風呂場
石田明日
え?
外から聞こえる男女の、いや女の叫び声に近い怒鳴り声で目を覚ます。
「なんで!? ねぇ! 私だけって言ったじゃん! ねぇ! 返事してよ!」
そんな声が聞こえてくる。
うるせぇな、とぶつぶつ文句を言いながら時計を見ると昼の12時半だった。
もう少し寝れたのにな、とまたイラつきを覚えるが様子を見に行くことにした。
そーっとドアを開けると鼻血を出し嘔吐してる男を女が殴っている。
ああなるまで殴り続けていたんだろう。
殴られ続ける男が惨めで勝手に同情してしまう。
「近所迷惑なんでやめてください。警察呼びますよ。」
いつもの癖で注意してしまった。なるべく関わりたくないはずなのに体が勝手に動く。
「誰?なんなの?うるさい邪魔しないで」
吐き捨てるように言葉をぶつけ、ゴミを見る目で私を見てまた男を殴る。
なんなんだよと頭を掻き毟るのを我慢し女の腕を掴む。
「そいつ私の従兄弟。いい加減にして、人も集まってくるしほんとに警察呼ぶよ」
「は? 従兄弟? つか警察はやめて、あーめんどくさ帰る」
まだ何か言いたげだったが帰ってくれるならなんでもよかった。
「大丈夫ですか? 立てます?」
これもまたいつもの癖。
何となく察するに、男は酔い潰れていて女の地雷を踏んだのだ。
ホストが客と揉めてる現場を想像すればわかりやすい気がするが、普通に生きてたらなかなかそんな場面に遭遇しないよなと少し笑いそうになる。
「あー、だいじょうぶ、ごめん」
呂律の回らない舌で返事をする男はよく見ると綺麗な顔をしてる。
女が好きそうな顔で男には嫌われそう。
「家ここですか。何階?」
返事がない。
潰れるまで飲んだ挙句、女に長い間殴られてたんだ、そりゃ疲れるわなとため息が出る。
なんでこんな事に首を突っ込んでしまったんだろう。ほっとけばよかった。
「一旦自分の家に連れてくんで立ってください、ほら肩貸すから頑張って。」
老人に話しかけるように大きな声で男に伝え、腕を首にまわす。
私の部屋は二階だ。
エレベーターはなく、階段しかないボロアパートだから成人男性を抱えて階段を登らないといけない。
首を突っ込んだのは私だから、と我慢し転ばないよう気をつけながら登る。
何とか着き、男を玄関に寝かせて、台所に水を取りに行くことにした。
「飲んで、飲んだら着替え渡すから風呂入れそうなら入ってきて。無理ならそのまま布団行って寝て。」
私はどこまでお節介なんだろう。
初めて会うボロボロの男を家にあげ、風呂場や寝具を貸すなんて普通じゃないなとか考えるが、家にあげてしまったからには玄関に放置する訳にも行かないしやれることはとことんやろうと諦める。
「え?ありがとごめん一旦寝かせて。」
態度を見た感じ女の家にあがることはよくありそうだし、それも初対面でこの感じは慣れてるなと確信した。
あの女もこいつの被害者なのかなと少し胸が痛くなるがどうでもいい。
着替えを済まし布団に入ってすぐに寝た男を無視して仕事を終わらせる。
とは言っても溜まってる依頼を片付けるだけ。
生活費の少しの足しにしかならない絵をいつまでも描き続けてしまう。
金にならないなら時間も無駄にしたくないと思うがごく稀に、大きな仕事が来るとその月は少し贅沢できるから、と描くのを辞めない理由をどこか探してダラダラ描き続けている。
絵は嫌いじゃないし楽しいけど、子供の時のように素直には楽しめない。
何かしらの利益を得ようとしてしまう。
依頼を何件か終わらせ、ご飯を食べようとキッチンに向かった。
男の存在をすっかり忘れていた私は、私の布団で寝る男に少しびっくりしたが時計を確認して起こしに行く。
「もう十七時だけど、起きれる?起きれそうなら風呂はいってきて。」
少し体を揺らす。
呻き声のような返事が聞こえたから私の言ってることは伝わったらしい。
だが起きる気配がない。
どんだけ飲まされたんだ?と考えるが私に迷惑をかけているわけでもないし、空っぽのお腹をさすりながら起こすことを諦めた。
