彩佳5 11日 17時
十七時だった。
久瀬川と別れて区役所を後にした私達は、買い食いをしながら、歩いて館の方まで戻ることにした。道のりは、流石に整列された街だけあって、勾配すら感じない。疲れるでもなく、淡々と景色が流れていく様子が、不思議な高揚感すらも生んだ。
途中で公園に差し掛かった。ビルの合間に、罠みたいに小規模な窪地があるかと思ったが、よく見たら遊具や砂場やベンチがあった。円形の土地、その周りが全て階段になっており、コロシアムを上から見下ろしているような気分に、私はなった。
こんな街にも、公園があるのか。失礼なことを私は考えた。
セナは暇を潰しにそこに寄ろうと言い出した。私達は、階段を下った。蟻地獄の巣に自ら足を踏み入れているような錯覚があった。普通に平面に公園を作るのでは、何がいけなかったのだろう。
階段を降りきると、遊んでいる子どもたちの姿が確認できた。いや、子供と言うには少し大きいか。ちょうど、セナと同い年くらいだろうと思ってセナを見ると、
彼女は「げ」と声を漏らしていた。
遊んでいる数人の子どもたち(全員男子)はセナに気付くと、指を向けて、何かを話し始めた。こいつらがなんの遊びをしているのか、私は眺めていたが、なにか小型の機械のようなものを砂場に広げていた。複数体あって、多分これらを戦わせているらしい。
「おい槇石」ひとりがセナに向かって言う。生意気そうな、頭の毛という毛を全て剃っているガキだった。「お前、変な大人とつるんで何してんだよ。お前の爺さん、殺されたんだってな」
「は?」セナは食って掛かった。横にいた美雪はそれを止めようとしたが、セナは無視をした。「この人達は変な大人じゃない。おじいちゃんは、たしかに殺されたけど、それがどうしたっていうの?」
「あはははは」
ガキどもが笑った。私は手頃な棒でもないかとあたりを見回したが、公園だと言うのに草はあれど木は一本もなかった。
「お前の爺さん、下層の人間をバカにしているレイシストじゃねえか。いい気味だ。死んで当然なんだよな」
「何言ってんのよ、人の死を喜ぶあんたたちのほうがクズよ! おじいちゃんは……」
セナは、言葉に詰まった。
このガキは、下層の人間なのだろう。それなりに軋轢があるというのに、同じ学校に通わせるのは、区の方針の失敗だと私は思った。
「どうせお前もレイシストなんだろ」さっきとは違うガキが前に出た。手には、私が探しているような、丁度いい棒きれを掴んでいた。「そんな奴らがいるから、下層と上層との溝が深まるんじゃねえかよ。なあ? 恥じろよ槇石。俺たちは仲良くしたいっていうのに、上層のボスのお前たちが邪魔してるんだよ。死んで当然だ」
バーカ、帰れ、消えろ。
そんな言葉が聞こえてくる。
爺は死んで当然だとか、
セナも死んでしまえとか。
セナはその雑言を止めようと、掴みかかるが、棒を持ったガキに突き飛ばされて、地面に腰をついた。
ガキが棒を振り上げる。
流石に見ていられないと思った私だったが、
先に動いたのは美雪だった。
美雪は棒を掴んで、止めた。
「なんだよ、あんた」棒の男子が言う。
「ガキが。調子に乗らないでよ」美雪は舌打ちを漏らしながら言った。「私は、機械化能力者だよ」
「は……。だからどうしたっていうんだよ」
ガキが、竦んだ。
「どんな機能なのか、知りたいか?」美雪が囁いた。「だったら、お前に向かって機能を使ったって良いんだけど、どうなると思う?」
それを聞いたガキどもが、呆気ないほど簡単に逃げていった。
これが、世間一般における機械化能力者に対する普通の反応なのだろう。
美雪の背中が、寂しそうに見えたのは、私の感傷の所為だけではないのかもしれない。
私は、ふうっと、ひと息を吐いた。そうして、セナを助け起こす。
「セナちゃん……?」
セナは、悔しそうな顔を浮かべて、涙までは流していなかったが、その様子は平常とは言えなかった。
「なんなのよ…………なんなんだよあいつら……。人が、人のおじいちゃんが死んだっていうのに…………あのクソ…………許さない……」
「セナちゃん、ベンチ、座る?」
私が訊くと、彼女はかろうじて頷いた。
ベンチは砂場の近くにあった。誰も座っていない。というよりも、公園内には、もう私達以外に人はいなかった。
