第3章 謎めく未来(4)
翌日、アン姫は貴賓館へ馬を飛ばした。ちょうどカザル王はひとりで香茶を飲みながら寛いでいたので、快く不意の客を迎え、アン姫にも香茶を勧めたが、アン姫は侍女たちを退がらせて、自分の味方になってほしいと真剣な顔で訴えた。
「ダイゼン王は私のカリヤ公国を奪うつもりなのです。でも私はカリヤを護りたいのです」
カザル王はアン姫を疑わしげに見つめたが、アン姫は自分の想像を加えて話しつづける。
「私はクロード王太子を愛していますけれど、結婚は無理だと言われましたの。クロードと結婚したければ、またカリヤをダイゼン領にして一緒になればいいと。でも、私は父上が築かれたカリヤを愛しています。カリヤの独立と繁栄、そして平和が永久につづくよう願っていますわ。ですからカザル王、いざとなったらカリヤを護って、一緒に戦ってください」
カザル王は黙って聞きながら、あながち嘘とばかりは言えないなと感じた。ダイゼンの王太子をカリヤのような小国へ婿入りさせるなど、グラント王が承知するはずがない。どうしても結婚したいと願うなら、合併してしまう方法を選ぶだろう。しかし、それでは長年にわたって努力を惜しまず、平和な観光国としての治世をつづけてきたカリヤ公の名誉はどうなるのか?国も愛娘も失うような屈辱に耐えられるだろうか。カリヤ公とて黙って引き下がるとは思えない。敵わなくても戦うことになればカリヤ公の命も危うい。
返還されたとはいえ、カザルもかつてはダイゼンに奪い取られたのだ。眠れる獅子はいつ目を覚ましてとびかかって来るか判らない。だが、大国の横暴を許せるものか。カザル王は軽々しく「加勢しよう」という約束はしなかったが、「いざとなれば同盟国の協力を得て阻止できるはずだから心配はいらない」とアン姫を安心させた。
それでもカリヤに帰ったアン姫は、ダイゼンの青い軍隊がいつ襲ってくるかもしれないという妙な恐怖心をぬぐえなかった。愛しているクロード王太子と結婚したい。あきらめるのは嫌だ。でも、カリヤはカリヤ公国として護りたいし、女王の座を妹のサラ姫に譲ることは断じてできない。(父上は私に期待してくださるのですもの、何としても女王になる)
考えたあげくアン姫は、ダイゼンと戦争になったらどうするつもりか、と父カリヤ公に尋ねてみたが、ダイゼンとは戦わないと簡単な返事に焦りを覚えた。
「なぜダイゼンと戦わないのですか? もし攻め込まれたら、国を護るために戦うでしょう? 父上は青い軍隊が怖いのですか? グラント王が恐ろしいのですか?」
爛らんと迫るアン姫の瞳を受けて、カリヤ公の抑えていても烈しい瞳が見返した。
「私はグラント王を恐ろしいと思ったことは一度もないが、青い軍隊の勇猛さはよく知っている。どの国であれダイゼンと戦うことは避けたほうがよい。アンには判らぬだろうが、戦いに敗れ去るほど惨めで悲しいことはないのだ。なぜ戦争などという馬鹿げたことを考えたのだ?」
「馬鹿なことではありませんわ。私はカリヤを奪われたくないのです。もし戦争になったら、カザル王も味方になってくださるというのに、父上は戦わないおつもりですか?」
「カザル王……ダリウスになぜそんなことを話したのだ? 何かあったのか?」
父の強い瞳に押されたアン姫は仕方なく、
「グラント王はその気になればカリヤをダイゼンのものにするのはたやすい、と言われたのです」と訴えた。カリヤ公はしばらく黙ってアン姫を見つめてから優しく話しかけた。
「なるほど、その気になればたやすい。しかし、その気になればとはどういうわけだ。アンが何か王を困らせるようなことを言ったのではないか? 正直に話してごらん」
「何も……私はただ、クロードが好きで結婚したくても無理だと言っただけです。クロードはダイゼンの王位を継がなければならないし、私はカリヤ女王になるのですから、ダイゼンには行けませんもの」
カリヤ公はアン姫を抱えていた手を放して小さく頷いた。
「クロード王太子と結婚したければ、カリヤを併合すればよいと言われたのだな?」
アン姫はあわてて首を横に振った。
「アンはカリヤとクロード王太子とどちらが大切なのだ? どちらを選びたいのだ?」
アン姫は沈黙した。父親譲りの烈しい瞳が鋭く宙を見つめている。一番訊かれたくない質問だ。答えられない問題なのだ。どちらとも言えない。どちらも大切なのだから。
カリヤか? それともダイゼンのクロード王太子か?
