終末世界のアリア
海野月歩
終末世界のアリア
「どうしてこの町には女の子しかいないの?」
僕のクラスに変わった女が転入してきた。電子国家ニッポンの管理下に置かれている凜檎町に引っ越してくる人間はそもそも稀なので興味があった。
「みんなに転入生を紹介する。金時堂ありあくんだ」
第一凜檎中学校二年B組の朝のホームルーム。女教師から紹介されたその女は、人形のような愛らしさを携えて歩いてきた。規定の制服を飾る白のレースは、彼女の見事な金糸の髪によく似合う。女の髪を彩るのは橙色のリボンだ。この町の女どもの中でもかなりの別嬪だった。
「・・・・・・よろしくお願いします」
派手な見た目のわりに警戒心が強いのか、こちらを値踏みするように睨みつける。窓から差し込む朝日が彼女の陶器のような白い肌を輝かせていた。夏真っ盛りの七月、生徒は皆夏服で、生白い腕を晒していた。それは僕も例外ではない。周りの生徒とは違う、スカートではない制服は、夏場では少し暑苦しい。ワイシャツの第一釦を開けてなんとか暑さを和らげていた。
「そうだな。金時堂くんの席は緋方くんの隣だ。彼女から色々と教えてもらうといい」
「・・・・・・僕がですか? 僕に任せても何もできませんけど」
突然僕が名指しされ、思わず反応してしまう。女教師は快活に笑った。
「金時堂くんを任せれば、君のサボり癖も治るかと思ってね」
やはりそうくるか。普段から授業をサボっているので完全に問題児扱いされている。うえ、と舌を出してみせれば、生徒たちはくすくすと笑った。
金時堂ありあという少女はむっつりとした表情で僕の右隣の席に座る。僕の席は窓際の一番後ろの席だ。なぜなら僕は他の生徒たちに比べて発育が良く、身長が誰よりも高かったからだ。対する金時堂ありあは誰の目から見ても小柄で、この後ろの席からボードが見えるのか疑問だ。この時代、ボードなど滅多に使わずすべて机の上の仮想液晶システムで授業が展開されるから大丈夫だとは思うが。大昔はチョークなどという粉塗れのものを使っていたというのだから、技術も随分進歩したのだろう。その恩恵を受けて、凜檎町は今日も政府の管理下の中、平和な日常を送れている。
ホームルームが終わり、間もなく一限の授業が始まる。普段だったら面倒くさくて授業をボイコットするが、この夏場は教室のほうが涼しいので黙って先生の話を聞いていることが多い。それに、隣の席の可憐な女のことが気になってしょうがなかった。
なぜこの凜檎町に引っ越してきたのか、なぜそんなに怖がっているのか。彼女に聞いてみたいことが・・・・・・多いわけではないがそれなりにあった。それにしても教室内は冷房が効きすぎていていけない。寒気に見舞われたので、椅子にかけてある真っ赤な羽織を肩にかけた。僕のトレードマークである羽織には椿の柄が施されている。ふと視線を感じてそちらを見やると、金時堂ありあが僕を見つめていた。視線が合うとすぐにそらされたが、その空のように突き抜けた青の目がやけに印象に残った。
休み時間になると、生徒たちが一斉に金時堂ありあの席に集まってきた。生徒たちの甘ったるい香りが充満する。話に交じらず耳をそばだてていると、どこから来たのか、だとか好きな教科はなにか、など、当たり障りの無い質問攻めを喰らっているようだった。金時堂ありあは終始困った様子で答えていたが、やがて強めの口調で言った。
「あのさ、あたしも聞きたいことがあるんだけど」
・・・・・・そうして、冒頭の台詞である。勿論、生徒たちは困惑する。なぜならこの町の女どもは「女」以外の性別のことをまったく知らないからだ。
「だって、おかしいじゃない。女の子しかいないなんて。男の子がいないなんて、おかしいよ」
金時堂ありあははっきりと「男」の存在を口にした。それに対して、女生徒たちは苦笑していた。
「なに言ってるの金時堂さん。『男』なんて、ファンタジー小説くらいにしかいないんだよ? まあ、その空想上の生物の真似をしている誰かさんもいるけど」
「それ、僕のことかい?」