ご飯を作ろうと思ったが冷蔵庫には何もなかった。
少し時間もあるしスーパーに買いに行くことにして、ボロボロの服を脱いでスウェットに着替えた。
メモに、買い物行くね。鍵閉められないと思うから私が帰るまでは家にいて。と書いてリビングのテーブルに置いておく。
男も食べるのかな、二人分だと余ったら大変なんだよな。とぐるぐる考えながら具材を入れていった。
自分の見た目が原因か、やっぱりこの時間帯のスーパーは浮く。
金髪スウェットなんて別に珍しくないでしょ、と少し後ろめたい気持ちになるが毎回のことだし仕方ないと飲み込む。
食材や無くなってた洗剤も買い、足早にスーパーから出た。
時計を見ると十八時半。まだ少し明るいこの時期がどうも苦手だ。
家に着きタバコを買うのを忘れていたのを思い出したのは、男が風呂上がりに図々しくタバコを吸っていたからだ。
久しぶりに見る赤のマルボロになんとなく懐かしい気持ちになる。
「起きた?コンビニ行くけどなんかいる?」
買ってきたものをしまいながら聞く。
「起きた、ごめんなにからなにまで。特にないよ本当にありがとう。」
人の家で勝手にタバコを吸う割に頭は下げられるのかと笑ってしまった。
「今日私仕事だから帰るなら帰って。別にいてもいいけど。あと帰ったらご飯作るけど嫌いなものある?」
「え、居ていいの?まじ?彼女に家追い出されたから当分居ていい?ご飯なんでも食える。」
家がない理由も女。
こいつの仕事は本当にホストかなんかなのかなと考えるが、私には関係ないとコンビニに行く準備をする。
近所の人に挨拶してなるべく下を向かないよう歩く。
「七十四番三つください」
セブンスターのソフト。持ち歩かないっていうのもあるけど、なんとなくボックスは好きになれなくてずっとソフトだ。
「こちらでお間違いないですか?千八百円です」
ぴったりお金を払い、レシートを断り店を出る。
なるべく外に出る回数を減らすために一気に買うようにしてる。
一カートン買うのもありだなと考えたが吸いきれなかった時が怖いからちまちま買ってしまう。
「ただいま〜」
誰もいない部屋に向かってただいまもおかえりも言ってしまう。小さい頃からの癖だ。
「おかえり!」
そうだ、今日は男がいるんだ。久しぶりにおかえりが聞こえて苦しくなった。
「名前聞いてなかった。なんて名前?」
「俺? えっと山本優」
ゆうね、よろしくねとだけ伝えタバコをしまいご飯の準備をする。
「え、名前教えてくれないの?」
教えたくない訳じゃないが教えるほど仲良くないしな、と少しめんどくさくなってきた。
「名前?あー、なんでもいいよ」
後ろでゆうがぶつぶつ何か言ってるが無視して作り始める。
コンロに火をつけた途端汗が止まらない。もうすぐ秋なのにまだこんなに暑いのかとうんざりする。
今年は暑すぎる。
今日は、そんな時間に余裕があるわけでもなかったからサッとできるパスタにした。
暑いから少しさっぱりしたものが食べたかったし、今日のパスタは我ながら上手くいった。
「はい。スプーンいる?」
「えー! 美味そう! いらない! ありがとう。」
小学生のようにはしゃぎ、礼儀正しくいただきますを言い、食べ始める。
騒がしい。
特に話すこともないから無言で食べ続けるが、これからのことを考えると少し忙しくなりそうだ。
一人で住むには少し広いと思ってたから、人がもう一人追加されるのは別に特に困らないが寝具や着替えがない。
「私の布団しかないんだけど、どうする?てかいつも何時に仕事行ってる?」
「んー、十八時頃かな?終わりは十二時とか。」
「私、二十二時から朝六時までバイトだから布団使っていいんだけど、もしかしたら私も布団で寝るかもしれないから隣空けといて。」
「え?一緒に寝るの?」
「それしかないじゃん。私の布団だし、あんたが喜んで床で寝てくれるならいいけど、嫌でしょ。だから近いうちに買いに行こ。」
そう伝え終わり、とっくに食べ終わっていたゆうのお皿と私のお皿を重ね、洗いに行く。
