彩佳3 11日 14時
十四時。
久喜宮は消え、警察官たちも、現場には立ち入らないように家の人間に告げてから、ひとり残らず撤収した。耳鳴りがするような静寂が館に漂っていることが、妙な痛々しさを覚える。
私と美雪は、リビングで今後の方針についてを考えた。私はなにもない壁際に立っているし、美雪は落ち着きなくソファの周りをぐるぐると、衛星みたいに回っていた。目が回らないのか、心配になった。
順吉、面識のある人間が殺されたという事実。
それも、まったくわけのわからない時間に、どうしてそんなことをするのかもわからない方法で。
目眩がした。ここにベッドがあれば飛び込んでいたし、なくてもそのまま床にでも倒れ込んだら楽だろうと考えた。
「なんで、殺されなくちゃいけないんだろう」
歩きまわっている美雪の背中に、私は声をかけた。彼女は触っていた端末から目を離して、それでも立ち止まることなく私の方に首を向けながら口を開いた。
「さあ……。だって、ふくみ達の方なら、殺人予告だったから、理解も出来るよ。でもこっちは……そんなの無かったじゃん。暗号解読を頼まれただけ」
「依頼と、関係あるのかな」
「わからない……」美雪はようやく立ち止まった。ソファの真後ろだった。疲れたのかも知れない。彼女は背もたれに手を置いた。「区長のパーツを、順吉さんが持ってるかも知れないって、犯人は思ったから少なくとも腕を切断したんだって、警察は考えてるって言ってたよね」
「でも、なかった」私は顎に手を当てた。何か、インスタントに聡明な気分になれるからだった。「パーツは、何処にあるのかな。区長も持ってないみたいだし」
とにかく、私達にはわからないことが多すぎた。現在の政治体制だって、中央コンピューターがどういったものかだって、更には今の区長がどんな人間なのかさえも理解していなかった。
やはりここは、当初の予定通り、区役所に行ってみるのが一番いいのか。
そして私は気になったことを尋ねる。
「……殺人事件があったって、上には報告してるの?」
「うん、そりゃ」美雪は頷いた。「精密女の方にも、そっちから伝えるみたい。で、そのうえで依頼は中止にせず、続けて暗号解読に励むべしだってさ。殺人事件の調査については、特に言われなかったかな。もしかしたら、精密女たちの任務が、その殺人事件を調べるってことになるんだと思うけど」
扉が開いて、岡芹が入ってくる。警察が去ったあとの後始末を終えたのだろう。顔はマラソンでも走ってきたみたいに疲れていた。
美雪は彼の姿を認めると、見たくもないくらい嬉しそうに話しかけた。
「あ、岡芹さん、ちょうどよかった」美雪は両手を合わせた。「お願いがあるんですけど、区役所にアポイントって取れますか」
「アポイント? ああ、まあ、可能ですよ」岡芹はソファに腰を下ろして、ため息とともに口にする。「既に依頼の件で、調査員が伺うかもしれませんとは、区長には伝えてあるんです。入り口で槇石の名前を出せば中に案内してくれますよ」
「やった、ありがとうございます」
「しかし、冷静ですね」
岡芹が、なんだか干からびたナメクジみたいにぐったりとした体勢を取りながら、私達のどちらの顔も見ないで、言った。
「暗号解読を続けてくれるのは、当主の悲願ですけど、ね」
その皮肉めいた言葉に、背中に冷水を垂れ流された気分になる。
居心地が悪い。
美雪は、そんな裏の文脈なんて気にしないで、笑いかけた。
「はい。順吉さんのためにも、暗号が何なのかを突き止めたいです」
「ええ……それは、お願いしたいくらいです。ですが、あまり危険なことはしないで下さいね。これ以上、この家の関係者が殺されるとなると……その影響は、抑えきれるものでもありません。それに……精神的負荷というものもありますから」
私は横から、不躾に割り込んだ。
「依頼は中止にする、と言わないんですね」
「私には、そんな権限なんかありませんよ」岡芹は、右手で眉間を触る。「順吉さん以外、誰もそんなことは言い出せませんよ。報酬は、もう既に用意されていますから、心配はご無用ですが」
なんとも言えない、苦味のある話をしていると、リビングにセナが姿を見せた。
事情聴取が終わってから、何処へ行ってしまったのか、少しだけ心配になっていたが、こうして彼女の顔を見ると安心する。
けれど、セナの様子は、万全には見えなかった。
彼女の表情は暗く、気を抜くと今にも取り乱しそうで、見つめていると私は、石の上に片足で立っているような、妙なほどの決まりの悪さを覚えた。
