彩佳4 10日 20時

 部屋でまた暗号について考えて、五分で飽きて、その後は美雪とベッドに寝転がって漫画の話でもしているときに、扉がノックされた。

 ちらりと時間を見ると、もう二十時になっていた。ノックに対して応答をする前から、私にはその用件が、夕食だということがわかってしまった。

 ノックをした張本人の岡芹からの呼び出しに返事をして、私達は寝転がって乱れた衣類を整えて、階下の食堂に向かった。ただひたすらに、暗号解読についてはサボっていただけなのだけれど、それなの食事まで出してもらえるなんて、吐きそうなくらいの申し訳無さが胸につかえるようだった。

 食堂。あの長いテーブルが、不躾なまでにスペースを圧迫していた。このテーブルを、そうまでして使う意義について、私は腰掛けたあとにずっと考え込んでしまった。

 入り口に対して長側面を向けているテーブルの、一番偉そうな場所(南側の短側面だった)に順吉用らしい大げさな椅子がこしらえてあり、そこから見て右側にセナ、敏弘親子が座った。いつもそうしているのかは、私から見ただけではわからなかった。

 私達はもっとも入り口に近い場所に腰掛けた。セナ親子とは対角線上に位置していた。私の正面には、岡芹用と思しき椅子が備えてあった。

 岡芹が料理の配膳をするために、動き回っていた。彼が作っているようだった。私は置かれた料理を目にして、ここ最近はあまり感じることもなかった空腹感を、はっきりと自覚していた。一人で、茅島さんと喧嘩をしたことを気に病んでいた頃は、何も食べる気なんてしなかったのに、誰かと一緒にいて、感傷を誤魔化すことで、私は正常に近くなっていた。やっぱり一人じゃ生きていけないんだと実感して、私は嬉しくもなり、悲しくもなった。比率で言えば四対六だった。

 気がつけばセナも、岡芹の手伝いをしていた。じっとしていられない娘のようだった。

 食事のラインナップは調理した魚と、揚げ物と、それから米、スープ。どちらかと言えば、あまり好きな献立ではなかったのだけれど、空腹を我慢できるほど、私は理性的でもなかった。

 私達への配膳を終えた岡芹は、木製のプレートに私達のものと全く同じ料理を載せて、左右から両手で掴んで持ち上げた。

「先に食べておいてください」彼は、私達に促した。「順吉さんは、部屋で食事を摂るそうなので、これから持っていきます」

 それを聞いた敏弘が、恥ずかしそうな表情を浮かべて、私達に説明をした。

「……親父は出不精でしてね。あまり部屋を出たがらないんですよ。ここに椅子は置いてあるが、殆ど使われないんです」

 手伝っていたセナが、汗を拭きながら戻ってくる。自分の父親の隣に、どこかぎこちなく座った。

 敏弘から食べるように促されたので、両手を合わせながら私達は従った。

 箸でつまんで、口に運び、慎重に、毒でも入っていないかを確かめるように、噛んで味わってみた。よくわからない。見た目ほど、味は洗練されていないという失礼な印象が、私の頭を支配していた。確かに、美味しいのだけれど、味付けに慣れていないせいか、なんだか上手く飲み込めない。

 美雪をちらりと横目で見ると、美味しそうに笑顔なんか浮かべながら、口に運んでいた。

 ああ、きっと、料理が変なんじゃない。私の問題なのだろう。私の身体が、まともな食事に驚いているんだ。まだ頭が、健康になるのを拒否しているみたいだった。だって、何も解決していないのは、事実なんだから。

 食べながら、セナが私達に、楽しそうな目をしながら質問をする。この部屋にはテレビも、音楽再生プレイヤーもなかった。何も話さないのも気まずいと思っていたので、私はありがたかった。私が答えるつもりは、少しだってないのだけれど。

「お二人って、機械化能力者なんですよね」セナは、サイボーグ人間への偏見を全く見せないで、そう口にする。「調査員って……どんな仕事してるんです?」

 セナは、じっと美雪じゃなくて、私を見ていた。どうも、そんなきな臭い話を、私の口から聞きたいようだったけれど、私だって施設のことすら何も知らないのだから、逆立ちしたって説明のしようがなかった。

