ふくみ1 11日 19時
これが、夢だということは理解している。
病院にいる。
何故?
さあ知らない。けれど待合室で座っている。そんな風景は、見たことがないのに、いつだって自分の目の前に、過去から知っていた顔をして現れることが、
無性に気に入らなかったり、意味もなく懐かしくなったり、悲しくなったり。
隣には、彩佳。友人。大切な、友人だったはずなのに。
彼女の期待通りに、自分が気持ち悪い時がある。
彼女が重い時がある。
彼女が、自分なんかを忘れてくれればって、思う時がある。
そんな不満は気の迷いだったなんて思うくらい、彼女が大切に思えるときのほうがずっとある。
彩佳と話す。それだけの、くだらない、内容もわからない、それだけの夢。
今度会ったら、何を話そうか、ずっと考えて考えて考えて、ストックして、彩佳のために、
集めているのに、
話す相手がいないんじゃ。
――無意味。
話していても、頭の片隅にはずっと不安。
「彩佳はもう、私のことなんて嫌いなのかも知れない」
少し喧嘩しただけだと人は言う。
だけど、過去のない自分のことを覚えている人に、もう出会える保証なんて無い。
友人と喧嘩なんて、した記憶がない。
彩佳がいない。
何処?
消えた。
ここはどこだ。部屋の一室。部屋に対する感情だけがある。
不愉快さと結びついただけの部屋で、彩佳を探した。
何処に行ったの。
ねえ、彩佳。
彩佳……。
私のことを知っているのは、あなたしかいないのに。
あなたがいなくなっちゃったら、どうすればいいの。
私と一緒に生きたいんじゃないの?
いや、
違う。
彼女は、私と死にたがっている。
それこそが、決定的な、違い。
同じような単語と文章で構成されているが、違う。
目指しているものが、そもそも違うのか。
そんな目的の違いなんて、彼女は教えてくれなかった。
話し合えばよかったのか。
それで埋まる断絶だったのか。
はたまた、自分たちはもともと合わない存在だったのか。
廊下に出ると、
何処かのダイナーで、机を叩き割っている自分がいた。
感情を発散させることが、気持ちいい。
でも、満たされない。
満たされないまま生きていくことに、多大なストレスを覚える。
望みは一つしか無かった。
彩佳。
私は、あなたがいないと自分が誰なのかもわからないの。
――机を割る。
ああ、
精密女。
美雪。
あなたたちは知っているの?
――机を割る。
彩佳が、何処に行ったのか教えて。
「ふくみさん、起きて」
気持ちがいいのか悪いのか、吐きそうなのか、死んでしまいたいのか、よくわからない夢と現実の間から、ふくみはその女の機械の両腕によって、ぐらぐらと揺り起こされた。
ああ、最悪の気分だ、とふくみは口に出して言ってしまいそうにもなる。精密女のなんだか気に入らない面構えが癪に障ったのか、自分が単に生活リズムを壊しているせいで、優れない体調をしているからなのか、あるいはそのどちらもが原因だった。
「なによ…………まだ、眠いわ……」
ふくみは、蚊の鳴くような声を漏らして、布団を頭の先まで被った。仕事でここに来ているという感覚は、覚醒してからしばらく経ったあとに、芽生えるらしい。今はただひたすらに眠い。
精密女は、珍しいくらいに呆れたようなため息を漏らして、信じられないほどの怪力を有する両腕で、ふくみの包まれている布団を剥いだ。
急に、身体が冷える。この館に於いて、室温に対する不満をまるで感じることはなかったが、やはり十二月というのは噂に違わず寒いらしい。
「こら。もう、いつからそんな、ねぼすけになったんですか」
「…………しょうがないわよ」ふくみは身体を起こして、長くて面倒臭さすら覚える髪を、手で整えた。ぼさぼさで、ともすれば前も見えなかった。「えっと……今何時?」
「それどころではありませんよ」
精密女は表情を変えた。ふくみは、その顔を見て、声色を聞いて、
身構える。
「……ふくみさん。豊人さんが、殺されました」
「…………目が覚めたわ」
時刻は十九時半。外出禁止が解除される時間になっていた。つまりは、レディファンタジー館の住人にとって、早朝と言っても過言ではないような時間帯だった。
ふくみは日中に目を覚まし、外出禁止の館の中で、特にすることもなくボーッとしたり、端末で本を読んだりして、時間を潰した。睡眠時間は十分ではなかったが、眠気が来るのは昼を過ぎてからだった。空腹を感じたが、水を飲んで我慢した。その間、精密女は眠りこけていた。
それからまた、中途半端な昼寝と中途半端な覚醒を繰り返して、気がつけばもうこんな時間になっていた。
それが、真っ先に死体の発見から始まるっていうのは、口の中に雑巾を突っ込まれるような気分にもなる。