「クロードがいなくても、エンリがダイゼンを継げると思います」
「アンがいなくなったら、カリヤはサラが継ぐか? アンはそれでいいのか?」
いいえ、とアン姫はきっぱり答えた。
「私はカリヤを護ります。私はカリヤ公国の女王以外の道など考えたことはありません」
「それなら迷わずカリヤの女王になれ」
カリヤ公の声は静かだが厳しい。押し黙った娘をしばらく見つめてから、カリヤ公はアンを抱き寄せ、耳元にささやいた。
「アンの力でカリヤもクロード王太子も共に我がものとするのだ。ダイゼンの王太子と思ってはならぬ。クロードはひとりの青年であり、アンの夫としてふさわしい良い男性だ。その手で堂々と戦え。真実の愛をまっすぐ告げてみよ。そして勝利するのだよ、アン」
「グラント王を敵に回すことになっても?」
父と娘は烈しい瞳を見交わした。ふと思い出すのは一途に愛を求めてきた情熱的なサラ王女の姿だ。強く美しく成長した自慢の娘アンに挑まれて、断れる青年などいるものか。あとは熱い恋心を胸に秘め、じっと耐えているクロード王太子が、その重い地位を捨てられるかどうか。万に一つの可能性に賭けるのではない。必ず勝ち取って見せるという強い意志と行動で状況は変わっていくはずだ。
「私は決してカリヤを誰にも渡さぬ。この美しい国を汚すことなくアンに譲るぞ」
百万の味方を得るよりも心強い父の言葉にアン姫は飛び上がって両腕を父の首に回した。弾力のある若い躰が歓喜にふるえている。自分の命よりも大切な自慢の娘が結婚したいと恋い慕う相手は大強国の王太子だが。そして、愛する娘を若い男性の手に委ねる口悔しさと心配に耐えねばならないが、それよりも娘の幸せを願わぬ親はいない。結婚するならアンと変わらぬ慈愛の目で見守ってきた、あのクロード王太子以外に考えられないではないか。
カリヤ公は心の中で複雑な思いをかみしめる。自分は永久の誓いを全うできなかったが、娘は永く愛する人と一緒に生きてほしい。娘の願いが叶うように喜んで盾になってやろう。たとえグラント王と相対することになっても。
一方、ダイゼンではアン姫からの訴えを聞いたカザル王ダリウスが、モリスに自分の懸念を話し、意見を聞いていた。モリスも眉をひそめたが、クロード王太子の想いを叶えてあげたくても、大国を背負う責任の重い立場にいる王太子だ。同様にアン姫も、愛するカリヤを捨てるとは思えない。どちらを断ち切ることができようか? 双方の気持ちが判るだけに動きづらいし、グラント王に下手な意見は反発を招くだけだ。かえって事態を悪化させて悲劇を呼んでは……。カザル王の心配はモリスも充分理解できたが、
「心配するな、ダリウス。お二人とも死を選ぶほど弱い方ではないぞ。きっと自分たちの意思を通し、愛を貫かれるだろう。愛の力は強いものだ。成さねば自信も失われる。この先、君主として国を治める立場の方たちだ。障害を乗り越えて、自分たちの道を切り開いていけるかどうか、力を試されているのだと思って見守っていたほうがいいだろう」
「見守るしか方法はないだろうか」
カザル王は唸った。義弟でもあるカリヤ公の名誉が護られてほしい。そのとき妙なことに気づいた。もしグラント王の妹サラ王女が不慮の死を迎えず、カリヤ公妃として健在であったら、そしてアン姫がサラ王女の娘として生まれていたなら、たとえ相思相愛であっても許されない恋だ。アリサ王女が輿入れしたときも、血が濃すぎると心配した学者がいたという話を聞いたことがある。
幸いといってよいかどうかは判らないが、アン姫はアミラ公妃との間に生まれた。グラント王の義弟でなくなっても、信頼してカリヤを任せているのだから、何があってもカリヤを襲うとは考えられない。自分の思い過ごしだ。グラント王を信じよう。そしてクロード王太子とアン姫が折り合って、無事に結婚できるように祈るだけだ。カザル王はやっと心を落ち着かせて香茶を手に取った。
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