「それ俺やっとくよ、流石にここまでしてもらって何もしないのもさ。」
私の顔色を伺い 気を使う。気持ち悪いな。
「ほんと?ありがとう。お風呂入ってくる」
十九時半だ。少し早いが風呂に入る。
また痩せたなと洗面所の鏡を見て思う。
そういえばまともなご飯は一週間ぶりに食べたしな、とぶつぶつ言いながらシャワーの蛇口ハンドルをひねった。
少し綺麗になっている風呂場を見て、ゆうがやってくれたのかと思うと恥ずかしくなった。
そういえばカッターそのままにしてたの忘れてたな。
こんな貧相な体に興奮するやつはいないだろうと、いや服を着ると暑いしそもそも着るのはめんどくさいからと下着のままリビングに行く。
「は?」
ゆうが何か言いたげだったが、は? なんだよ文句あんのか、ここは私の家だぞ。と言わんばかりに無視をして、化粧水をつけた。
ブリーチしてパサパサな髪の毛にもオイルをつけドライヤーをする。夏のドライヤーは暑いし、ドライヤー自体めんどくさくて大嫌いだ。
タバコに火をつけながら
「そういえば風呂場にあったカッターどうした?」
「あーあれ使ってんの? 危ないから捨てちゃった。」
「ん、了解。」
吸い慣れたタバコの味に色んな記憶。今日もまた死ねなかったなと嫌な気分になる一口目。
友人からのメールや依頼のメールを確認した。
編集からのメッセージも来てたが急ぎではなさそうなので後で返すことにする。
「仕事なにしてんの? バイト?」
「そう、歌舞伎あたりでコンビニバイト。時給高いからね、もうやめるけど。」
「え?やめんの?大丈夫なの?」
「絵と小説で食べてけるくらいになったし、ある程度貯金あるからいいかなって。後ろの服取ってくれる?」
「へぇーすご。てか痩せすぎじゃね? ちゃんと食べてんの?」
「いや、今日久しぶりのご飯だった。あ、ごめん仕事の電話だから静かにしてて。」
編集からの電話を無視するわけにもいかないから、お疲れ様ですと電話を取る。
某小説サイトで一位を取れたのと、小説が完売したという嬉しい報告だった。
そしてまた新しく出版が決まった。
細かい説明を聞き、締切までに完成させてね。よろしくねと圧をかけられる。
毎回締切は守ってるはずなのに。
はい。ありがとうございました。そういいすぐに切り、時計を確認して依頼のメールの返信をする。
今日は少し忙しい。イラスト依頼の値上げをしてから何故か依頼が増えた。
三ヶ月はお金を気にせずだらだらできそうだなと少し安堵する。
時計を見るともうすぐ二十一時になる。
髪を少し整えて、かばんを取って急いで玄関に向かう。
「コンビニとか行くのはいいけど長い間家開けないでね。行ってくる」
「あ、ライン交換しよ。これ なんかあったら連絡するね。」
はーいと返事をして急いで家を出た。
バイトがめんどくさいと思ったことは無い。
本当に興味がないし、どうでもいい。
ただ、色んな人が来るからそれだけは面白く、小説を書く時も助かっている。
歌舞伎町という夜の街は想像通り治安が悪く騒がしい。
しょっちゅう未成年がタバコや酒を買いに来るし、店の前で嘔吐はするしリスカしたまま商品を触るから血がよく垂れてたり付いていたりする。
酔っぱらいの相手もしなければいけない。
ただのコンビニバイトなのに人のお世話をしているとすぐに時間が経つ。
この可哀想な人達を眺めてると自分のだめさがマシに見えて、少し気分が楽になるがやはり一時的な効果だ。
今日でバイトは終わりだし、明日から何もしない日が続くと思うと家に帰る足が止まる。
今日は思ったより若い子が多く、店の前は血だらけだし来る客の7割は腕がボロボロだった。
ODの残骸を見て、ラリった勢いでリスカしたんだろうなと気分が悪くなる。
六時を過ぎれば蝉がうるさく鳴いている。
日差しがどんどん強くなるのを眺めながら家に向かう。
今日はいつも以上に疲れた。
「ただいま。」
手を洗い、ぬるくまずい水をコップに注いで飲み干した。
「あれ、起きてたの?」
「待ってた、おかえり。お疲れ様」