ふくみと精密女は客室を出る。そこには大量の警察官、検視官……。彼らのうちの一人がふくみを見つけると、指示を出す。
――階段の下で待っていて下さい。
端的なお願いだった。きっと、事情聴取は下で行われているのだろうか。ふくみたちは、素直に階段を下りる。
リビングや食堂にでもいればいい、と思ったけれど、そのどちらも混雑していたし、雑多な話し声が聞こえた。声の質を振り分けて、人数を正確に数えることだって、ふくみには出来たのだけれど、面倒くさくなって、彼女は考えるのをやめた。
「君たちは、客人か」
警官の一人が、声をかける。頷くと、そこで待っていてくれと告げられた。こんなところで、どうやって待っていろって言うんだ。ふくみは文句を言いたくもなって、それでも大人しく階段に座った。通行の邪魔になろうが、どうだってよかった。
精密女は、トイレの近くの壁にもたれかかっていた。
耳を使う。聞こえてくる。事情聴取……おそらく、リビングで行われているようだった。孟徳のうるさい声が、壁越しにも伝わってきた。すずめや矢畑は、何処へ行ったのかはわからなかった。何処かで、順番が来るのを待っているのだろうか。今のところ、声は聞こえない。
豊人。その死。
自分たちへの依頼内容を思い出して、足を引っ張られて海にでも引きずり込まれるような、そんな居心地の悪さすら覚えた。
気を抜けば、溺れ死んでしまいそう。
「私は……」呟く。顔を覆った。「任務に、失敗したってことなのね……」
「仕方ありませんよ」
精密女がそう慰めた。仕方ないと彼女が思う理由は何故なのか、彼女の口からどれだけ待っても聞こえてこなかった。
しばらくすると、リビングの方から一人の足音が近づいてくる。孟徳かとも思ったけれど、そんな音ではなかった。もっと肉体が大きく、体重があり、人格も横柄で、そう、いかにも刑事らしい男性。
姿を見せた該当人物は、ふくみの思い描いた人物像のそのままの男だった。彼は彼女たちの前に立って、威圧感を下ろさないまま、会釈をした。
「美楽華区担当刑事の徳富だ」
そう言うと、男が手帳を見せる。頭は丸刈りで、身体が大きい。彼が刑事としてどの程度の階級なのかはわからないが、この態度から言って、上の方であることは間違いはなかった。
「すまないが、ここで事情聴取をさせてもらう。二人一緒で良い。正直に答えるんだぞ」
ふくみが返事をする前に、彼は話を進めた。声も大きく、近くで聞くと頭が振動しそうだった。
「殺されたのは豊人さんだ。知っているな?」
「はい」と精密女が答えた。「依頼人です」
「なんの依頼だったんだ」
「身辺警護を」精密女は、そして徳富刑事を睨むように見た。「彼、命を狙われているような脅迫状が届いていたみたいなんですけど、警察はなにをしていたんですか?」
「確証がない限り動けないだろう。こっちだって、そんなに暇じゃないんだ」徳富は反論する。「俺たちは抑止力、事後処理係なんだ。それ以上を求められるほどの人材がいない」
「……まあここで警察の現状について話したって意味ないと思いますけど、上層の資産家の言いなりになって、下層の豊人さんの警護をおざなりにしたのには、何らかの仕方のない理由があったということは、一応念頭に置いておきます」
「……なんとでも言え」徳富は続けた。「遺体は、首と左腕を切断され、車椅子の上に座らされていた。血まみれだ。硬直の具合から言うと、死亡推定時刻は、十二時前後。お前たちは、この館から出入り禁止の時間帯だったな。何をしていた?」
「その時間なら、眠っていましたよ」精密女は説明する。「えっと……それまでは身辺警護のつもりで、豊人さんの部屋の前で見張ってたんですよ。出入り可能な時間帯は、警報装置だって鳴りませんから、念の為に。ふくみさんと時々入れ替わりながら、ですけど。特に異常はないまま、出入り禁止の時間になったので、外部から人が侵入してくることはないとして、しばらく起きてから、そのまま寝ました。十一時くらいには」
「……ふうん」徳富が鼻を鳴らした。「その間、物音は聞いたか?」
「聞いていません。誰も出歩いてもいませんでしたよ。多分ですけど」
「となると……豊人が出不精なのが祟ったか」
徳富が勝手に納得をした。腕を組んで、その場を去った。もう好きにして良いのか、そんなことすらも教えてくれなかった。
ふくみはその重苦しい背中を見送りながら、呟いた。
「私達、疑われてる?」
「さあ」精密女は首をかしげる。「外から侵入が出来ない以上、内部犯なのは確かみたいですからね」
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