鬱蒼と笑ってみせると、その女生徒は顔を赤く染めて僕に突っかかってくる。「緋方はもうちょっと真面目に生きたほうがいいよ」だなんて言われるので頬杖をついてみせたらそっぽをむかれてしまった。嫌われてはいないので別にいいのだが。
それよりも金時堂ありあのほうが問題だろう。可哀想に、彼女は小さい身体を更に縮めて項垂れてしまっている。固く口を噤む姿勢に、拒絶の意思が感じられた。そうして休み時間はちょうど終わり、二限がはじまる。相変わらず緩やかな午前だ。
金時堂ありあとの出会いはこんなものだった。なんも変哲もない、劇的とも言えない出会い。でも僕には衝撃的な出来事だった。この美少女の薄い胸には溢れんばかりの秘密が隠されている。僕は彼女が気になってしまいなにも手につかなくなってしまった。きっと、金時堂ありあにとって僕は取るに足らない存在だろう。結局ろくに話せないまま今日の学校は終わった。
それから隣の彼女が気になる日々。金時堂ありあは日を追うごとに頑なになっていった。はじめのうちはクラスメイトも興味津々だったが、彼女の気難しさに誰も寄らなくなってしまった。僕はといえば、未だに彼女と話せずじまいだ。そもそも共通の話題もない。そうこうしている合間に夏休み前の試験も終わり、みんなすっかり夏のロマンスを夢見ている。夏休みになれば金時堂ありあと話す機会は今よりもずっとなくなってしまう。タイミングは見計らっているのだが、どうにも彼女の顔を見るのは失礼な気がした。夏休み前日の最終登校日、彼女は欠席した。興が削がれてしまったので、終業式だけ出席して、その後はボイコットした。
燦々と日差しの照りつける七月下旬。あまりにも暑いので海に行くことにした。いつも腰にぶら下げている刀の頭を撫でる。『炎帝』と呼ばれるこの刀は、緋方家に代々伝わる宝刀だ。由緒正しい秘剣であるために、刀を持ち歩くことを政府から特別に認められているのだった。鞘から抜くときは大抵手入れをするときくらいだ。殺生で使ったことはない。政府の管理下に置かれているこの町で殺人なんて大罪を犯せば、死刑どころの騒ぎではなくなるだろう。僕は炎帝を連れ、いつもの学生帽を日除け代わりにして学校を抜け出した。学校の前にある坂を下ると、しばらくして海が見えてくる。小さな商店街と廃れた線路を抜けると目的地はすぐそこだ。僕は胸いっぱいに潮風を吸い込んだ。強い風にシャツの裾がはためいた。
抜けるような青空が目に沁みる。水平線に積乱雲が浮かんでいた。夏らしい空模様に、学校で停滞した心が息を吹き返す。そのまま海沿いの歩道を歩く。砂浜と歩道の間には、境界線をつくるようにブロックが積まれていた。そのブロックに、見たことのある人影が力なく座り込んでいた。
濃い青空に負けない鮮やかな金髪。陽光に晒され更に白く輝く陶器の肌。淡いピンクの色をした丸い頬。
そこにいたのは、金時堂ありあだった。
「・・・・・・君もサボりか?」
彼女に初めて声をかけた。金時堂ありあは静かにこちらを見やって、目を見開く。まさか学校が終わらない午前にクラスメイトと会うとは思わなかったのだろう。彼女は言葉を詰まらせて居心地悪そうにしていた。制服姿と鞄を見るに、途中までは登校する意思があったのだろう。
「偶然だ。僕もボイコットしてきた」
にやりと笑ってみせるが、彼女は警戒しているのか無言しか返してくれない。飄々とした態度を心がけて少女の隣に座る。避けられるかと思ったが、意外にも彼女は逃げもせずそのまま座りっぱなしだった。そのまま少女のあどけない横顔を眺めていると、彼女がおずおずと口を開いた。
「・・・・・・えと、あなたは」
「緋方雪路。自己紹介してなかったっけ?」
「あなたからは、されてない。・・・・・・でも噂ではよく聞く。みんな、あなたのことかっこいいって言ってる」
「へえ」
それは初耳だった。周りからは珍妙な生物と思われているのだとばかり。
「ねえ・・・・・・あなたって、女の子なの?」
「生物学上の話で言えば僕は女だ」
「そっか。あなた、どこからどう見ても男の子にしか見え」
「しっ」
