第14話 二十八の壁

 身構えた二人に、直に切り出す。


「俺は運命の壁を越せない。具体的に言えば、俺は二十八を越せない」

「二十八? どういうことすか?」

「その通りだよ。俺は今二十七歳だ。だが、二十八にはなれない」

「全然意味がわからないんだけど」


 困惑したバンスとサニーが顔を見合わせた。


「そうだな。じゃあ、ちょっと考えてみてくれ」

「うん」

「うす」

「バンス。おまえがここに来たのは、五年前。その時に、俺はいくつだ?」

「ええと。今が二十七なら二十二、ですね」

「だろ? 俺がここに工房を構えて十年になる。工房開設の時、俺はいくつだ?」

「あっ!」


 バンスが血相を変えた。


「そ、そんな」

「ありえないだろ? ガラスをまともに扱えるようになるのに五年はかかる。腕を上げて独立するなら、さらに修行を積んで腕を磨かないとならない。ゼロから始めて看板を出せるようになるには最低でも十年を要するんだ。おまえは天才肌だが、俺の腕は凡庸だよ。十七で独立したなら、俺の修行開始はいくつだ?」

「……七つ」

「まあ、家がもともと工房だったとかならそういう例もあるかもな。だが、俺は農家の小倅こせがれだ。ガラス工の修行を始めたのは、おまえより遅い十七なんだよ。その上、俺が目指していたのはガラス工じゃなくて封止工だ。技術よりも経験をいっぱい積み重ねていかないとものにならない。修得にはどうしても時間が要るんだ」


 俯いていたバンスとサニーが恐々顔を上げた。


「親方、いったいどういうこと……なんすか」

「俺はずっと二十七のままなのさ。二十八を越せない」


 何が何だかさっぱりわからないという表情で、二人が立ち尽くしている。


「なんで俺がそんなことになったのか。それを説明するためには、まずリーパーっていうやつを理解してもらわないとならない」

「リーパー?」

「そうだ。一般にはよく死神デスと言われている。巨大な鎌を携えた黒衣の骸骨というイメージだな」

「そんなの、本当にいるの?」

「いないよ」


 即座に否定した。


「死にたかなくてもいつかは必ず死ぬ。死は万人に平等だ。でも死ってのは、受け入れやすい場合と受け入れにくい場合があるんだ。容易に受け入れられないのは、死が突然訪れた場合だ」


 バンスにマスターオーク盗伐犯の例を示す。


「マスターオークを傷つけ、喰われてくたばったやつら。連中はなぜ死んだかなんてわかりゃしないだろう。だがもし生き残ったやつが惨劇を思い出したら、そいつはどう考える?」

「わかったっ!」


 サニーが突っかかるように答えた。


「死神の仕業だって言うよね」

「ああ。でも違うよ。死神なんてのはいない」


 もう一度、強く否定する。


「連中を食ったのは死神じゃなく、ただの『力』だ。生きるために兎を狩って食う狼や狐と変わらん。死の理由を死神のせいにしようとするのは、俺ら人間だけなんだよ。死の恐怖に行為者の形を与え、自分の意識から切り離すための単なる虚像だ」


 バンスとサニーの顔を交互に見る。


「ただな。死神は実在しないが、リーパーは居る。リーパーが居るから俺がここに居るんだ」

「どう違うの?」

「死すべき者の生命を刈り取るのが死神だと解されている。つまり、死んで初めて死神が来たということがわかる。リーパーは違う。あいつは予告をするんだよ。おまえはいついつ死ぬ……ってね」


 拳を握って作業台に叩きつける。吹き棒や鋏が跳ね上がり、耳障りな金属音を立てた。


「リーパーってのは、刈り取る者という意味だ。俺らに直接死のタネを蒔き、その刈り取りを予告するんだよ」

「じゃあ、二十八っていうのは……」


 バンスがごくりと喉を鳴らした。


「リーパーが予告した、俺が刈り取られる年齢だよ」


 握りしめていた拳の中が、じっとりと汗で濡れ始める。


「俺がリーパーに恐ろしい予告をされたのはまだ子供の頃だ。その頃の俺に深刻さがわかるわけないだろ。へーそうなのかーって感じで気にも留めていなかった。だが、俺からリーパーの宣告を聞いた親は半狂乱になった」

「う……」

「親は八方手を尽くして、俺の運命を変える方法を模索し続けた。でも、どうしても見つからなかった。俺が成長して十五、六になった頃。親はもう諦めていたが、今度は俺が恐怖で怯えるようになったのさ。人生があと残り十年くらいしかないのかってね。ふううっ」


 思わずでかい溜息をついてしまう。溜息で済ませられるならそうしたい。だが、俺はそんなに肝が据わっていない。


「明日がどうなるかなんて誰にもわからないよ。でも、明日が続きそうだっていう楽観的な見通しがあるから、人ってのは見えない明日に向かって生きていけるんだ。残り寿命っていう名の砂時計の砂が落ちるのを毎日目の前で見せつけられたら、正気を保てなくなる」

