第8章 旅立ち(1)

 何も警戒せずに、ゆっくり近づいてくるクロード王子を見て、微笑しながら二、三歩足を進めたカリヤ公は、いきなり剣を抜き放ち、眼前に突き付けた。

 厳しい表情に変わったクロード王子の手が素早く動き、鋭く迫った剣先を躱して、攻撃態勢に移る。隙のない応戦ぶりだ。

「お見事!」とカリヤ公は破顔一笑。

「親しい者にも油断をしてはなりませぬぞ」

「誰も信じるなと仰せか? 私は信じたい。私の信頼を損なわれては困惑致します」

「クロード王子、私がこれからお話しすることは他言無用です。よろしいですね。私はしばらくグラント王と旅に出ます。王の気分次第、風や雲の機嫌次第で、いつ戻るとは言えませんが、湖上祭には間に合うでしょう。カリヤは当分の間、王子とアンに任せます。平和で堅実なカリヤを護っていてください」

「旅に? どちらへ行かれるのですか? 公妃はご存知なのですか?」

「公妃にもしばらく自由に過ごしてもらいます。何か事があれば、私は病気療養中とでも発表して、王子が裁断されればよろしい」

「公妃が納得されるとは思えません。私は反対です。アンも心配するでしょう」

 カリヤ公はクロード王子の肩を抱いた。

「これからはあなた方の時代になるのですよ。私は見守るだけです。安心して平常通りお暮しなさい。カリヤは平穏な国です」

「国や家族と離れて、どうなさるのですか」

「見聞を広めれば得ることも多い。冷静に諸国の情況を見て回りたいのですよ」

「どうしても行かれるおつもりですね」

 クロード王子は澄んだ瞳を向けた。

「判りました。後はご心配なく私にお任せください。お帰りになるまでアンと二人で立派にカリヤを護っていきます」

「それでこそ私の誇れる息子だ。クロード王子、私は安心して旅立てます」

 カリヤ公は微笑を残して立ち去ったが、クロード王子はその場に立ち止まったまま考え込んだ。愛するアンの父であり、自分が敬愛するカリヤ公に不測の事態があってはならない。このまま送り出すのは不安だ。

 言い出したらなかなか後に退かない父グラント王が、やっと自分たちの結婚を許してくれたのはうれしいけれど、今度は義父を強引に連れ去ろうとしているように思える。新たな心配が広がり、やがて王子は足早に奥へ入って行った。カリヤ公が信頼しているハラド公に鳩を飛ばしておこう。きっと良い方法を見つけてもらえるはずだ。

 翌朝、カールとタクトだけを連れて、カリヤ公はダイゼンへ発った。

 ダイゼンでグラント王と内密の用があると言われて父を送り出したアン姫は、もし湖上祭に間に合わなくても予定通り行えという父の言葉に、多少の不満は覚えても疑っていない。王子は不安を胸に秘め、黙って時を待つことにした。


 カリヤ公は王都ダイランに着くと、まずモリス・ハラド公と会って話を交わし、続いて森の館へリード公を訪ねて行った。

 そのあと王宮へ向かう道々、カムラ将軍家一族の青年たちが街を巡回している姿を見て声をかけ、「王宮の護りを頼むぞ」と激励していると、セキト副将が近づいてきた。

「ライモン兄弟やマリウスがいるから王宮は心配ないぞ」

 と言いつつ、少し不審な顔をした。

「どこかへ行くのか? なんだか怪しいな」

「しばらく逗留するから持ち物が多いのさ」

 笑いながらはぐらかしたが、

「エンリ王子の動向が気になるな」

「我らが勝手な真似はさせないから大丈夫だよ。もうすぐ王太子式もあるし、少しは考えるだろうよ。それより王太子は元気か?」

「お元気だよ。マイヤ夫人も身ごもったのか?」

 うん、と照れくさそうな顔をしたセキトの肩をたたき、カリヤ公は王宮へと向かった。

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