第3話

「君は抑うつ状態だね」


 医師は僕に言った。


 簡単にここまでの流れを解説しよう。


 自殺を図り、近所の方に止められ、実家へと連絡が行き――そしてそのまま精神科に直行したという、流れである。


 おしまい。

 

 いや、終わりはしないのだが。


 目の前の医師は、人柄の良さそうな初老の男性であった。


「鬱病、という奴ですか」


「まあ、そうだ。それより君、楽しいことがない、のだったね?」


「はい」


「それを、世の中に色彩がない、と表現したね」


「はい」 


 ゆっくりと僕は返事をし、医師はそれにゆっくりと反応した。


 ううんと唸った後で。


「君には共感覚がある可能性があった――が、それが何らかの原因で失われてしまったと考えられるね」


 共感覚。聞いたことのない言葉だった。


「一つの事柄に、二つ以上の感覚器官が刺激されること、とでも言おうかな。例えば荘厳な音楽を聴いた時、何か見えることはなかったかな」


「何かって――色、ですよね。普通、見えるものじゃないんですか」


 僕が想像したのは、クラシック音楽だった。父の影響で、昔から良く聞いていた。


「いいや、普通は見えない。見えたとしてもそれは訓練された結果だ。君は色覚的視覚的共感覚の持ち主だった――と考えられる」


「……はあ」


 はあ、としか言い様がなかった。


 確かに曲を聴いたり、何か美味しいものを食べた時に、色が見えていたのは本当である。


 ただ――。


、というのは、あまり聞いたことがないな。いつから失われたのか、覚えていないのかい」


「はい、何というか、本当に何でもない、ふとした日だったんです。ふっと。なんか死にたくなってしまって」


「うんうん」


「それで、何も楽しくなくなって、周りを見渡してみたら、色がなんにもなくなっていて。今も、無色に見えるんです。いや、無色に見えるってのも、変な調子ですけれど」


 久しぶりに長文を話したので、喉がつっかえた。


「水、飲むかい」


「いえ、大丈夫です」


 そう――言葉にしていて気づいた。


 僕の世界は、セピア色ですらない。


 着色されていない――枠組みの状態である。


 そうだ。僕は、世界を色で捉えていたのだと――改めてここで思い出した。


 医師との話は続く。



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