第15話 相剋の果てに

 作業場に現れたものは……異形いぎょうだった。


「な、なんだぁ?」


 突然の侵入者に驚いて、バンスとサニーが慌てて後ずさる。薄黒いもやのようなものが絡まりあってずんぐりした人の姿をかたどっているが、輪郭が不鮮明で顔も指もない。

 リーパーに刈り取られる覚悟をしていた俺は、そいつがリーパーだと思い込んでいたんだ。だが、とんでもない勘違いをしていることにすぐ気づいた。バンスやサニーにも見えている時点でリーパーじゃない。リーパーの姿は命が刈り取られる者にしか……俺にしか見えないはずなんだよ。それに、俺が覚えているリーパーの姿とも違ってる。リーパーは青銅のような色の痩せた男だった。


「リーパーじゃないっ! こいつ、何だ!」


 俺は、黒雲のようなもやもやしたものに見覚えがあった。そうか、こいつはアンセルマで漏れたままになっていた瘴気の残骸だ。霧散せずに、俺たちの後を執念深く追い続けていたのか。アンセルマからの帰り道に強い不安を覚えたのは、杞憂じゃなかったんだ。

 でも、正体がわかったところで俺にはこいつをどうすることもできない。アンセルマで封止したのは瘴気自体ではなく、あくまでもマスターオークの傷なんだ。俺は祈祷師でも魔法使いでもないから、こいつを封止する方法がわからない。リーパーのことだけでも精一杯なのに、こんな化け物まで。どうすりゃいいんだ! 


「ははん。そういうことね」


 俺の横で、サニーが突然にやっと笑った。


「あんたはここにどうしても喰らいたいものがある。でも、それ以外は全部苦手なんだね。光に連なるわたし、窯の炎、薪や炭に使われてるマスターオーク、封止に携わる職工。みんな浄化や封印の要素だもん。どうしても入れなくて、ずっとうろうろしてたんでしょ」


 不気味な瘴気の塊に臆することなく、開いた呪術書を左手で構えたサニーが俺の前に出た。


「エーリス、バンス! 呪術書の十二ページに盾の呪法があるの。三人で唱えないと意味がない。わたしたちの立ち位置が三角形になるように動いて!」


 サニーが何を考えているかわからないが、今はそれを確かめている暇がない。俺は壁際の棚から、セラが封止されているガラス球をさっと掴み取って懐に納めた。他はどうでもいい。これだけは森で封止解除しないとセラが消滅してしまう。俺の動きを目で追ったサニーがほっとしたように頷いて、それから声を張り上げた。


「行くわよ! 風をもって盾となせ! エイク!」


 わけもわからず、唱和する。


「風をもって盾となせ! エイク!」

「風をもって盾となせ! エイク!」


 瘴気に正対しているサニーを頂点とした三角形。俺らの間の三面が何かに塞がれる感触があった。俺たちが盾で護られると同時に瘴気の抑えが弱まったんだろう。細長く凝った瘴気が鞭のようにしなって、壁際の棚に並べられていたガラス球を一斉に割り砕いていった。


 がっしゃあんっ! 俺のすぐ近くで一際大きな破砕音が響き、ぎょっとして真横を見る。


「そ、そんな……リーパーが」


 ガラスの細片が綺羅星のように舞い散る中、二度と見たくなかったリーパーの姿が徐々に結像し始めた。リーパーが低い声で俺に宣告する。


「時が来た。二十八だ」


 長身痩躯。青銅色の肌とざんばら髪。頬と顎が骨で尖り、鼻梁や唇がなく、眼球だけが飛び出している醜い顔貌。灰色の錫杖を両腕で抱えている。こいつの姿は俺にしか見えない。バンスやサニーには見えない。黙り込んだ俺に向かって、サニーが叫んだ。