「そうなの。ありがとう、ただいま。」
適当に着替え、扇風機を消すようゆうに伝えクーラーをつける。
暑かったらつけていいと言ったはずなのに、ゆうはよくわからないところで遠慮している。
化粧を落とし、歯を磨く。汗で髪もベタベタだけど、風呂に入れるほど元気ではないので、狭い洗面台に頭を突っ込んで、頭を洗うには冷たすぎる水で汗を流していった。
雑に髪の毛を拭いていると視線を感じた。
適当なことをしてる私を、タバコを吸いながら眺めてるゆうの顔はすごく綺麗だった。
家にある余ってる歯ブラシをゆうに渡した。
今日起きたら買い物行かなきゃな。と少し憂鬱になるがそんなことより早く寝たい。疲れた。
私が布団に入るのを確認し、ゆうも入ってくる。
よくある漫画やアニメだとここでそういうシーンになるはずだが、そうなる前に私が寝たフリをする。そんな状況許さない。
私に抱きつくゆうに寝たフリがバレないよう自然に寝返りを打つ。
「え、もう寝たの?」
なにか小さい声で文句を言ってるが抱きしめた腕を取る気はないらしい。
夏場に同じ布団で抱きついて寝るのは流石に暑いからやめて欲しかったが、それを見据えたのかゆうはクーラーの温度を下げた。
目が覚めたのは十四時頃だった。ゆうはまだ寝ている。
起こさないよう布団から出て、歯を磨きに行く。
今日買うものは寝具と洋服と、あとなんだろう。と調べていたらゆうが起きた。
「おはよ。」
私の声に頷き返事をする。
とりあえず買いに行くのはめんどくさいからと寝具はネットで頼むことにした。
それを伝えると、
「一緒に寝ればいいじゃん、俺だっていついなくなるかわかんないんだからわざわざ買わなくていいよ。洋服も取りに行くし」
それを昨日言って欲しかったとため息が出る。
「住む所早く見つけてね。来月中には出てって。」
「わかってるよ〜。」
わかりやすく萎えた声を出す。
ここから特に会話はなく、各々好きなことをした。
私は洗濯機を回し、イラストの依頼を片付ける。
お腹が空いたと時計を見たらもう二十時だった。
ご飯を作るのも食べるのもめんどくさいし、今日は外に出てないからと一服して寝ることにした。
私が作業をしている間、ゆうが物を取りに行ったのか帰ったのかわからないが、気づいたらいなくなっていた。
ゆうがいただけで明るく、騒がしかったこの部屋に今私は一人。
異様に静かな部屋の孤独に耐えきれなくなったわけじゃない。
いきなり寂しく、寒くなったこの部屋に目眩がした。
なぜかわからないが、昨日見た女の子たちの腕が、薬の残骸が頭にこびりついたまま離れなかっただけで。
とたくさんの言い訳が出てくる。
私は何に言い訳をしているのだろうか、どうしてこんなに必死に何かから逃げようとしているのだろうか。
湯船にお湯が張ってあった。
ゆうが入ったのかなとか、そんなことを考える余裕はなく新しく開けたカッターに手を伸ばす。
違う、別にそういうのじゃない。
どうして言い訳をしてるのか何から逃げようとしてるのか私にだって分からない。もう何もわからないんだ。と叫びたいが声が出ない。
呼吸が難しくなる。
服を着たままお湯に入り、無我夢中で腕を切った。
ゆうって誰だっけ。そんな人いた?
何も分からない誰も私に聞かないでくれ。
腕が痛い、気分が悪い。大量の出血に目眩がする。
そういえばお隣さんがなんか話してたな。
「聞いた?あそこで女の子が男の子を刺したんだって。それも滅多刺しよ。怖いわね」
目が覚めるとお湯は冷めていて寒かった。
部屋に散らばる薬。何日か前に飲み忘れてからそのまま飲むのを忘れていた。
「ゆう?」
ほんのりタバコの匂いがしたと思って、びしょびしょのままリビングに走るがセッターの吸殻しか無かった。
一昨日食べたはずのパスタが捨てられてあった。
ゆうが洗うと言っていたお皿がなぜかシンクにあった。
風呂場 石田明日 @__isd
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