第8章 旅立ち(2)
カリヤ公がダイランの王宮に着き、しばらく歓談した後、グラント王は宰相と少し話があるからと王妃を残して部屋を出て行った。
王妃と二人で何となく無難な会話を交わしているうちに、真面目な顔になった王妃が、「あなたは本当にサラ王女を愛していらっしゃったのでしょうか?」とカリヤ公に尋ねた。
「言うまでもありません。あのいとしい方はいつまでも私の胸に貴い宝として存在しています」
「でも、すぐ再婚されましたわ。サラ王女に悪いとは思われなかったのでしょうか」」
王妃の言い方は少し厳しかったが。
「この世は生きている者の世界ですから、私が現世の幸せを求めても、サラ王女は許してくださると思っています」
「それではあの世とやらへ行かれたら、どうなさいますの? 王女と公妃を両手に巧く捌いていくおつもりですの?」
王妃の瞳を見たカリヤ公は微笑した。多少からかい気味の口許だ。
「あの世があるなら私はサラもアミラも愛さないでしょう。あの世がすべての望みを叶えられる場所であるという前提に置いてですが」
「グラント王を愛すると仰言るのですね」
「王妃、もうやめましょう。もしかすると私が愛している人はあなたが知らない誰かかもしれませんし、国民すべてが敬愛するあなたなのかもしれませんから」
「私をからかっていらっしゃるのですね。あなたは自分が欲しいものは何でも手に入れる稀に見る幸運な方だと思いますわ」
「それを仰言るなら、あなたこそ伝統ある国の王女に生まれ、万民に仰がれる大国の王妃になられて、すべての頂点で輝いておられる。立派な夫と優れた息子も得られた、それ以上の幸せがありましょうか?」
「何を持って幸せと仰言るのでしょうか?」
「まだ何かご不満がおありですか?」
二人は一瞬強い視線を絡ませた。
「あなたと私とは、いつまでたっても相容れない間柄ですわね。王は確かに立派ですし、強くて優しい方ですわ。あなたもそういう王に惹かれて愛していらっしゃるのでしょう」
「さあ、強いと言えば王より王妃、あなたのほうが強い方だと私は感じております。あなたは女王になられても立派に君臨されるでしょう。たとえダイゼンの女王であっても」
王妃は沈黙した。王は返答に困ると無言になるか、違う話に変えてしまうのだが、カリヤ公は正面から切り返してくる。王妃にとってはやりにくい相手だが、遠慮なくやり返せるので張り合いがないわけでもない。
しかし、同じように沈黙しつつ自分を見つめているカリヤ公の瞳は、かつて見たこともない優しさと情熱に満ちているように感じる。(この瞳にみんな騙されてしまうのかしら?でも私は騙されないわ。誠意のある人で信用はできるけれど…)それでも王妃は内心、動揺しながら、何となく次の言葉を待つ。カリヤ公はじっと王妃を見つめて口を開いた。
「私はあなたを讃美し、心の中で愛を捧げながら見守ってきました。決してあなたを裏切ることはありませんから、何があっても私を信頼してください」
その言葉は王妃の心を和らげたようだ。
「あなたを信頼しながらも、私は不安を消せませんでしたわ。深い愛に結ばれているようなふたりを見るのは苦痛でした。心細い思いもしましたけれど、リード公が王国の華となり国民から愛される女神、そして慈母になるようにと励ましてくださった言葉を頼りに、信頼を得られるように努力してきたのですわ。いまでは王を理解できますのよ。夫は心からあなたを愛していますけれど、強い理性で一線を引いている。悲しみもあったでしょう。ですから私は夫がほかの女性に迷ったことも、私と距離を置いたときも、大きな愛で許し、包み込んでこられたのですわ」
「あなたはご立派です。しかし一つ訂正させてください。王が心から愛し、信じておられるのは、王妃であるあなたなのです」
二人は静かに互いの瞳を見交わした。
「そうですね。あなたが私の義弟になったのも、きっと偉大な神の御意思でしょうから、私は喜んであなたを受け容れますわ」
「私の存在があなたに不安を与えたのは知っていますが、私は男性です。グラント王に忠誠を尽くし、すべてを受容して危急の際には命を捧げる。その覚悟は昔も今も変わりません。私はグラント王と同様に、誇り高いあなたを敬愛してきました。あなたが悲しいときは私も悲しみ、あなたの喜びは私の喜びでもあったのです。その愛は今後も変わらないでしょう」
カリヤ公の瞳がまっすぐ王妃を見つめ、王妃の瞳も優しくなった。
「アリサ王妃、もしグラント王に不測の事態が生じたときは、私の愛を受け容れてくださいますか?」しばらく沈黙してから、王妃は、「それはできません」と優雅に微笑した。
「私はカザクラの王女でした。その伝統を変えるつもりはありませんわ。万一の場合はあの世での幸せを願って、祈りを捧げながらダイゼン王国のために力を尽くします」
「それでこそダイゼンの誇れる王妃です。安心しました。しかし私がいつも誠意をもってあなたの側にいることをお忘れになりませんように。あなたが常に輝いてくださることを祈っております。何があろうと私を信じてお任せください。あなたのためにも全力でグラント王の安全をお守りする覚悟ですから」
王妃は少しいぶかし気な顔になった。(何があるというのかしら? ダイゼンは安全でしょうに…)何の事なのか訊いてみたいと思ったとき、グラント王が明るい表情で戻ってきた。
「宰相との話は済んだ。これでゆっくりできるぞ。アリサ、香茶を淹れてくれないか?」
お妃が立ち上がって、侍女のほうへ向かうのを見送りながら、
「これで後は安心だ」と王はカリヤ公にささやいた。
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