ふくみ1

 茅島ふくみはこの日、普段はさほど長居することもない食堂に、一日中居座って時間を潰していた。

 部屋に帰っても良かったし、許可の範囲内で出掛けても良かったのに、そうしなかったのは喧嘩してしまった友人のことが、ずっと頭の中に残っていたからだった。食堂にいたのは、常に誰かがいたりして、気が紛れるから以外の理由はなかった。軽食や飲み物を用意する手間が少ないから、読書でもするのには向いていた。読んだ本の内容は、ろくに記憶できていなかったが。

 施設。国に認可された、機械化能力に関する機関だった。都合良く扱うための機械化能力者が多数所属しており、茅島ふくみも例に漏れず、その一人だった。

 警察とは別の、民間組織だと表向きには口にしているが、実際のところ機械化能力者による犯罪が確認できれば、この施設から調査員が派遣される。契約上、警察とは協力関係にあるらしいのだが、現場ではそこまでの話が伝わっていないことも多く、茅島ふくみ自身苦労することもあった。結局の所、どれほどトチ狂った機能を有していたとして、彼女たちは民間人に過ぎない。

 外は、もう日が暮れていた。十二月の夜は悲しくなるくらいに長いのだというが、ほとんどの記憶を失った彼女は、その景色を体験したことはなかった。

 食堂は広く、人がまばらにいる。食事を摂っている者も、ふくみのように暇を潰している者もいたが、あまり話したことのない人間ばかりだった。彼女らごときでも、埋められる孤独はあったのかもしれない。

 そろそろ部屋に戻って、ふて寝でもするかと考えていたところだった。食堂の入り口に、見覚えのある人物が現れる。その足音を聞いただけで、彼女はため息を吐いた。

「……精密女」

 顔もあげないで、ふくみは口にした。彼女の耳は機械化されており、時として不便さすら感じるほど、その聴覚は先鋭化されていた。

 言い当てられることも承知だったように、精密女は挨拶もしないで、ふくみのいるテーブルに近寄って、わざとらしいくらい不機嫌そうに話した。

「ふくみさん。探しましたよ、ここにいたんですね」彼女は息も切らしていない。精密女の足音は、玄関からまっすぐここへ向かってきたのを、ふくみは知っていた。「彩佳さんに会ってきましたよ」

「彩佳は仕事、受けるの?」

 そう尋ねることに対して、恐怖もなにもなかった。もし顔を合わせなければならないなら、茅島ふくみはどれだけ気まずかろうと従うつもりだった。特に今、施設に逆らうような動機を、彼女は持っていなかったのが、最大の理由だった。彩佳と喧嘩した事実と、仕事で会わなければならない事実は、別の問題だとわかっていた。

 精密女は、ふくみの様子を窺いながら答えた。

「ええ、もちろん。あなたを気にしていましたし、かなり悩んだ様子もありましたが、受けるそうですよ。チーム分けは、あなたとは離すつもりですので、安心してください」

 彩佳。

 彼女の名前を聞くたびに、それでも地獄の底みたいな気分になる。普段から異常にクールだと言われることが多いふくみだったが、この一週間は更に物静かになっている自分を認識していた。片手で数え切れる程度の人数としか、口を利いていなかった。声の出し方だって、忘れてしまいそうだった。

 失恋って、もしかすればこんな気分に近いのだろうか。

 ふくみを現実に戻すように、精密女は仕事の説明をした。

「えーっと、チーム分けは、彩佳さんと美雪さんが上層。私達が、下層に向かいます。三日後に出発で、一週間ほどの滞在予定ですね。既に泊まるところは、確保しています」

「……断りなさいよ、彩佳のばか」

 内容なんて聞かないで、ふくみは親友の顔を思い浮かべて文句を呟いた。

「あなただって、彩佳さんの返事次第って言ってたじゃないですか。それで、どうするんですか?」

「断る選択肢なんて、どうせ私達にはないでしょ」

 ふくみは、力を入れて立ち上がった。

 気にかかる。彩佳の言っていた言葉。

 ――あなたは死ぬつもり。

 もちろん、彼女自身はそんなつもりで、仕事なんてしていない。

 施設では、任務の成果で今後の処遇が決まる。認められれば、施設を出て、自由になれるかもしれない。彩佳とも、もっと一緒にいられるのかもしれない。そんな淡い期待のために、ふくみは愚痴もこぼさないで淡々と任務を潰していた。

 それなのに……あの子は心配し過ぎなのよ。

 彩佳に心配されなくたって、命を投げる気なんてないのに、どうしてそれがわかってもらえないのだろう。

 食堂を出ようとするふくみの背中に、精密女が声をかけた。彼女は、なにか食べるつもりなのか、ふくみのいた席に腰掛けていた。

「謝らないんですか?」

 刺さる。

 痛みすら覚える。自分の腕をつねって誤魔化したい衝動に駆られた。腹でも切って、気が紛れるのであればそうした。

「……うるさいわね」ふくみは歯ぎしりをして、精密女の顔を見ながら答えた。「こういうのはね、直接言ったほうが良いのよ。本で読んだわ」

「向こうも謝りたがってますよ」

「そんなの……」わかっている。「でも…………」

 ふくみは、自分が今、どんな顔になっているのか、自分の筋肉の感覚だけでは、まるでわからなかった。

 そこに鏡があったなら、彼女は叩き壊しているかもしれなかった。

 かろうじて、ふくみは答えた。

「電話なんかじゃなくて、彩佳の生の声で、直接聞きたいでしょ?」

 あはは。と精密女は、何が面白いのか笑う。

「言い訳ですよ」

「……否定はしないわ」

 そのまま、どうにも精密女の、あの機械の指で背中を刺されているような幻痛が抜けないまま、ふくみは自分の部屋へ戻って、眠った。

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