ふくみ2
また徳富がやってきて、今度は食堂でじっと待機をしているように、と告げてから何処かへ消えた。
食堂の長い机、その椅子。使うことはないと思っていたのに、いざ座ると自分を受け入れてくれるような気がした。ふくみはその状態で、机に肘を乗せて、両手の上に頭を乗せて支えた。
チカチカと、壁にかかっているアナログ時計が見える。廊下から聞く分には、ずっと誰かが舌打ちをしているんだと思ったりもしたが、この時計の音がその正体だった。
気にし始めると、こんなに耳に障る音もないんじゃないか。
首の向きを変えた。精密女が、冷蔵庫の扉を開けて中を物色しているのが見えた。無粋なやつだ、とふくみはそれを止めるでもなくただ眺めていた。
食堂には、もう警察官は一人もいない。当然、部屋の前には二人ほど立っている。彼らが昨日の野球試合の話をしているのが、明瞭に聞こえるのだけれど、他の連中はリビングに集まって事情聴取をしているようだった。残りは、豊人の部屋で現場検証をしているのだろう。もしくは、外に出て、侵入経路を探してもいるはずだった。
「あー、疲れましたよー」
と、情けない声を上げながら入ってきた人物は、孟徳だった。彼はふくみと精密女を見つけると、ふくみの前の席に腰掛けた。冷蔵庫を勝手に探っている精密女について、なにも思うところはないらしい。
彼の表情と声色を、ふくみは読む。どこか喉から無理をしてひねり出したような、その声から、自分を取り繕っている感じが、妙にはっきりと伝わってきた。一見怒る風でも、悲しむ風でもないのに、内面は父親の死に対して動揺しているみたいだった。
こんな男でも、そんなセンチメンタリズムに傾倒することがあるのか、とふくみは思った。
孟徳は、ぽりぽりと頭を掻いて、猫みたいに気怠そうにしているふくみに話しかけた。
「茅島さん、犯人が何処の誰なのか、わかりますか?」
「警察がなにも教えてくれないもの。無理よ」ふくみは目を孟徳のほうに向けて、それだけ呟いた。「豊人さんを恨んでるっていう人間のリストアップは、出来ていたのかしら」
「うーん、まだみたいなんですよねえ」孟徳が首を振った。「畜生……間に合わなかったんでしょうね。こんな急に……本当に親父が言うように殺されちまうなんて、なんだか信じられないですよ」
孟徳は歯ぎしりをする。ふくみは彼のそんな様子を見て、鉛筆を、その口に噛ませてみたくもなった。どんな歯形がつくのだろう。真っ二つに折れるのかも知れない。
精密女がコップに十分に注がれた牛乳を片手に、躊躇することなく歩いてこちらに来る。彼女の機械の腕は、液体をこぼさないように制御しながら運ぶことだって可能なのだけれど、脳波コントロール故に誤作動も多く、日常生活では腕自体を使わないことも多いはずなのに、こんなくだらないことに腕を用いているのを見ると、ふくみは嘲笑したくもなった。
「孟徳さん。死体の状況は聞きましたか?」彼女はふくみの隣に座った。コップが、音も立てないで彼女の目の前に置かれた。「首と、左腕が失われていたみたいなんですが」
「そうそう、それなんですよね」孟徳は大きく頷いた。変な髪型が揺れた。「っていうかね、聞いてくださいよ。俺、警察官同士が話してるのを、こっそり聞いたんですよ。そしたら、なんて言ってたと思います? 『血を失ったのは生前』って言ってたんですよ。これって…………どういうことなんですか」
不可解な事実が、こんな男からもたらされるとは思わなかった。
ふくみは座り直して、孟徳に向き直った。
「それって、確かなの?」
「なんですか茅島さん、犯人がわかったとでも?」
「まだわからないってば……」
「まあ、確かみたいですよ。血を失ったのが生前で、首と左腕を切断されたのが、死後。失われた血は、その後死体の周辺に撒き散らされた、っていうのが現場検証ではね、明らかになってるみたいなんですよ」
精密女が感嘆の声を上げた。
「へえ、お手柄ですよ、孟徳さん。警察の連中は私達を疑ってますから、死体の情報なんてくれませんよ」
「お、やった」孟徳がガッツポーズをした。「実はね、他にもあるんですよ。警察の考えなんですけど、これがまた……きな臭くてね。犯人は、親父が持っていたパーツを奪おうとしたみたいだ、っていう方向で捜査を進めてるみたいなんですよ」
