第9章 虹の彼方に(1)
二年ほど秘密に自由な旅を何回か楽しんだグラント王だったが、留守中にエンリ王子はいくつかの問題を起こしていた。うわさが広がっている。
リード公やライモン兄弟から話を聞いた王は気ままな旅を止め、安泰と信じていた国情を見直すようになった。
一つはエンリ王子とカムラ将軍家一族との確執が深まったことだ。なぜかダイトを嫌う王子が、学友だったアレン侯家の息子ラビンと仲間たちを集め、新たな親衛隊をつくらせようとしたことによる対立だ。
演習で脇に押しやられ、怒声を浴びせられたダイトが引き下がることはなく、誇り高いカムラ将軍家が黙っているはずもない。将軍家の者よりラビンを上位に置こうとする王子と、ダイト双方が譲らぬ対立に、怒ったエンリ王子が突き付けた剣先をダイトは避けず、胸から血を流したのを見た将軍家の者たちが、一斉にエンリ王子を取り囲むという事件が起きた。
むろん王子もダイトも謝ろうとはしない。それを知ったマリウスはすぐリード公と共に駆けつけ、なんとかその場を収めたのだが、その上、ラビンの妹と結婚したいと言い出した王子を、グラント王は厳しく𠮟責した。
国と王家を護る、功績のあるカムラ将軍一族を大切にせよ。アレン侯家との婚姻はならぬ。と怒られた王子を庇い、王をなだめた王妃は、エンリ王子の反抗的な態度を見て心を痛めた。
王の留守中、エンリ王子の粗暴で自分勝手な振る舞いに気づいた王妃は、密かに愛する息子の将来を案ずるようになっていた。夫と次の王になる息子との間が平穏であってほしいと願いながら、黙って見守っていたのだ。
王宮に落ち着いた王は、エンリ王子が創った特別部隊を解体してラビンを解任し、カムラ将軍に忠誠を誓え、と命じたが王子は聞き入れない。ラビンを信用し、妹とも親しくなっている。しかしアレン侯家の過去の醜聞を知る王は頑として許さないのだ。
やがて自分の身や地位に危うさを感じ始めた王子は、ラビンと仲間たちにグラント王を廃位して、自分が王位に就けばいいと唆され、思案を巡らす。手っ取り早いのは毒殺だ。
グラント王は外出して帰城すると、居間で王妃が淹れる香茶を楽しみながら、寛いだ時を過ごす。
静かな午后、何げなくやって来て雑談しながら機会を待っていたエンリ王子は、ついに母が父王へ勧める香茶の中に毒薬を入れることに成功した。
王妃は香茶椀に香茶を注ぎながら、ふと微妙な色の違いに気づいた。手を止めた母に、
「早く父上にお勧めください」と促す王子の刺すような目を見た王妃は、一瞬、手渡そうとした香茶を自ら飲み干してしまった。王は不審な目をしたが、「母上、どうされたのですか?」と手を差し出す王子と、苦しそうな表情で床に崩れ落ちながら「……あなた……」と悲痛な声をあげた王妃を見比べた。
「どうした、アリサ!」異常を察知して抱きかかえようとした王に向かってエンリ王子は素早く剣を抜き放す。同時に王の剣も唸りを上げた。生きるか死ぬか……愛する息子の背信に怒った王の苦渋の決断だった。
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