彼女の艶やかな唇に指を当て黙らせる。少女の紅い頬が更に紅くなる。かわいらしいなと思いつつ、耳元に唇を寄せた。
「この町であまり男の話はしないほうがいい。黒服に狙われてしまうよ」
そう言うと、金時堂ありあは小さい手で自らの口を覆った。その様子が幼い子どものようで、思わず笑ってしまう。目元を紅く染めた彼女は、おずおずと口元を覆う手を外して、僕に顔を寄せた。長い睫毛が震えていた。
「・・・・・・どういうこと?」
金時堂ありあの宝石のような青い眼がきらりと光った。
「ここで話すのは気が乗らない。僕の秘密基地へ行こう」
立ち上がって手を差し伸べると、彼女は躊躇いもなく僕の手を取った。どうやら人形みたいな外見とは裏腹に好奇心の強い性格らしい。僕は楽しくなってしまって、彼女の手を取って海沿いを駆けた。
後ろからソプラノの声が聞こえる。
「ねえ! あなたのことはなんて呼べばいいの?」
「雪路でいい!」
「ねえ雪路! その刀は本物なの?」
「正真正銘、本物さ! 金時堂ありあ!」
「あたしのことも、ありあでいいよ!」
彼女の名前を呼べるのだ。僕は心底浮かれきってしまった。ありあ、ありあ、ありあ!なんて美しい名前なのだろう! 笑っていると、ありあもつられて笑ってくれた。カナリヤのような笑い声だ。
二人でしばらく駆けて、やがてありあの息が切れたので二人並んで海沿いを歩く。ありあは外見どおり、あまり体力がないらしい。こんなに小さい身体だから、体力がないのは当たり前なのかもしれない。小さくて細くて、抱きしめたらすぐに折れてしまいそうだ。
海沿いを抜けて坂を上る。ちょうど高台のところに僕の家はある。辿り着く頃には、ありあはぐったりしていた。少女は「はしゃぎすぎちゃった」と舌を出す。僕はありあを家へ招いた。
「雪路の家っておっきいんだね・・・・・・」
ありあに言われたので、改めて自分の家を見上げる。日本庭園のある古い屋敷だ。今時の家ではなく、伝統的な建築物だということで幾度も修繕されている。外から見ると日本らしい造りだが、内装は和洋折衷となっており、モダンな空気を含んでいた。
「緋方家は代々政府の仕事を任されていてね。確かに他の子よりは恵まれているな」
「政府の仕事?」
「姉が政府の関係者なんだ。まあ、とにかくあがってよ」
玄関の戸を開けると、肩を縮めたありあが小さい声で「おじゃまします」とお辞儀をする。靴を脱いで案内していると、掃除用のロボットとすれ違った。「お疲れ」と声をかけると、目の部分がぴかぴかと光る。リビングに案内すると、ありあがほう、と息をついた。紅いソファに座っているように促して、僕は冷蔵庫から麦茶と氷を取り出した。
二人分のコップを持っていくと、ありあはソファに座っておらず、リビングの壁に埋め込まれている本棚を見ていた。
「すごい・・・・・・家族で本を読むの?」
「比較的読む方ではあるだろうね」
「触ってもいい?」
「いいよ」
程よく冷房の効いた部屋なので、日除けのために被っていた学生帽と羽織をソファにかけた。シャツとスラックスだけの身軽な身体を上へ伸ばす。ありあは座らずに本を読み始めたので、「先に麦茶飲んじゃいなよ」と誘導する。ありあは大人しく従って、一冊の本と共に僕の隣に腰をかけた。手渡された麦茶を一気に煽る。やはり相当喉が渇いていたらしい。彼女の小さな喉が上下に動くのを黙ってみていた。どうやらありあは本が好きらしく、熱心に読み耽っていた。この時代になっても紙の本が廃れることはなかった。確かに今はデータ書籍が主流だが、紙の本はデータ書籍と違って、保存状態さえ良ければずっと残る。なので紙の本は数は少ないが未だに出版されている。僕は普段データ書籍を読んでいるが、姉がたまに買ってくる紙の本も読んでいた。
それにしても、本を読んでいる少女の横顔は完成されている。繊細な髪が邪魔なのか、指で耳にかけた。小さい耳が露わになる。少し膨らんだ耳朶、貝殻のような耳殻。鏡で見る僕の耳なんかより小さかった。
「・・・・・・あのさあ」
「なんだい?」
「あんまり見られると読みづらいのだけど」