パーツ? ふくみは首をかしげる。
「機械化能力者なの? 豊人さん」
「いやそれがね、違うんですよ。区長みたいに公言してるわけじゃないですけど、親父は、足が動かなくなっても手術しなかったくらいなんですから、あまり機械化能力者について、良い印象を持ってなかったんじゃないですかねえ……いや、おふたりの前で、そんなことを言うのはあれですけど」
「いいわよ、慣れてるもの」別に慣れているというほど、記憶を持っているわけでもないふくみが答え、自分で自分をバカにしたくなった。
「でも……」孟徳は続ける。「パーツを持っているんじゃないかっていう噂は、昔からあるんですよね。俺も、その真偽はわかりませんけど、持っていたとしても、おかしくないっていうか」
「どういうことです?」精密女は訊いた。
孟徳は、そのあらましを説明する。
まずこの美楽華区で区長になるには、特殊な権限を機能として備えた専用のパーツを、中央コンピューターに認識させることによって、区長として認められるシステムなのだという。区長の権限を得れば、中央コンピューターの手動操作が可能になる。法案を通すも通さないも、区長の一存になってしまうが、通常はそこに議会が挟まるので、強権的な状況にはならないらしいが、制度上の話として、区長にはそれだけの権利が与えられる。
つまりは、その強力な区長権限を搭載したパーツが、このレディファンタジー館にあるという噂が、現区長の就任と共に流れていた。
「分権ですよ」孟徳は説明する。「区長は機械化能力者ではないことを公言しています。でも、矛盾が出てるでしょ? 必要なパーツを搭載した機械化能力者じゃないと区長になれないっていうのに、どうして生の人間が区長をやってるんだって。おかしいと思ったでしょ?」
「まあ、うん」ふくみは頷いた。
「そこなんですよね。中央コンピューターの登録上、現在の区長はまだ区長なんかじゃないんですよ。現区長が槇石の援助を受けてるってことは有名ですから、下層は反発したんです。このままじゃ、上層の連中の好きに街を動かされるってね。その納得材料として、パーツは下層を代表している馬郡家に預けられた。つまり、下層に不利で上層の有利な法案を、通さないためですよ。このパーツがこっちにあれば、上層だって変なことは出来ませんからねえ」
「でも、新しい区長が中央コンピューターに登録されてないってことは……」ふくみは顎に手を当てる。「パーツさえ奪えば、自分がその権限を得られるって考えたのかしら」
「……まあ」精密女も頷いた。「警察はそういう方針でしょう」
「でも、実際にパーツは無かったのかしら」
「多分……」孟徳が思い出す。「部屋が荒らされたあとはありませんから、親父の身体に搭載されていた以外の考えが無かったんでしょうね。わかりませんけど。っていうか、親父が持っていたとしたら、俺だって目にしてるはずだしな……まさか、この家に、そんなものはなかったんじゃ……。槇石との関係も悪いし……俺になにか言ってくれていても、良かったんじゃないか」
「まあ、確証もないのに悩んだって無駄よ」ふくみが言う。「あんたは、豊人さんが殺された時間帯になにやってたわけ?」
「ふふ、俺はミュージシャンですよ」孟徳が一転して、明るい表情を見せたが、ただ暑苦しさが増しただけだった。「作詞に勤しんでいたんです。その日はずっと起きてましたから、なにか大きな物音がすれば気付いたはずですよ。死体の身体には、あざが大量にあったみたいじゃないですか。きっと相当暴れたんですよ」
「あざ……」
生きたまま血を抜かれたという。足が不自由だとして、それでも相当な抵抗があっただろうと考えられた。あざがいくつあったって、おかしくはない。
「そんな音がしたら、私が気付くって言うのにね……」
ふくみは上を向いて、目を瞑った。
任務の失敗。
ずっとその単語だけを、壊れた機械みたいに出力している。
街の喧騒にも近い、警察官たちがひしめいている雑音が、壁の向こうから聞こえる。
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