彩佳3 10日 18時

 順吉から開放されて、私達は再び岡芹に館の中を案内された。

 具体的には、食堂の内部や、リビングの使い方などの説明が主だった。他の住人は誰もいない。セナの父親は、仕事に出ているのだろう。それにセナに母親はいない、とさっき岡芹は私達に告げた。

 リビングには、順吉の部屋にもあったものよりも、大きめのテレビやソファがあった。別に、特筆すべきはそのくらいだった。あとは、リビングは風呂場に通じているが、そこへの案内は使うときになったらする、と岡芹は言った。

 食堂は、妙なほど長いテーブルが置いているだけで、至って実用的な設えをしていた。資産家というのは、食事の形態すら、私達一般人とは違うんじゃないかといった恐れを、私は抱いていたが、どうやら杞憂だったらしい。

 キッチンの奥には、岡芹がさらりと流したとおりに、不恰好な扉をした倉庫があった。美雪が見たいと口にしたので、岡芹は粛々と扉を開いて、中を私達に見せた。必要がないのか、鍵はもとから掛かっていないようだった。

 程よく広い倉庫内。段ボール箱がいくつか、スペースを無理に埋めるようにして、丁寧に置かれている。箱の表示を見ると、そのおおよそが、保存の利く食糧のようだった。インスタントだろうか。夜中に出歩けないまま災害に見舞われてもそれだけの備蓄で、ある程度は生活していけそうだった。

 天井を見上げる。なんの必要があるのかわからないほど、バカみたいに高い。一階から二階まで、吹き抜けになっているような構造だった。隅には階段も備え付けてあって、登ると二階の客間の方へ抜けることが出来る扉が、ここからでも確認できた。

 意味のわからない造りだ、と私は思った。そのどこまでもカビが舞っていきそうな天井を、どのようにして活用するのか見当もつかなかった。フォークリフトでも入っていれば、いささか納得もできたのかもしれない。

 他には梯子やロープ、ビニールシートが折り畳まれて、乱雑に保管してあった。何かの用事で必要になったものを、邪魔だからという理由で倉庫に押し込めて、そのまま記憶の外に追いやったみたいな光景だった。私の田舎でも、そういうことは、ままある。

 最後に説明を受けたのは、一階にあるトイレだった。中を覗くと、真っ黒いタイルに囲まれた小綺麗な便器がそこにあった。窓がないせいで、換気扇がずっと、音を立てながら回っていた。

「では、案内はこれくらいで」岡芹は私達に会釈をして、一歩距離を空ける。「館の中は、勝手に調べてもらっても構いません。もちろん、個人の部屋はご本人に許可を取ってください。私の部屋も、二階にありますので、何かあったら呼んでください。あなた達の客間の、ちょうど隣です。中の構造は、同じようなものですよ」

 使用人と言えども、別に特別に高級な扱いではない、と彼は言いたいらしかった。

「それから」

 彼は私達を見据えて、念を押した。

「しつこいようですが、あのルールは絶対厳守でお願いします。館は、十九時以降出入り禁止です」

 なにか噛みつきたそうな表情を浮かべた美雪だったが、ぐっと飲み込んで、岡芹の言葉に素直に従った。

「……わかりました」にっこりと、彼女は微笑む。「気をつけますね」 

「では……」岡芹は背中を見せる。「槇石さんは、あなた達に期待していますから、頑張ってください」



 私達にあてがわれた客間は、階段を上がってすぐ左手にある倉庫二階部分への扉、その一つ奥に位置していた。さっきの説明だと、そのもう一つ奥が岡芹の使っている部屋らしい。さらにその奥が、セナの父親の部屋、突き当たりに当主の順吉の部屋という並びになっていた。ちなみに、セナの部屋は、父親の部屋から真正面にある。ややこしいので、自分の部屋だけを確認して、私はそのほとんどを忘れた。

 客間は単純な設えをしていた。ベッドが二つ、机が一つ。壁際には洋服タンスがひとつ。それだけだった。あとは、目立ったものは何もない。それが却って、広さを感じさせた。

 部屋に入った途端に美雪は、はしゃぎながら片方のベッドに飛び込んだ。こういう時だけ、彼女が年相応の女に見える。

 そんな彼女の様子を見守りながら、どこか疲れてきていた私は、ゆっくりと椅子に座った。座り心地は普通だったが、見るからに値段の張りそうな外見の椅子に、不躾に体重を預けることが、怖くなった。

