最終章 春の封止 終わりと始まり

第13話 決意

 そして……運命の春が来た。


 薪不足で揉め、炭の供給が細って揉め、マスターオークが傷ついて揉め。ウエルクラフト全体がしばらくぎすぎすしていたものの、厳冬期が過ぎて春がきざすとともに状況が落ち着いてきた。

 ストーンオークを全部伐り払うのは無理だし、その必要もない。大樹を選んで抜き伐りすれば、大きく空いた跡地にストーンオーク以外の木も生えてくる。それらを伸ばせば、乱伐前の森の形に戻していけるんだ。畑と違って耕したり植えたりという手間がないので、管理と言ってもほとんど放置でいい。ストーンオークばかりで森が真っ黒という状況は、これから徐々に改善されていくだろう。


 マスターオブマスターと呼ばれる最重要マスターオークの傷が心配だったものの、傷口が小さいので追加の封止は要らないという見立てだったらしい。あの木は今でも旺盛な成長を続けていて、傷がすぐ塞がるだけでなく俺らが備えた筐すら飲み込んでもっと太る……木を調べた高名な祈祷師がそう言ったそうだ。

 ただ、メイフィールド公は木を傷つけられたことが本当にショックだったようで、マスターオークの至近に常駐の森番を置いて監視することにしたらしい。俺もその方がいいと思う。


◇ ◇ ◇


 ミリーと結婚したバンスは工房の横に小屋を建て、夫婦で仲良く暮らし始めた。バンスの結婚はとてもめでたいんだが、とんでもないおまけがついた。バンスに続いて、残りの野郎三人も次々嫁を取りやがったんだ。どいつもこいつもずっと前からステディがいたらしい。俺もバンスも独り身だからなかなか言い出しにくかったそうな。結局俺だけ蚊帳の外かよ。とほほ……。

 まあ、一人分も四人分も同じだ。バンスと同じように工房の近くにそれぞれ小屋を建ててやる。もちろん、ど貧乏の俺に大盤振る舞いする銭なんざあるわけがない。建築費用には、公から頂いた謝礼金を当てた。マスターオークの傷封じは命懸けの封止だったから、謝礼の額が桁外れに大きかったんだよ。いつもならこんなに要らないと押し返すんだが、後々のこともある。今回ばかりはありがたく拝領した。


 男連中が嫁さんを連れて新居に移り、元の職人小屋には俺とサニーだけが残った。毎日忙しく野郎五人分の炊事やら洗濯やらに追われていたサニーは、急に暇になって落ち着かないとぶつくさ文句を言っている。で、文句だけで済むわけはない。


「ねえねえ、エーリス。わたし、暇すぎ」

「そう言われてもなあ」

「ガラスの扱いを教えてよ。それと封止も」

「おい! 正気か?」

「もちろんよ。できることは何でもやってみる。それが人間になった意味だもん」


 もしサニーがずっと前に来ていたのなら、俺は絶対に耳を貸さなかっただろう。だが、運命の時は刻一刻と近づいている。俺がバンスやサニーに遺せるものは今のうちに遺してやりたい。

 俺は、サニーに吹きガラスの工程と封止の手順を超特急で教えることにした。若いサニーには、経験を積んで技術を向上させる時間がまだたっぷりある。でも、最初にガラス工や封止工の実技を一通り体験しておかないことには修練が進まないんだ。俺がいなくなってもバンスが俺の代わりに教えてくれるはずだが、今は……今だけは俺が直接手解きをしたい。


 早春の夜。まだ底冷えする作業場で、火の入った窯の前に陣取ってサニーと二人でガラスと格闘する日々が続いた。ただ……その頃から俺は、歓迎できない不穏な気配を強く感じるようになっていた。

 もう少しだけ。もう少しだけ猶予が欲しい。俺のしでかしたことは、この身をもって償う。必ず償うから、もう少しだけ猶予が欲しい。


 祈りを捧げる神なんかどこにもいないのに。俺は連日連夜祈るしかなかった。


◇ ◇ ◇


「親方」

「うん?」

「なんか、疲れてませんか」

「まあな」


 新婚のバンスには心配をかけたくなかったんだが、気配が徐々に実体にまとまりつつあった。そいつが、俺らの隙を狙うかのように作業場周辺をうろつき回っている。

 もう……限界だろう。惨劇の幕が開くのは時間の問題だ。そろそろ運命の時に備えなければならない。残されている時が少ない以上、俺の封止を解くタイミングは今しかない。制作作業が一段落したところで、上がろうとしたバンスを呼び止めた。


「そうだ、バンス。前に俺の部屋で、運命の壁の話をしたのを覚えてるか?」

「もちろんす。春になったらって親方が言ってたんで、そろそろ話してくれるのかと思って」

「これから話す。ちょっと待っててくれ。今、サニーが来る。二人に大事な話をしておきたいんだ」

「わかりました」


 男たちが職人小屋から出て、俺とサニーだけで過ごす時間がぐんと長くなった。サニーはそれを待ち望んでいたかのように、自分の部屋には戻らなくなった。俺の部屋で暮らすようになったんだ。

 サニーの感情はとてもストレートだ。人間の体を得た時からずっと俺に好意を寄せてくれてることはわかってた。でも、俺には運命の壁が越せそうになかった。一点の曇りもない純粋で真っ直ぐな好意に何度も倒れ込みそうになったが……どうしても応えられなかったんだ。その分、男と女としてではなく師弟として、サニーに伝えられるものは全て隠さず残さず伝え続けたつもりだ。

 サニーは直球のアプローチがいつもはぐらかされてしまうことに腹を立て、どうして女心がわからないのよと俺を激しくどやした。いや……サニーの想いなんかすぐにわかるさ。でも俺が受け入れた好意は、すぐサニーの傷に転じてしまう。俺は、どうしてもそれを避けたかったんだよ。


 顔を強張らせたサニーが作業室に走りこんできた。


「なに? 話って」

「これから起こることさ。俺は、封止したものをずっとそのままにしておきたくない」

「親方、どういうことすか?」


 質問には答えず、逆にバンスに確かめる。


「封止工が絶対にしてはいけない禁忌タブーが二つある。わかるか?」

「ええと」


 バンスではなく、サニーがさっと答えた。


「依頼者の秘密を他者に漏らすこと。自分自身を封止すること」

「正解。つまり、俺は封止した自分を解放しない限り、禁を犯した外道という汚名を背負うことになる。俺はそれでもいいさ。でも自己封止は、俺を鍛えてくれた師匠への裏切り行為になるんだ」


 小屋の周辺をうろついている者の重い足取りが、次第に確かになってきた。悠長に話してはいられない。全てを明かす決意を固める。


「だから、俺はこれまでずっと封止していたものを解き放つ。それは俺自身の問題なんだ。何があっても俺自身が負わなくてはならない。バンスやサニーがなんとかしようとは絶対に思わないでくれ」


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