 見かねた美雪が、丁寧に答えた。

「調査って……まあうちの施設は、見込みのある機械化能力者を集めて、調査員に仕立て上げてるんだけど、仕事っていうのは、近辺地域の機械化能力者による犯罪のことを調べて、警察に報告するのが主だよ。場合によっては、武力を使って制圧することもあるけど、私はあまり担当しないかな。生身の警察は、機械化能力者に対しては大幅に劣ると言っても、相応の訓練と制圧用の機材は持ってるわけだから」

 あまり公言するな、と彼女たちの上司には釘を刺されていた話のはずなのに、美雪はべらべらと喋っていた。

「犯罪者に会うってこと?」セナは首をかしげる。「怖くないんですか?」

「まあ、三人チームで基本的には素行や現場を見て、機械化能力者がどんな機能を持っててどこに隠れているのか、場合によってはそれが誰なのかを調べるだけだから、直接対峙することは……まあ、あんまりないかな」

 嘘だった。

「でも、精密女っていうのと、茅島ふくみっていう超人が同じチームだから、怖くないよ。私のチームはね、施設の中でも優秀なほうでねー」

 食事を終える。

 美雪の口から茅島さんの名前を聞くと、私の胸のうちに妙な感情が湧き上がった。私の知らない彼女を、美雪は知っていて、私と喧嘩したあとも美雪は、私の知らない茅島さんと接しているのか。

 うらやましいだとか、そんなネガティブな思考しか浮かんでこない。

「ごちそうさま」

 私は食器をキッチンに持っていって、三人に断ってから自室へ戻ろうとした。

 その背中に、セナが声をかけてきた。

「彩佳さん」

「……なに?」

「暗号のこと……応援しています。私、彩佳さんと、美雪さんなら、解けると思ってます。頑張ってください」

 その純粋な瞳に、答えられるような言葉を、私は持ち合わせていなかった。

 ガキは、苦手だな。

 強く、そう思った。



 二十二時。準備ができたと岡芹が言うので、着替えを持って、リビングを通って浴室に向かった。

 浴槽が大きくて困惑しながら、私は一人で入浴する。何をしても音が反響することが、なぜか恥ずかしくなってきた。湯船には、何を入れたのか緑色の湯がたっぷりと満たされていた。

 家と作業自体は同じはずなのに、いつもより時間がかかるような気がした。なんとか頭から熱いシャワーを浴びると、それが気持ちよくて、今考えていることと一緒に、全部排水口に流れてしまえばいいと、願っていたのに、風呂上がりにドライヤーで髪を乾かしているときにも、私はずっと茅島さんのことで思い悩んでいた。

 部屋でボーッとする。うとうとしていると、美雪が戻ってきた。いつの間にか、風呂にも入り終えたようだった。眠ってしまったのか。今は何時だ。私の身体はとっくに湯冷めしているのかも知れない。

 二十三時。もう寝ようと美雪が言うので、私は電気を消した。深呼吸をして、本格的に眠る体勢になろうっていうのに、美雪は私を眠りの瀬戸際から現実に連れ戻した。

「ふくみに謝ったら?」

 前フリも何もなく、何故か直球で私に課題をぶつける美雪。

「……わかってるって」私は、呟く。「でも、なんで出来ないのかがわからない」

「じゃあまだその時じゃないのかな」

 美雪が知った風な口を叩いたが、きっと私なんかよりも人生について考えているのかも知れない。時々、彼女を見ているとそう感じた。

 彼女は続けた。

「待つしかないか。ふくみだって、どっか行っちゃうわけじゃないし、向こうから謝ってくれるかも知れないよね」

 ――。

「でも、どっか行っちゃったんだよ、あいつ」

 いじけた。

「それは、記憶を失う前のふくみ?」

「…………」

 私は、風呂上がりに右手に巻いた包帯を、更にきつく巻いた。傷口は、もう治っているのに、そうしないと不安だった。

 美雪が話題を変えた。彼女は、暑いのか布団をぶわぶわと振り回してから、気にいる位置に調整した。

「明日、どうしよう。暗号は、前区長が残した物だって言ってたけど」

「…………なら、前区長がよくいた場所? 何処?」

「それなら……多分、区役所だよ。あと、自宅? どこかわからないから、どっちにしろ区役所で訊こうか。敏弘さんにでも頼んでみて、話を通しておいてもらうよ」

「うん……それで、問題ないと思う」

 そのあと美雪が何かを一言二言話したようだが、私は聞き取れないで、そのまま眠りについた。

 暗号。

 あなたなら、すぐに見つけてしまうんだろうか。

 ふくみ……

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