 一息をついて、気がつく。窓がない。あのコンクリートで作ったボールみたいな外見からすると、そんなのは当然でしかなかったのだけれど、いざ本当に窓のない館に押し込められると、地下室のような窮屈さを感じずにはいられなかった。別に日光が好きというわけではなかったが、あるはずのものがないと、決まりの悪さが喉に引っかかって気になってくる。

 部屋中央に吊り下げられた電灯だけが、私達の姿と影を浮かび上がらせていた。

 静かだった。外は雨のはずなのに、雨音すらも聞こえてこない。衣擦れと、どこかで回る換気扇と、空調の音ばかりが耳に届く。

 ベッドにだらしなく寝転びながら、美雪が楽しげに言う。

「私、こんな部屋初めてだよ。おしゃれでセンスいいよね。そのあたりのビジネスホテルじゃ、比べ物にならないよ。旅行でも来たことないなー」

「私は、なくはないけど」どうでもいいことを、私は口走ってしまう。

「へえ。なんで?」美雪は身体を起こして、ベッドに座り込む形で私に尋ねる。

「そりゃ、家族旅行だよ。一回だけ、コネクションを使って無理やり良いホテルに泊まったんだけど、まあこんな感じだったよ。そりゃ、もっと広くて、冷蔵庫とか、和室とか、ジグソーパズルとかもあったけど、調度品の質は、こんなものだったかな」

 奇しくも嫌味のようになってしまった私は、自分の言説を反省してしまったが、美雪は腹も立てないで、微笑みながら頷く。

「へえ。家族と仲がいいの?」

「悪いってば。まだ、何も確執がなかったときのこと」

「そうなんだ。私もね、まあ……私が施設に住むようになってから、もう連絡も取ってないから、なんとも言えないけどさ」

「……あんたも、親っているんだね」

「そりゃいるよ、人間だから」

 さて、と美雪は立ち上がって、ふらりと私の正面の椅子にまで歩いて来て、腰を下ろした。テーブルの上に、鞄から取り出したノート型のコンピューターを置いて、起動させた。

「じゃあ彩佳、さっそくだけど、暗号のこと考えてみようか」

「ああ、うん……」私は頷いて彼女に向き直った。「あれって、何なの?」

「さあ」美雪は首を振る。「ただ暗号としか説明されなかったよね。言いたくないみたい」

『Suituranomitoka.』

 それが暗号の全文らしい。暗号なのかどうかも、私は自信が持てなかった。

「すいつら、のみとか」声に出して、私はそのまま読み上げてみる。「なにこれ。どっかの外国の言語なんじゃないの?」

「アイルランド語とか?」適当にしては、直ぐには浮かばないような国名を、美雪が口にした。「そんな単純なものじゃないと思うけど、とりあえず、翻訳に掛けてみるよ。思いつく限りの言語に」

 美雪はカタカタとコンピューターを操作し始めた。その間に、私はやることがなくなってしまい、彼女の横顔を眺めるだけの存在に成り果てた。こういう作業をしている時の彼女は、不思議と年齢相応にも、一転して大人のようにも見えた。

 結果は、程なくして導き出された。

 美雪は、うめきながら仰け反った。

「駄目だよ、なんの意味もない言葉みたいだ」

「まあ、そんな簡単なら依頼なんて頼まないか」私は首をひねる。「世の中の暗号って、どうやって解くわけ?」

「私も詳しいわけじゃないけど……」美雪はキーボードを叩いた。インターネットで検索でもしているらしい。「えーっと、シフト暗号とか? 一文字ないし何文字かをずらして解読する方法だよ」

 私は、頭の中で暗号文を一文字ずらしてみた。二文字目の時点で、意味がなさそうな気配がして辞めた。

 他にも美雪は、いくつかの解き方の例を私に教えてくれたが、そのどれもがしっくりと来る文章を、浮かび上がらせることはなかった。私の方も、昔に本で読んだ方法を思い出して試してみたりもしたのだけれど、それも意味をなさなかった。

