第5章 愛の花咲く頃(3)

 父の大公には冷たい態度を示すアンリだが、アムランでは父の名誉回復を願い、精力的に活動していた。次々と行われる集会で、理想の国造りや構想を語り、演説のあとは討論に力を入れ、支援者を広げていく。

 アンリはアムランの若き英雄として支持され、押し上げられながら、故オルセン宰相の功績や改革者として人気があったオルセン大公の過去の話をうまく持ち出して、そのうちカリヤから元気な姿で戻ってくると、みんなを納得させたり期待を持たせたりと奮闘していた。

 しかし若者たちは、自分たちの理想を実現する指導者として、アンリを尊敬するようになっていた。王か宰相にという声が高まったのだ。

 そんなある日、アラセ長官がアンリを一室に呼んだ。卓上には短剣が置いてあった。

「兵士の一人が見つけて持ってきたのだ。由緒あるものだと思うから、差し上げたいと言う。みんなアンリがこの国の最高位に就いて、改革してほしいと望んでいる。そうなれば私も君を支えて力を尽くすが、どうだ?オルセン大公の代わりに就任すると宣言しては」

 期待されるのはうれしいが、まだ荷が重いな、とアンリは思う。早く大公に復帰してもらいたい。それに大公が父親だと、どのような形で公表すれば良いのかも悩むところだ。

 長官やラウルは知っているので、心配するなと励ますが、慎重なジョンは、大公が全快してアムランに戻ってからにしろ、と言っている。もう少し公表は待ってほしいと頼み、渡された短剣を見たアンリは首を傾げた。

 柄に三個の美しい紅玉がはめ込まれた逸品はアムランのものとは思えないし、もしやメイ妃がエミルを刺した短剣ではないか? 大公がなぜか欲しがっていた物だとしたら、渡したほうがいいのか? しかし、見るたびにエミルを思い出すようでは困る。大公としても父親としても毅然とした人であってほしい。

 それに、人を刺した短剣は不気味な気もする。やはり大公に渡すのはやめよう。

  一度、カリヤ公へアムランの情勢を報告しに行かなければならない。父の親友であり、信頼できるカリヤ公に相談してみよう。アンリはカリヤ城へ行ってから、セイランの保養所へ短剣を持っていくか処分するか決めようと思った。自分が持ちたいとは思わなかった。


 カリヤ公は短剣を見て、柩の中でサラ王女が抱えていた短剣だとすぐに確信した。回りまわって戻ってきた短剣に、妙な因縁を感じるが、アンリに話せることでもない。

 サラ王女の死は心に引っかかっている。アンリに、どうすれば良いかと訊かれたので、

「人を不幸にする短剣は、穢れを払って浄めたほうが良いと思う。幸いカリヤの寺院には祈祷や除霊を行う高潔なイラヤ高僧がいる。明日にでも行ってみよう」

 と、カリヤ公はウィルを寺院へ行かせ、高僧の承諾を得た。イラヤ高僧は快く引き受けて祭壇を浄め、香華を用意して皆を迎えた。マナセ大臣夫妻や隊士たち、そしてアダやイクマも席に着いたが、アンリが高僧に短剣を手渡そうとしたとき、イクマが声を上げた。

「あれです。サラ王女さまが待っておられたのは……」

 みんなの視線を受けたイクマの代わりに、

「昨日、私がイクマと一緒にサラ王女の処へお花を捧げに行きましたら、『もうすぐ私の大事にしていた品物が戻って来る』と言われたと申しておりました。何を言っているのかと思っておりましたが」とアダが話した。

「この短剣には女性の血や涙が沁み込んでいますから、祈祷やお祓いを喜ばれるでしょう」

 みんなが驚いてイクマを見つめた。

「イラヤ高僧、祈祷と除霊をお願いします」

 カリヤ公は静かに促し、イラヤ高僧の朗々とした祈祷が始まり、鈴の音が響いた。みんなは頭を垂れて聞き入っていたが、高僧の喝を入れ、叱咤する声がつづいたあと、しばらく沈黙していた高僧が

「無事に収まりました」と告げたので、みんなはほっとしたように頭を上げた。

「エルダ王妃は王の愛妾を刺殺し、殺された女性と共に長いあいだ冥界で苦しまれていましたが、やっと怨念を無くして天界への道へ昇って行かれます。もう凶事は起こらないでしょう。オルセン大公の姉君も、カザル王の姉モリカさまも、もう心残りはないと仰言っておられます。ライラ王妃の恨みやサラ王女の執念も消えています。これで短剣は安心してサラ王女の人形の腕にお渡しできます」

「メイ妃は大丈夫ですか?」とアンリが問う。

 アンリにとっては見たこともない人の話よりも、自分をいつも温かく迎えてくれるメイ妃のほうが心配になる。もう災いは起こらないと言われても、エミルを刺した罪はどうなるのか? 高僧は穏やかな瞳でアンリを見た。

「エルダ王妃は美しい女性や、道に外れた愛に溺れた女性などを見ると不幸にしたくなったと言われました。しかしメイ妃は純粋に夫の身を案じ、無心の心で愛する人を護ろうとされた。エミルは上位からの命令を受け、心ならずも従うしかなかったのです。いまは束縛をとかれ、自由になれたから怨んでいないと、かえって喜んでいますから、メイ妃に災いが降りかかることはないでしょう」

 エミルも嫌な役目を押し付けられ、涙を呑んで従った被害者だったのか、とアンリは理解し納得した。

 王の独占や、上位の者だけが特権を得たり、富を得たりする国の仕組みを変えなければならない。万民の思いや願いを知り、みんなが平等で協力し合える良い社会にしたいと、アンリは改めて心に誓った。

 父オルセン大公も、初めはその理想に向かっていたはずだが、権力を得たいと望むモール一族にうまく取り込まれてしまったのだ。少し父に優しく接しようとアンリは思った。短剣の件は秘密にして、知らせないほうがいいだろう。これからは前を向いてほしい、と。

 やがて短剣は「サラ公妃記念館」にあるサラ公妃人形の腕に抱かれ、人々の祈りに包まれた人形は微笑んでいるかのように見えた。

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