二年がたっても。

 長い夢が覚めて、二年がたった。あれからやっぱり白魔法は使えなくて。教会からも迎えは来なくて。私は。


「アンナ、酒がねぇぞ!」

「そ、それが最後のお酒で」

「無いなら買ってこい!」


 空になった酒瓶が私に向かって投げられる。拭き掃除をするために床に膝をついていた私は、とっさに酒瓶を避けることもできず。背中に酒瓶が直撃した。


「いっ!」


 痛みをこらえ、うめき声もこらえていた。うめき声を出せばもっとひどい目に合うから。


「さっさとしろ!」

「は……い」


 背中の痛みに耐えながら、自分の部屋で内職している母の元に行く。お酒を買おうにもお金が必要で。そのお金は母が管理していたから。


「お母さん、お父さんが酒を買って来いって。それでお金を───」

「金ならないよ。買うならお前の金で買ってきな」


 お母さんはもう私の名前を呼んでくれなかった。お前。それが私の名前の代わりになっていた。


「でも、私のお金は」

「何のために、お前を夜の酒場で働かせてると思ってんだい。あの人がうるさいからさっさとお前の金で酒を買ってくるんだよ」


 お母さんに部屋を追い出された。夜の酒場で働いたお金は、全部お父さんの酒に変わる。

 私の身体は十歳なのに、大人のように成長していた。夢の中と変わらない、大きな胸。優れた容姿だけは変わらなかった。

 だから、私は夜の酒場に働きに出された。料理や酒を運ぶたびに、体に触られる。気持ち悪くて、吐きそうになるのも我慢して働いて。

 夢の中じゃお父さんにもお母さんにも、愛されていたのに。魅了の魔法が使えていたから。お母さんとお父さんは、私を愛していたのかもしれないと思うことが増えて。そんなことは無いと、考えが頭に浮かぶたびに言い聞かせてきた。

 本当はお父さんもお母さんも。私を愛しているけど。本音が言えないだけなんだ。お酒飲むと暴力を振るうお父さんも。私の名前を呼んでくれないお母さんも。不器用なだけなんだと。私が悪いんだと、自分に言い聞かせた。


 私のお金でお酒を買ってきて、その後に家の掃除をして。それから料理もして。家事のほとんどをお母さんはしなくなって。私のやらせるようになった。

 夜になって、酒場に行って働く。体を触られるたびに気持ち悪くて。悪寒がして。どうしようもなく嫌でも、私にはどうすることもできなくて。

 今日も身も心もボロボロになって、家まで帰って来た。早めに仕事が終わったから、いつもより長く休めると。少しほっとしていた。

 冷えた夜風が肌を撫でて、体温を奪っていく。早く夜風から逃げたくて、玄関の扉を開けようと手を伸ばして。手を止めた。お父さんとお母さんの弾んだ声が聞こえたから。


「アンナを引き取って、正解だったな!」

「あんたがあれを引き取って来た時は、驚いたけどね。今じゃ

 使えるようになったし。あの見た目だよあんた、金持ちと結婚するかもしれないじゃないか。間違っても手を出すんじゃないよ」

「わぁってるよ。弟家族が死んで、面倒な置き土産だと思ったが。金になる物を残してってくれたんだ。死んだ弟家族には感謝しないとな!」


 酔って、少しおぼつかない声が二つ聞こえた。お父さんとお母さんの話し声。声なんてどうでもよかった。私を引き取ったって、どういうことなの。


「そんなに酔っぱらっちまって。あれの前で話すんじゃないよ。本当の両親だと思ってるんだからね」

「わかってるよ。言わねぇさ」


 肌を撫でる夜風で、冷えていた体は。なぜか熱くなっていた。内側で薪が燃えているように、焼けるような熱さと痛みが私を焦がしていく。

 熱くて、痛くて。私は逃げ場を求めて、ドアを開けた。

 ドアの向こうには、驚いたお母さんとお父さんがいた。


「ア、アンナ。今日は早かったじゃねぇか」


 酔いがさめたように、赤らんでいた顔が白くなっていくお父さん。目を見開いたまま私を見ているお母さん。


「私が、お父さんとお母さんの子供じゃないって本当なの?」


 私の声は、燃え盛る体の内側とは反対に。低く冷たくなっていた。


「そ、そんなことないよ。何言ってるんだいお前は。冗談は良しなよ」


 二人とも声は震えて、顔は白くなっている。

 どうして?

 なんで?

 何か恐ろしい物でも見たの?


「さっき話してたでしょ。二人で楽しそうに」


 黙り込んだ二人に私は近づいていく。

 私は、本当の親じゃない人にのために。

 こんなに苦労して。

 愛されないのは私が悪いんだと思い込んでいたのに。

 はじめからこの二人には、愛なんてないかったのに。

 私は騙されていたの?


「私をだましていたの?」

「だましてなんかないよ、お前は私たちの子供さ。ね、あんた」

「お、おう。そうだぞ、アンナ。お前は俺たちの子供だぞ」


 何故だろう。二人が嘘をついていることがわかる。胸の内側で燃える何かが、私のそう教えてくれる。二人の感じている感情も全て。

 焦り。

 恐怖。

 怯え。

 二人の感情が手に取るようにわかった。私の内側の火は、私の中では収まりきらないほどに大きくなっていく。二人の感情が新しい薪となって。さらに強く燃える。


「ひっ!」

「うわぁぁ!」


 二人は叫び、泣き逃げようとする。

 なんで逃げるの。どうして逃げるの。そう思って右足を一歩踏み出した。追いかけるために、まだ聞くことがあったから。

 でも、追いかけることも。聞くことも。出来なかった。

 踏み出した右足から、黒い炎が躍り出た。黒い炎は私の内側から溢れだしたのだろうか。分からない。分からないけど。黒い炎は床を伝って、二人を包み込んだ。

 きっと二人は、この黒い炎から逃げていた。私の背後か、私自身から。黒い炎が漏れ出ているのを見たんだ。

 悲鳴も叫びを。全てを飲み込んだ黒い炎は。行き場を失い、家具や家を覆い燃え盛る。

 火の海になった家の中で、私は一人床にうずくまっていた。体の内側は燃えて焦げるほどに熱いのに、家を燃やす黒い炎は熱くない。私だけが取り残された、この場所で。内側の苦しみに蹲って、意識を手放した。

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