そう言って耳殻を紅くしたありあが本から目を離して僕に視線を移す。その表情がどことなく艶やかで、僕はふっと笑ってしまった。
「ありあを見ていると飽きがこないよ。それよりも、もっと沢山本のあるところに行ってみないか?」
彼女の手を取って顔を寄せると、本と聞いて好奇心が刺激されたのか青い眼をきらきらと輝かせた。大きく首を縦に振ったので、彼女をソファから立ち上がらせて再び本棚へと向かう。古い冊子を入れ替え組み立てると、カチンと音がする。すると、壁にはまっている本棚は様相を変え、微かな音を立てて自動で開かれていった。その先にあったのは小さな階段だ。
「ここが雪路の言う『秘密基地』なの?」
僕は言葉で返さず、一つ小さく頷いた。ありあが転ばないように手を引いて階段を下りる。階段は短く、すぐに目的の場所に辿り着いた。
そこは、少しだけ広い書庫だった。
橙の電灯光で満ちた洋燈たちが部屋を彩っている。モダンな造りの部屋は定期的に僕が清掃をしているので程々に清潔だ。壁に敷き詰められた本棚に収まる本の群れ。それだけではなく、壁に嵌めるタイプではない本も横一列にずらりと並んでいるので爽快だろう。ありあは恍惚とした表情で僕の手を強く握り返した。
「すごい・・・・・・! 図書館みたい」
「ここは主に密談で使われるんだ。だから政府の監視の目もないよ。なにせ、男も入ってこられる部屋だから」
するとありあはぴくりと身体を揺らして、僕から手を離した。冷えていく温度が少し寂しい。ありあは警戒の滲んだ色を微量ながら眼に宿していた。
「そんなに怖がらないでくれ。僕も男のことはよく分からないんだ。ただ、小さいときによくここに来ていた男がいて、遊んでもらっっていただけなんだ」
「・・・・・・あなたは、男の人を知っているの?」
「少なくとも実在しているのは知っている。周りの女どもは空想上の生物だと思ってるけどね」
密談で使われる一人用のソファにどかりと座って足を組む。ありあは強ばった表情のままだ。手で招くとようやく覚悟を決めたのか、対面に置かれているソファに腰をかけた。
「僕はこの女だらけの町の秘密を解き明かしたい。だからありあ、君に興味があるんだ」
「・・・・・・どうして?」
「君は転校初日に言ったね。『どうして男がいないのか』って。だから、この町の謎を解くにはぴったりだと思ったのさ」
「ぴったり?」
「同志ってことだよ」
僕はありあに手を伸ばす。
「僕と一緒に、この町の秘密を解き明かさないか?」
彼女が手を取ってくれるかは分からなかった。この町の秘密を解き明かすということは、この町を管理している政府を暴くことになるからだ。この金時堂ありあという女は聡い。自分の身に降りかかる危険を察知できないほど愚かではなかった。しかし、ありあはあまりにも真っ直ぐな眼で僕を射抜いた。その純粋な光に胸が高鳴る。なんて美しい眼なのだろう。僕には一生届かない光だ。
ありあは迷うこともなく、僕の手を取った。
「いいよ」
「・・・・・・いいのか? 危険な目に遭うかもしれないよ」
「いいよ、別に。どうせもうお父さんには会えないし」
お父さんという言葉がピンとこなかったが、ふと思い出した。確か、昔出会った男が「子どもはお父さんとお母さんの間に生まれるんだ」と言っていた。ありあは「お父さん」「お母さん」を知っているのだ。
僕の胸が好奇心でいっぱいになる。結局僕らは同じ類いの人間なのだ。見たことの無い世界への強い好奇心。それだけが僕らが行動するたった一つの感情なのだ。ありあの手を強く握り返して、やっと僕は詰まっていた息を吐いた。
「・・・・・・ありがとう、ありあ」
こうして僕らは世界への秘密を共有した。それは力を持たない僕らの、世界への小さな反抗だった。
僕の命に代えても君だけは護ってみせる。僕と秘密を共有してくれた、唯一の友達。
金時堂ありあ。君は僕の一等星だ。
終末世界のアリア 海野月歩 @kairi_kobayashi
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