくみの様子を見ながら、言う。「なにも、俺は茅島さんに女性としての興味があるわけではないんです」
「は?」ふくみは眉をひそめた。「あんた、こんな美人に向かってよく言うわね」
「ええー? 自分で言いますかそれー」
「…………ごめん、冗談よ。忘れなさい」ふくみはため息を吐いた。やりづらいな、この男は、と感じざるを得なかった。
「俺はね、もっと現区長みたいな女性が好みでしてね。見たことあります?」
「無いわよ。綺麗な人なの?」ふくみは首を振った。「それで、あんたの用事って、なに?」
「ああ、えっと」孟徳は、自分の首の後ろ側から装着していた機械を指差す。「曲が出来たんですよ。でも俺、昔から自分のミキシングが上手く出来てるか気になってて。茅島さんは、音楽は知らなくても耳が良いから、音域のバランスとか、そういう方面ならわかるのかなって思ったんで、良かったら、聞いてくれませんかね……?」
「駄目よ、私みたいなズブの素人が聞いたって……」ふくみは首を振った。「知り合いに、クラブ通いが趣味の女がいるから、今度紹介してあげるわ。その娘に聞きなさい」
「へえ。ぜひぜひ」
ふくみは、孟徳の部屋を見回した。話題の切り出し方に困ったわけでもなく、単純に見たこと無いものが多すぎて、珍しかったからだった。
散らかった部屋には、巨大なスピーカーや、街でも路上で見かけるような楽器がいくつか置いてあった。
中でも最も彼女の目を引いたのは、巨大なカプセルのような物体だった。ベッドの代わりのような位置に、そんな円筒形みたいな、無骨な機械が置かれていた。彼女の知識の中で、これが何なのかを示すような答えは見当たらなかった。
「ねえ、これも、音楽の機械?」ふくみはそのカプセルを指差して、孟徳に尋ねる。
「ああ、それは仮眠ポッドですよ」孟徳は自慢げな表情を浮かべた。「仮眠の効率を上げる機械で、三十分の睡眠で七時間と同じ程度の回復が見込めるんですよ。すごいでしょ。使ってみます?」
使えば余計に体内時計が狂ってしまいそうだったので、ふくみは首を振った。
「今はこれを使ってますから、睡眠時間が減って、空いた時間を創作に当ててるわけですよ。起き抜けにね、作詞をするといい感じなんです。まあ、この機械のメーカー的には、仮眠であってきちんとした睡眠ではないから、何もなければちゃんと寝るようにしてくれって、説明書に書いてあるんですけど」
「犯行時刻も作詞してたって言ってたわよね」ふくみは本題をようやく取り出した。「それって、間違いないの?」
「なんすか茅島さん、俺を疑ってんすかー?」孟徳は笑う。「嫌だなあ、でもね、証拠はあるんです。その時作った歌詞がちゃんとあるんですよ。親父なんて殺してたら、そんなの出来上がってないでしょ?」
「まあ……そうだけど。本当にその時作ったって証明できるの?」
「それは、昨日ライブのときにね、メンバーに未完成の歌詞を見せたんです。原形は留めてありますから、親父が殺されたときに作ったものと、同じ歌詞だってことはわかると思いますけど。それにね、テキストデータの保存時間も警察に出してありますし、俺は犯人ではありませんよ、ね?」
そう言って、孟徳は笑った。どうにもその軽い態度が、胡散臭さを助長させている事に気づいていないようだったが、ふくみは何も言わないでとりあえず頷いた。
警察の調べも入っている。作った歌詞なんて直接見なくても、おそらく疑わしい点は、今の所無いようにはなっているだろう。彼の言葉を鵜呑みにするわけではないが、ふくみは警戒心だけは解いた。
「すずめさんは、その時何してたって?」
「寝てたって言ってましたよ。あいつ、俺と違ってきっちり眠るんでね。たまにね、あいつのいびきがこっちまで聞こえることありますからね。あ、これ、本人には内緒ですよ。昨夜は、いびきは聞こえませんでしたけど、ちゃんと部屋で眠ってましたよ、確かです」
「証拠は?」
「あいつは親父のことあんまり好きじゃなかったですけど、殺すような人間じゃないですよ」