セナを真ん中に座らせて、左右を私と美雪で囲った。
美雪が、セナの顔を覗き込みながら、尋ねた。
「ねえ、さっきの奴らって……」
「……はい。同級生です」セナは、俯きながら話した。「みんな、下層に住んでる奴らです。あいつら、下層の生徒としか群れないんです。よく、上層の中でも名前が通ってる私に因縁をつけてくるんです。いつもは殴り返してるんですけど……」
そう言って、彼女は右手で拳を作って、
それから気が抜けたみたいに、広げた。
「でも、今日はなんか、駄目でした。おじいちゃんのことが…………おじいちゃんが死んだことが、それをバカにされたことが、私に、結構大きなダメージだったみたいで。きっと……これからエスカレートするんでしょうね。槇石家が……危ない状態ですから」
「いいよ、セナちゃん」美雪が諭す。「そんなことまで、君は考えなくていい。……これからどうなるのかは、お父さんが決めてくれるよ」
「お父さんは、何もしてくれませんよ」
寂しそうに、そう呟くセナを、私は可愛そうだと決めつけて、眺めていた。
「お父さんは……あんまり私のこと、優先してくれないんです。だから、あんまり好きじゃないんです。好きになるほど、一緒にいてくれないんです。仕事が忙しいっていうのもあると思いますけど、それでも嫌いです……」
「それは……お願いするしか無いんじゃない?」
「……お二人は、誰かと喧嘩って、したことあります?」
急に、そんな、ピンポイントな質問を、セナはする。
私は、押し黙ってしまったが、代わりに美雪が、答えもしないで聞き返した。
「どうしたの、急に」
「私、お父さんとは、喧嘩もしたことだって、ないんです。お父さんのこと、好きなもの、嫌いなもの、そして、お母さんのこと、何も知らないんです。……なにも、教えてくれなかったから、聞きたかったけど、そんな雰囲気じゃなかったから……。悪口を言ったって、何も言い返してこないし、叱ってもくれないんです。同級生たちとは、いつも喧嘩ばっかりしてるから、そういう血に飢えてるとかじゃないんです。お父さんは……それすら出来ないから……嫌いです」
「……私は、あるよ」美雪は答える。「同僚のね、両腕が機械の変な女が、気に入らなくて怒ったりする。後が気まずいから、あんまり喧嘩なんてするもんじゃないよ。滞り無いのが一番。でも、喧嘩する機会もないのは、ちょっと変かな」
「……彩佳さんは?」
セナは私の方に、向けてほしくもないのに、ぐるりと首を向けた。
私は俯いて、渋々口にする。砂を踏みしめる、自分の足が見える。
「今、喧嘩してる友だちがいる」
「へえ」セナは興味を示した。「どんな人なんですか?」
「……すっごい美人で、頭良くて、耳が機械。髪が長くて、真面目そうに見えて変な冗談を言うくらいにはふざけてる、私の、唯一の友達」
私は、話しながら、怪我をして包帯を巻いたままの右手を眺める。
ずっと見つめていたって、骨とか、血肉とか、あとその先に繋がれていたはずのものは、どうやっても見えてこなかった。自分の皮膚と、真っ白い包帯だけが、そこにはある。
「私、暗い人間だから……その人が友達になってくれなかったら、適当にどっかで死んでたと思うんだけど、その人が……私を変えてくれたんだよ」
今は、その人と外見は同じだけれど、記憶喪失のせいで、中身は微妙に違う彼女になっているが、そのことを説明すると面倒になるので、私はやめた。
「なんで喧嘩したんですか?」
「さあ…………わかんない」私は、適当に呟く。「私のこと、私の気持ちを、理解してくれなかったから。彼女……私の望みを、あんまりわかってないんだよ。だから、ちょっと……文句を言っちゃった。それだけ」
私は、あなたと一緒に死にたかっただけなのに、
そんな事を忘れて、私を置いて先を急ごうとするあなたが、
心配で、気に入らなくて、悲しかった。
別にそれだけのことだって、セナに説明すると、簡単なことに思えたのに。
セナは私から聞いたふくみの話を、美雪から聞いたりしていた。
その中には、私の知らない、最新のふくみがいたりして、余計に私は取り残された気分になった。
砂場と、陰っていく日を見つめた。
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