セナはそのまま岡芹の隣に腰掛けて、両手で顔を覆った。
「ねえ、岡芹さん……誰が、おじいちゃんを?」
喉の奥から、無理やりひねり出されたような声だった。
岡芹は答えを失い、代わりに美雪が首を振る。
「まだわからないよ。これから、警察の人が捕まえてくれる」
「美雪さんたちの追ってる、暗号と何か関係あるんですか……?」
「それもこれから調べるよ。多分、無関係だとは言えないと思うけど」
「……それって、パーツの在り処なんじゃないですか」
セナは急にそんなことを口走る。
美雪がその理由を尋ねると、セナはたどたどしくも説明する。
「……おじいちゃんも機械化能力者じゃないし、区長も違う。でも、中央コンピューターに区長の権限を貰うためには、パーツが必要じゃないですか。区長も、おじいちゃんの言うことだったら聞くと思うんです。権限を得るために機械化能力者になれってお願いしたら、言うことを聞くと思うんです。でもそうなってないってことは、そもそもパーツが無いってことでしょう?」
「……まあ、そう考えられるね」
「暗号は、前の区長の遺したもの。前の区長の時には、そのパーツが彼の腕にありました。それがどこかに行ってしまったんです。だったら……それが、その暗号が、パーツの在り処を示していて、前の区長は……死ぬ間際にパーツを隠して、誰か、槇石とか、馬郡とかの息のかかってない候補者のために、暗号を残したんじゃないんですか」
なるほど、と私は頷いてしまった。彼女は、区の人間だけあって前の区長のことも、今の区長も、そのパトロンのこともよく知っている。何より、そこから納得の行く仮説を生み出せる頭もあった。
けれど、話を終えるとすぐに、祖父のことを思い出してしまったのか、セナは目から涙を垂れ流した。
「どうして、おじいちゃんが……おじいちゃんが殺されないといけなかったんですか」
「それは……」彼女が私の方を向いていた。私が答えるしか無かった。もっともらしい理由を、私は頭の中で探して、口にした。「前の区長がパーツを隠したっていうセナちゃんの考えが正しいとするなら……これはきっと、パーツの争奪戦だよ。他に区長になりたいって思ってる奴らがいるんだよ」
「そんなのに……今の区長と繋がってるっていう理由で……おじいちゃんは巻き込まれて殺されたっていうんですか? そんなの、ふざけてますよ」
泣きわめくでもなく、ただじっと、涙を流しているセナ。
なんだか、胸の内側を、竹串で擦られているような気分になってきた。
「……おじいちゃんと、仲、良かったの?」
「お父さんより、ずっと好きでした」
まあ彼女の父親のことは置いておくとして、それにしても、少しだけ横暴さが垣間見えたあの順吉が、これほど孫に慕われている実情が、私には眩しかった。順吉は、きっと彼女の前では、きちんとした祖父だったのだろうか。
誰かが殺されると、そこから生じる綻びを、こうやって観察しなければならないことが、一番私には重荷だった。
セナは涙を拭いて、私をまた見て、それから花とかクッキーみたいに、にこりと笑いかけた。
「……彩佳さんって、お姉さんみたいです」
「え、なんで」
姉みたいだと言われたことよりも、名前を急に呼ばれたことのほうが、私にとっては理解の追いつかないことだった。
「だって……格好良いじゃないですか。大人ですよ」
そのセナの言葉を聞いて、美雪が面白がって私を見た。
こんな私が大人に見えるなんて、セナの周りにはどんな異常な人間が集まっているのだろう。私は彼女の学校生活が気になってしまった。
それにきっと、茅島ふくみを彼女が見たとしたら、魅力的に見えるのは私の方では決していない。
セナは立ち上がって、訊く。
「暗号のこと、私も手伝ってもいいですか。おじいちゃんの依頼、なんですよね」
「手伝うって……」
岡芹の方を見た。彼は首を振っている。
でもセナの顔を見ていると、とても断る気にはなれなかった。
「区のこと……下層はあんまり詳しくないですけど、上層のことなら、私、詳しいと思います。お願いします。私も……おじいちゃんの役に立ちたいんです」
私は、そこで頷いてしまってから、
なにか失敗したような感覚が身体にあることに気づいた。
セナは美雪と手を合わせて喜んでいるし、岡芹も止めるわけでもなく呆れながら見つめていた。
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