 なんの進展もないまま、三十分が過ぎ、疲れてしまった私は、諦めてベッドに倒れ込んだ。

 美雪は私を笑ってから、一人でコンピューターに向き直った。仕事をしているのか、私に内緒でゲームでもして遊んでいるのかは、ここからではわからなかった。

 ため息を漏らす。

 なんだか、眠い。

 茅島さんのことが気になって、ここ最近は輪をかけて寝不足だった。

 全てを美雪に任せて、もう眠ってしまおうかと考えているときだった。

 急に、電気が消える。

 目を瞑っていた私にもわかった。宇宙みたいな暗闇の中に、急に投げ出された。

「な」

 驚いて、美雪が声を上げた。

 渋々私は身体を起こして、携帯端末の明かりを点ける。

「うわ、眩しいよ」

 さっきと変わらない位置に、美雪の全身が浮かび上がった。

「なにかな」私は、天井を照らしながら呟く。電灯は沈黙している。「停電?」

「そう、みたい……。びっくりした」美雪はコンピューターを指差す。液晶ディスプレイが輝いていた。「今、バッテリー駆動になってるんだけど、さっきまでコンセントから電気を引っ張ってきてたんだよ。私が電気を使ったせいで、ブレーカーでも落ちたかな」

「そんな脆弱な……」

 言いかけて、私は思い出す。

 玄関には発電機があった。仕組みはわからないが、発電所のものよりもかなり小規模だろう。発電所からの電気と併せて、補助的な運用をしているのだろうが、何かの都合で発電量に対する使用率の余裕がなかった可能性だって考えられる。

 様子を見に行ったほうがいいか。

 待っているのも悪い気がして、私と美雪は、真っ暗な中でライトを照らしながら、客室を出て玄関に向かった。

 誰もいない。明かりが落ちて静まり返った廊下が、私達を殺そうと考える不気味な怪物のようにも見える。セナや順吉の自室の扉に動きはなかった。この停電に慣れているのか、様子を見に顔を出すなんてことすらもしないらしい。

 玄関までの道のりは単純だった。部屋を出て、階段を下りて、そのまま突き当たりまで歩けばよかった。ライトがなくても、もしかすれば壁伝いに行けばたどり着いたかもしれない。

 玄関への扉を開くと、隙間から急激に光が差し込む。その明るさに、目が潰されそうになった。十二月のこの時間帯だから、別に外が明るいわけでもない。玄関の電灯の光だった。

 発電機の前には、岡芹が一人でなにやら腰をかがめて、ぶつぶつと独り言を言いながら工具を振り回していた。

 足音を立てると、彼は私達に気づいたらしく、脚に力を込めて立ち上がって、私達が知りたくて仕方がなかった停電の原因を、しっかりとした滑舌で口にした。

「すみませんね、雨漏りですよ、発電機のちょうど上がね」

 彼は天井を指差した。私は釣られて顎を上げた。そこは既に木版や釘やダクトテープで補強されていて、子供の悪戯のようにすら見えた。本当に雨漏りがあったのか、今の状態からでは察することも出来なかったが、確かに発電機のあたりは湿って光を反射していた。

 岡芹はため息を吐いた。

「危ないですから、一度全ての電気を止めさせてもらいました。断りがなかったのは、申し訳ありません。ですが、非常事態ですので、ご理解いただきたい」

「いえ、別に」美雪は社交辞令的に頷く。「特に、何もしていませんでしたから」

「機械の濡れた部分はさっき拭き取ったんですけど、最終チェックをしてから復旧させますので、ちょっと待っていてください」

 岡芹は、装置のレバーを操作し始めた。そう簡単に起動するものでもないらしく、何度か同じ動作を繰り返していた。本当にそんなことで電気が起こるのか、実際に目にしても私は信じられないだろう。

 美雪は機械の類に興味があるらしく、気になって質問をした。

「この家の電気は全部、自家発電なんですか?」

「まあ……全てというわけではないですね」岡芹は作業を止めないで、嫌がる様子もなくすらすらと答えた。「一般家庭と同じように電力会社からもある程度は通ってるんですけど、ただ、時々足りなくはなるんですよ。契約プランの問題なんでしょうけど。家が大きいと、それだけ必要ですしね。夜の間に出掛けられないという制約も、それに拍車をかけています」