「エーリス! リーパーってのが来たのっ?」

「……俺の目の前にいる」

「じゃあ、今度はそっちね」


 左手の呪術書を前に突き出したまま俺の方に振り向いたサニーが。リーパーを大声であざけった。


「あんた、わざわざ自分の失敗を確かめに来たわけ? はっ! 脳足りんのとんまねえ!」


 リーパーの飛び出した目がサニーに向けられた。


「あんたはもう宣言の行使に失敗してるでしょ? 今更のこのこ出てきて生き恥さらすなんて大間抜けもいいとこ!」

「なん……だと」


 氷のように無表情だったリーパーの顔が怒りで歪む。だが、サニーは容赦しない。侮辱の勢いがどんどん激しくなる。


「あんた、もしかしてエーリスが二十八だと思ってる? ここにいるのがエーリスだと思ってるわけ? はっ! ばっかじゃないの?」

「……」

「あんたは肝心な時に刈り損ねたのよ。肉体も魂魄もね。それでよくリーパーを名乗れたもんだわ。刈り取るどころか、屑拾いすらろくに出来やしないがらくたのくせにさ!」


 きゃあっははははっ! 哄笑が雨霰あめあられとリーパーに降り注ぐ。


「あんたは予告で人の恐怖をあおる。その恐怖を刈り取って自身を作る、肉体を持たない悪意だけの存在。でも恐怖を感じるのはわたしたちだけじゃないわ。あんただって同じ」


 サニーがリーパーの辺りをさっと指差した。


「オルクの瘴気はあんたと逆で、意思を持たない単なる力よ。触れる邪気を片っ端から喰らってひたすら大きくなろうとするの。ねえ、お間抜けなリーパーさん。あんたは邪気そのものだから、オルクに喰われちゃうのよー。きゃあっはははっ!」


 その時すでに、俺の目の前にいるリーパーは穴だらけになっていた。リーパーに固く巻きついた瘴気が、ぶつりぶつりと不気味な音を立てながらあちこちを噛み破っている。

 そうか、瘴気の本当の狙いはリーパーだったのか。だがリーパーは刻限にしか、そして俺の前にしか姿を現さない。気配はあるのに実体がないから、ひたすらうろつくしかなかったんだ。

 師匠が唱えた不動の呪文は、分離失敗のせいで不完全だった。球の中の時やリーパーを制御しきれなかったから、リーパーが刻限通り顕現した。それで瘴気が待ってましたと球に飛びついたってことか……。


 瘴気が凝っているところにリーパーがいる。リーパーそのものは見られなくても、瘴気がリーパーをかたどっていることがサニーにわかったんだろう。照準が定まったサニーの口撃はますます鋭くなった。


「ばかねえ、リーパーさん。あんた、自分が無敵だって自惚れてたんでしょ。無敵? 何言ってんの。こそこそと人の上前うわまえはねることでしか生きられない、出来損ないのうじ虫が!」

「黙れえええっ!」


 リーパーは運命を告げたやつにしか見えないし、そいつにしか力を使えない。どんなに怒りをあらわにしても叫んでも、サニーには全く届かないんだ。あざけられている間にも、瘴気の攻撃は途切れることなく続いていた。一方的に喰われていく恐怖に耐えかねて、リーパーが激しく身悶えする。


「おのれえええっ!」


 リーパーは錫杖を小刀に変え、固く絡み付いていた瘴気をがむしゃらに切り断ち始めた。


「このっ! このっ! 鈍重なオルクの分際で!」


 リーパーの反撃は劣勢挽回には遅すぎるように思えたが、割れた球に封じ込められていた汚い感情の残骸がリーパーに吸い込まれて傷を塞ぎ、瘴気の攻撃を押し返す。

 力と悪意の相剋。統合されれば誰も御せない怪物になりうる二つの要素が互いを喰らい合って消耗し、どんどん縮んでいく。さながら狼の群れと巨大熊の戦いのようだった激しい相剋は、喰らい合いが繰り返されるうちにハエとゴキブリの取っ組み合いくらいに矮小化していった。

 封止するなら相剋がまだ続いている今のタイミングしかない。どちらかが勝ち残ると、そいつがどんなに小さくても俺らの手には負えなくなる。


「サニー、盾の呪法を解除してくれ! 俺とバンスとで、こいつらをまとめて封止する!」

「わかったっ! 二人とも、呪術書を閉じてっ!」

「応っ!」


 右手を頭上に真っ直ぐ差し上げたサニーが、手を勢いよく前に振り下ろした。


さんっ!」


 吹き抜けた風とともに盾が消え、開放感が戻った。俺は、作業台の上にあった黄銅の籠を引っ掴む。


「バンス、籠に取り込んで封止するぞっ!」

「うっす!」


 開き慣れたページを出し、足元でもだえている黒い塊に籠を被せてすぐにまじないを唱和する。


「全てを隔て、全てを閉ざし、全てを封じよ! シーラス!」

「全てを隔て、全てを閉ざし、全てを封じよ! シーラス!」


 ぎしいいいっ! これまで一度も感じたことがないものすごく重い手応えがあって、黄銅の籠が激しく鳴動した。籠の中ではまだ不毛な相剋が続いている。


「仕上げる!」

「応っ!」


 火勢が衰え掛けていた窯に炭を足し、ふいごで風を送って火の温度を上げた。種ガラスを溶かして吹き棒の先につけ、吹き広げて球を作り、頂部にこてで穴を開ける。

 行い慣れた工程だが、失敗は絶対に許されない。封止をとちれば俺だけじゃなくサニーもバンスも巻き添えにしちまうんだ。絶対に失敗はしない!