「……」

「その時、俺は封止工という職人がいることを風の噂に聞きつけた。で、考えたわけだ。二十八の俺を封止してもらえれば、生き延びることができるんじゃないかってね」


 バンスが、作業室の棚の一番奥にある大きなガラス球を指差した。


「じゃあ、あれが」

「そう。二十八の俺が封止されているの球なんだよ」

「はず?」

「そう。俺は……」


 今こそ封止を解こう。封止していたのは俺の犯した重罪だ。


「俺は、封止に師匠を巻き込んで、殺しちまったんだよ」


 二人が真っ青になって、じりっと後ずさる。


「師匠は優しい人だった。十年かけて、出来の悪い俺に手取り足取りガラス工としての基礎を叩き込んでくれた。ただ……封止に手を出すことにはずっと反対してたんだよ。あれは覚悟がないとこなせないと言って、なかなか教えてくれなかった。でも俺が師匠についた目的はガラス工になることじゃない。自分の運命を封止することだ」

「あのさ……」


 何か言いかけたサニーを手で制した。


「わかってる。二十八という年齢は関係ない。自分を封止するのは、封止工にとって最大の禁忌タブーだ。案じた師匠が、俺を封じてくれることになったんだ」

「二十八の親方を、ですか?」

「そうだ。そのためには、残す二十七の俺と封じる二十八の俺に分けなければならない」

「そんなこと、できるの?」

「理論的にはできる。俺は妖精じゃないから自分の分身は作れないよ。でも、ある一瞬だけは二人の俺がいるのさ。二十七から二十八になる瞬間にね」

「不可能だ……」


 バンスがうめいている。


「俺が二十七から二十八になる瞬間に、それ以前とそれ以後、二十七の俺と二十八の俺に分離し、二十八の方をリーパーごと封止する。封止空間を不動にすれば、リーパーの目には封止された俺しか映らない。こっちに残った二十七の俺が普通に年を取って二十九になれば、封止を解いてもリーパーは俺にもう手が出せなくなる……はずだった」

「失敗したの?」

「そう」


 へたり込んで頭を抱える。涙が……止まらなくなる。


「分離に……失敗したんだ。しくじったのは師匠じゃなくて俺だ。こっちに残すはずの二十七の俺が、封止される側に引きずられてしまった。師匠が俺をこっち側に引っ張り戻してくれたんだけど」


 煤で汚れた床に涙の球が転がった。俺の汚い涙は、煤まみれの床ですら吸い込んでくれない。


「お、俺、俺の代わりに……俺の代わりに師匠があっちに行っちまったんだよ」

「う……そ」

「二十八の俺の肉体に師匠の魂魄が入り、こっちにはなぜか二十七に戻った師匠の肉体と俺の魂魄が残った。何もかもぐちゃぐちゃに……分離しちまったんだ」


 自分が生き延びるために他人の、しかも大恩人である師匠の生命を犠牲にしてしまった。俺はその場で命を絶とうと思ったんだよ。でも自殺すれば、命を賭して俺をこっちに引き戻してくれた師匠の想いを踏みにじることになる。

 俺は二十七に戻ってしまった師匠の身体からだを借りて、師匠が生きていたら続けていたであろう封止工を引き継ぐことにした。師匠の工房を畳み、ウエルクラフトに移住して小屋を建て、師匠や俺の名はつけられなかったからオークリッジ工房という看板を出した。そして……いつか二十八になってしまうことに毎日怯えながら、封止の仕事を続けてきたんだ。


 よろよろと立ち上がって、情けない宣言をする。


「俺は二十七から年を取らない。そしてこの身体は俺じゃない。師匠のものなんだ。いつかは返さなくてはならない」


 棚の隅に置かれているガラス球に目を遣った。あんなものはとっとと割っちまうべきだっだな……。


「あれから十年。ガラス球の中で変わらないはずだった俺の肉体も師匠の魂魄も、いつの間にか気配が消えた。リーパーが刈り取ってしまったんだろう。俺は……封止してはいけないものを封止し、封止しなくてはいけないものを封止できなかった」


 固く固く拳を握りしめる。


「もう限界なんだ。俺は二十八に。自分の意思で。封止を解除することで。二十八に。だから壁は越せない。運命の壁は……越せない」


 俺が全てをご破算にする決意を固めたのには、二つ理由がある。一つはバンスの独り立ちに目処が立ったからだ。俺を育ててくれた師匠に報いるためには、技を俺で終わりにするわけにはいかない。師匠が俺に注ぎ込んでくれた技や想い以上のものをバンスたちに分けてやりたい。それはどうにか達成できそうだ。

 だが、もう一つの理由の方がずっと切実だったんだ。俺にはわかる。二十七のまま不変だったことの歪みがもう限界にきているということを。保ってこの春まで。それは師匠の身体を借りている俺にしかわからない感覚であり、バンスたちには理屈を説明できそうにないんだ。あの球を割ろうが割るまいが、俺は二十八に。それならば、けりは自分自身でつけたい。


 作業室の前で右往左往していた足音が止まった。リーパーが……来たのだろう。


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