「電気がないと暇も潰せませんからねえ……」

「そうなんですよね。まあ、もっと良い設備や供給プランに変えようかという話も出てるんですが、その工事中の間に住む場所を考えると、面倒だと言わざるを得ませんね」

 話をしていると、外に通じている扉が開いた。誰かが帰ってきたらしい。私は首を向けてその人物を確認した。睨むような格好になった。

「あら、故障ですか?」

 帰ってきたのはセナだった。いままで、ずっと家にいるものだと思っていたから、私は狐につままれたような気分になった。見ると、彼女の手提げ鞄が、鼠を丸呑みした蛇みたいに膨れ上がっていた。

「セナさん。お帰りなさい」岡芹が返事をした。「そうなんですよ。こんなところが雨漏りするなんて、想像もしませんでしたから」

「うちも古いんだって、お父さんが言ってたっけ……」

 セナが呟き、そして思い出したように、自分の携帯端末を取り出して、岡芹に言う。

「岡芹さん、忙しいところ悪いんですけど、さっき端末を落として濡れちゃって、急いで電源を切ったんですけど、大丈夫か見てもらっても……?」

「ああ、構いませんよ」岡芹は端末を受け取って、頷いた。「なら、リビングででも待っていてください。電気もまもなく復旧しますので」

「やった! ありがとうございます」

 セナは嬉しそうな顔をして頷き、私達を誘ってリビングへ引っ張った。

 リビングは当然真っ暗で、セナのような楽しい気分には少しもならなかったのだけれど、セナは私達にソファへ腰掛けるように促した。私は端末のライトでその場所をしっかり確認して、美雪と並ぶように座った。セナはその近くの、違う角度を向いている別のソファに座った。彼女はリビングの家具の配置を覚えているらしく、暗い中でもライトを使わないで動き回っていた。

 セナとなにか雑談でもしたほうが良いのかと、私は一人で悩んでいる間に、電気が復旧して明かりが灯った。点いてしまえば停電なんて、何事もなかった忘れ去られた過去みたいに感じた。ともすれば、夢でも見ていたのかもしれない。

 私達はそこで時間を潰した。美雪とセナがくだらないテレビ番組の話で盛り上がっている間、私はじっと端末で漫画を読んでいた。居心地が悪いというわけでもなく、二人が楽しく話しているだけで気が紛れるようだった。茅島さんとの、こじれた関係のことなんて、その時だけは忘れてしまえるくらいに。

 そうしているうちに、リビングに姿を見せる人物があった。

 岡芹と、もうひとり、知らない中年男性だった。

 彼は私達とセナを眺めると、どこか安心したような表情を浮かべてから、頭を下げ、私達に確認をとった。

「あなた達が、例の暗号を解いてくれるという調査員ですね」疲れているのか、どこか息が上がっているようにも見えた。「私は、セナの父で……順吉の息子の敏弘です。よろしくおねがいします」

「はじめまして」

 そう挨拶をしてから、美雪は名乗り自己紹介をした。彼女は私の紹介も一緒に付け加えたので、私は軽い会釈をするだけだった。だというのに、彼はまるで表情を変えなかったので、好印象を与えたような手応えすら感じ無かった。

 敏弘は頭の髪をキッチリと分け、無骨なメガネを掛けた中年男性だった。体型は至って特徴がない。いや、この年齢にしては筋肉質で無駄な脂肪がないのは、特筆すべき事柄だろうか。普段はなにか運動でもやっているのかも知れなかったが、特に興味がないので尋ねるつもりはなかった。

 日中はサラリーマンをしており、機械化能力者のパーツの研究開発を専門とする会社に飼いならされているのだと、本人は話した。

『槇石コーポ』。それが彼の勤める会社の名前だという。聞くまでもなく、この家の当主である順吉の立ち上げた会社だった。彼はそこで、専務という役職をやっているらしい。

 敏弘は、それだけの挨拶を終えると「ごゆっくり」と言い残して、さっさと二階へ上がった。

 見送って、岡芹は時計を確認して私達に告げた。

「もうすぐ夜……十九時です」

 彼は咎めるような釘を刺すような、どこか攻撃的な口調を持って続けた。

「何度も言いますが、夜の間は決してこの館から出てはいけません」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る