自信満々で、真っ直ぐな瞳を、彼はふくみに向けた。
ふくみは、身体から塩気が抜けるようだった。
「そんなのは証拠って言わないけど……まあいいわ」
「そうだ茅島さん」孟徳は近くにあった楽器を担いだ。「じゃあ俺の演奏を聞いてくださいよ」
「嫌よ……」ふくみは、それでも尋ねた。「あんたのバンド活動って、どんな感じ?」
尋ねた理由は、歌詞を見せたというメンバーという存在そのもの、音楽活動自体を疑っているのが理由だった。彼は嘘を言っているようには、彼女の聴力を使った範囲では、見受けられなかったが、それでも平然と嘘を口にできる人間は存在する。
「気になるんすか? 聞きます?」
「すぐそっちに持っていかないでよ。聞いたってわかんないって。売れてるの?」
「ええ。これでも、結構売れてるんですよ。下層じゃ人気でしてね。ずっとライブ三昧です。ライブでは、下層の資産家である親父の息子ってことは隠してますから、そういう物珍しさで来る客もいません。正真正銘の実力ですよ。近々、大手レーベルとの契約の話も立ち上がってましてね。まあ、待遇の良い会社にしようかと思っているんですがね」
割と子細な説明だったのだろうが、ふくみにはまるでピンと来なかった。例えば美雪なんかが聞いていれば、彼のバンドの立ち位置が、どれほどのものなのかを理解できていたのかも知れない。
やっぱりこっちの事件なんか、自分には向いていなかったんだ、とふくみは実感した。
「そうそう、今日もこれからライブでしてねえ」
彼は楽器を触りながら言う。微細な、これで満足できるのか本当に疑わしい、か細い音が彼の手元から聞こえる。
「通夜とかあるでしょ? 大変ね」
「通夜はまあ、別に。警察の捜査が落ち着いてからでいいんですけど、ちょっと仮眠ポッドだけではハードなのが正直なところですね。親父も、きっと、俺がちゃんと活動してるほうが嬉しいですよ。応援してくれてましたから」
「いいお父さんね」そうは見えなかったけれど、とは口にしなかった。「すすめさんと違って、お父さんと仲良かったの?」
「まああいつと違って、俺は養子ですからねえ」
さらりとそう口にする孟徳を見て、ふくみは驚く。
「え、あんた血の繋がりないの?」
「はい。すずめは親父の娘ですけど、なんか母親が親父に暴力を受けてたとか言ってて、母親は離婚して実家に帰ったらしいんですよ。俺は、そのことよく知らないんです。俺は子供の頃に施設に預けられていたのを、親父に拾われましたから。きっと、すずめ一人だけを育てるのに、自分と使用人だけじゃ無理だって悟ったんじゃないですかね。似たような歳の弟がいたら良いって思ったんですよ」
「豊人さんが暴力って、本当?」
「さあ。すずめが言ってるだけですから」孟徳は首を振った。「親父の性格上、まあありえないことは無いんですけど、俺はそのこと知りませんから。昔の、親父の両足が大丈夫だった頃の話でしょうけど、親父も悪いと思ってるみたいだし、すずめだって……そんな殺すほど本気で嫌ってるわけじゃないと思いますよ、断じて」
ふくみは豊人を思い浮かべる。そして今聞いた彼の過去と照らし合わせる。別に、死んでしまって嬉しくもなんとも無いという気持ちは、変わりはしなかった。
孟徳は、そしてふくみに頭を、急に下げた。
「茅島さん。俺は親父に感謝しています。だから、親父を殺した相手が誰であっても許せません。俺、協力できることがあればなんでもします。茅島さんは、そういう方面のプロだって、鈴木さんから聞きました。どうせ、あの親父は、意外とすぐ死んじまうだろうとも思っていましたけど、あんな最期は間違っています。だから、犯人を見つけて下さい。お願いします」
なんとか、ずっと気にしていた彩佳のことを、一瞬だけは綺麗に忘れながら、ふくみは孟徳の頭頂部を見つめながら、軽く息を吸ってから答えた。
「わかったわ。このプロに任せなさい」
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