第9章 虹の彼方に(3)
カリヤ公もダイゼンで次の王妃への関心が高まっているのを知り、王はアン公女を選ぶだろうと予測した。それはすばらしい半面、大切な人を失うような寂しさも覚えるが、王のほうが寂しいのだ。自分には守るべき家族がいる。王に招かれたカリヤ公はダイランの王宮へ出かけて行った。話はやはり王の結婚についての相談だった。
「カリヤ公には妹サラも、クロード王太子も持っていかれた。余にはもう何もない。アン公女との結婚を承知してくれぬか?」
「私の承諾など必要ないでしょう。私は喜んで承認し、祝福させていただきます」
そうか、と王はカリヤ公を見つめた。
「アン公女がカリヤ公を慕っているのは知っている。カリヤ公もいとしく思っているはずだ。しかし互いに自制して距離を保っているのも判る。深い仲にはなってはいないだろう」
「ですから私に遠慮はご無用です。私はお二人の末長いお幸せを祈っております」
「運命というのは不思議なものだ。思うようにならず、失ったかと思えば新しい希望が生まれることもある。余は気分一新してダイゼンをより良く改革していくぞ」
「それでこそ大国の王として尊敬され、君臨していけるのです。楽しみにしていますよ」
王は立ち直った、とカリヤ公は安堵した。
しかし王は少し声を低めてつづけた。
「カリヤ公に提案と言うか頼みがある。余はともかく、もうアン公女に子を望むのは無理だろう。それで、だ。クロードとアンの息子をダイゼンに迎えたい。余のあとを継ぐのはクロードの子以外には考えられぬのだ。アンは二人の息子に恵まれ、今も子を宿しているそうではないか。アンも嫌とは言うまい」
「判りました。アンには私から話します」
カリヤ公は快く承諾した。
「上のアルバートは金茶色の髪をした温和な男児ですが、エドワードはクロード王子に似た顔立ちで髪の色も同じです。私の母がアンに、カリヤのような小国ではなく、エドワードはもっと大きな存在になる運を持って生まれてきた、と話したことがあるそうですから、きっとアンは喜んで送り出すと思います」
そうか、と王は安心したように微笑した。
「アン公女も慈しんで育てるだろう。楽しみが増える。それにしてもアン公女とアン姫が同じ名前というのも縁を感じる。なぜアンと名付けたのだ? アン公女とは関りないだろうが」
「可愛い名前だと思って付けただけですよ」
王の瞳は笑いを含んでいる。
「ダイゼンであれほど騒がれた男だ。心に秘めた恋の秘密が一つや二つあってもおかしくない。何であれ余は認めるゆえ心配無用だ」
王は冗談半分、良い気分で寛いでいた。
「昔、父王の妃候補にアキノ夫人が推されていたと聞いたことがある。もしかすると余とタクマは本当の兄弟だったかもしれないが、実の兄弟でなくても長く信頼し合える良い関係を続けられたのはうれしいことだ。そう思わぬか?」
「私には現実しか考えられません・現実がすべてですし、現状に満足しています」
「不満はないと申すのだな?」
「カリヤの君主として幸せに暮らせる感謝と誇りを忘れたことはありません」
うむ、と王は満足そうに頷いた。
「それではアン公女との結婚を祝ってくれるのだな、安心したぞ」
「王妃として尊敬されるでしょう。アン公女がずっと独身のままでは私の胸が痛みます。前王妃もご立派でしたが、アン公女は国民により慕われる存在になられると思います」
クリスを通じて話を聞いたアン公女は驚いた。王妃などという大役はとても務まらないと固辞したが、王の再度の求めに断り切れず、クリスはカリヤ公に妹を説得してほしいと頼む。モリスの困惑ぎみな視線を感じながらも、カリヤ公は快く、重い役目を引き受けた。
アン公女と二人だけで向き合うのは久しぶりだが、迷っている愛しい人を説得しなければならない。自分の想いは閉ざすしかないのだ。
「あなたはダイゼンの王妃にふさわしい。そのままのあなたで充分です。自分を変えようなどとは考えず、自然に振る舞ってください、そのほうが王は喜ばれます。自信を持って王の求婚に応えてください」
「グラント王が立派で優しい方だと尊敬はしていますが、王妃としての務めが果たせるかどうか、私には自信がありません」
「初めから自信のある人などいませんよ。経験を積み重ねて成長していくのです。文化や芸術をもっと高めたいと考えているあなたの思いを実現できるのはあなただけです。私の心はいつもあなたの側にいて見守っていますから、困ったときはいつでも知らせてください。すぐ駆けつけて力になります。ですから安心して、自信を持ってお受けください」
「判りましたわ」
アン公女は伏せていた顔を上げて、まっすぐカリヤ公を見つめた。旅の途中では見せたことがない真正面からの美しい瞳……。
(あの時のアンだ……)カリヤに来たアン公女と一緒に馬を駛らせ、湖畔で馬から降りたアン公女は上気した顔をまっすぐ向けて微笑んだ。情熱に満ちた、もの言いたげな瞳を、今は懐かしくも悩ましく思い出す。
自分も愛のまなざしで応えていただろう。しかし立場を考えれば、護るべき国や家族もいる。自分に課せられた任務を思えば先へ進めない。自分の想いは叶えられなくても、密かに愛する女性を、もう一人の敬愛する人に委ねるのに何の愁いがあるだろうか。
「お受けすることに決めました」
毅然としてアン公女は微笑した。
「何かの折には相談させていただきます」
「王と幸せに過ごされるよう祈っております」
カリヤ公も安心したような笑顔を見せた。
一抹の寂しさはある。周囲からは何でも思い通りになった幸せな人間だと思われていても、自分の気持ちは自分にしかわからない。
いや、もう決まったことは前へ進むしかないのだ。一時の夢であっても美しい思い出はずっと心の中で生き続けるだろう。
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