 封呪を唱えながら火挟みで慎重に籠をガラス球に収め、開口部を封じる。いつもはこれで終わりだが、念には念を入れなければならない。黄銅の籠にさっき作った球を収め、今度は封呪の他に不動の呪文も加えて二重封止する。それを一回り大きなガラス球に封入。これで中の球が万一割れても中身を漏らさないで済む。


「ふううっ……」


 封止を終えて呆然としていたら、目の前に俺が立っていた。今にも消え入りそうなうっすらとした姿で。二十八の俺は、師匠の声で俺に話しかけた。


「エーリス、よくやった。俺にできなかった封止をやり遂げたな」

「そんな……俺は、俺は師匠を……」


 膝を折って師匠の足元に突っ伏す。俺は師匠になんと言って詫びればいいのだろう。涙が止まらなくなる。師匠の静かな声が降ってきた。


「自分を責めるな。あの時封止に失敗したのはおまえのせいじゃない。俺の腕が未熟だったからだ。へぼなくせに俺一人で抱え込んで自爆した。不甲斐ない師匠で済まんな」

「う……ううっ」

「それより」


 空になった棚を見渡した師匠が、穏やかな表情で頷いた。


「俺の代わりにけじめをつけてくれて、本当に助かったよ。俺は、封止してはいけないものをたくさん封止しちまった。失敗作を自分で割れなかったんだ」


 ほっとしたように微笑んだ師匠を見て、安堵より罪悪感が強くなる。そんな俺を見て、師匠が一転真顔になった。


「なあ、エーリス。職工ってのは、これでいいと満足したところで技が腐る因果な稼業なんだよ」

「……うす」

「俺はもっともっと自分の腕を磨いとかなきゃならなかったんだ。おまえの封止に籠が使えないから、したことのない封止法にいきなり手をつけちまった。だからこのざまなんだ。おまえは俺のような悔いを絶対に残すな!」


 う……ぐう。必死に歯を食いしばる。その通りだ。未熟だから失敗する。失敗という結果を、あとからひっくり返すことはできない。


「俺に教わっていないと放り出すなよ。技がなければ創れ! 諦めずに挑め! 失敗から学べ! それが、俺の最後の教えだ」


 最後という言葉が深々と突き刺さって、心が砕けそうになる。


「師匠ーっ!」


 泣きながら取りすがろうとした俺の腕が虚しく空を切った。


「たゆまず鍛錬して、いい封止工になれ。そして……おまえより腕のいい後継ぎを育てろ。俺にできたんだ。おまえにもきっとできる」


 師匠がこれから頼むぞというかのようにバンスとサニーを見比べ、うっすらと笑った。そのまま溶けるように師匠の姿が消え、かすかな声だけが最後に残った。


「楽しみに……してるからな」

「師匠ーーーっ!!」


◇ ◇ ◇


 師匠との別れはどうしようもなく辛かったが、別れの激痛は俺に生涯課せられた罰だ。封止することはできない。

 リーパーの予言が無効になって『終末おわりの壁』が消えた今、俺は全ての封止を……心の封止を解こう。


 袖で涙を拭い、サニーを探す。体を張って俺たちを守ってくれたサニーは、瘴気とリーパーの残骸が封止されたあとで恐怖が蘇ってきたらしい。床にへたり込んで、怖いよう怖いようと泣きながら震えていた。そんなサニーを包むようにして抱く。


「サニー、おまえのお陰で助かった。本当に恩に着る」

「うん」

「なあ……」

「……なに?」

「俺はおまえが好きだ。でも、俺は出来損ないなんだよ。おまえはきっと苦労する。それでもいいか?」


 ぽかんと俺を見上げていたサニーが、首っ玉にかじりつくなり今度はわんわん大声で泣き出した。壊れ物を守るようにしてサニーをそっと抱き返す。


「わああん! 嬉しいよう!」

「ちぇ。そんなに泣くなよ。俺が泣けなくなっちまったじゃないか」


◇ ◇ ◇


 封止を解いても、俺がこれまで抱え続けていた罪悪感が消え去ることはない。でも。師匠にもらった命を無駄にしないためには、封止に向き合う心構えと優れた技を弟子に受け継がせないとならない。

 技を磨いて封止の価値を高めることに挑む。その姿勢を生涯貫くことが、俺の償いになるんだろう。サニーもバンスも俺の挑戦を手伝ってくれると思う。俺もまた、二人が自分の心を封止しなくても済むよう命続く限り彼らを支え、育てよう。


 借りている師匠の身体を、「俺に人生を与えてくれてありがとうございました」と返せる日が来るまでずっと。

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