第11話 バンスの苦悩
とりあえず最悪の事態は回避できたが、すでに漏れていた瘴気まで含めて封止することはできなかった。本体から切り離されたろくでないものが、何にどう祟るかわからない。それがどうしても気になって、アンセルマから戻る道すがらずっと考え込んでいた。
冬の陽は落ちるのが早い。工房に戻った時にはすでに空の赤みが消えようとしていた。酷使した馬を労い、飼葉と水をたっぷり与えてから工房に戻ると、戸口で待ち構えていたサニーが大泣きしながら飛びついてきた。
「わああん! 心配したよう、心配したんだよう、何かあったらって。わああん!」
「すまんすまん。ぎりぎり間に合ったが、本当にやばかった。俺もこんなのは最初で最後にしたい」
誰かを心配することはあっても、誰かに心配されたことはなかったな。俺の身を親身に案じてくれたサニーに向かって、俺の傷だらけの心が倒れ込んでいく。それは……どこまでも嬉しくて、同時にどこまでも悲しい。
抱きついて泣き崩れていたサニーの背中をぽんぽんと叩いてあやし、あえて道化に戻った。
「腹が減った」
「えええっ?」
「今日はほとんど何も食ってないんだ」
「もうっ! 少しは女心ってのを」
サニーの抗議を俺の腹の虫が無慈悲に押し返した。ぐうううっ。
泣き顔から一転、ぷうっとむくれて鞠のように頬を膨らませたサニーが、どすどすと足音高く厨房に歩いていった。
「親方」
「ん? なんだ、バンス」
「息、ぴったりっすね」
バンスが苦笑いしている。師弟の付き合いが長いと、どうしても心の裏を読まれちまうな。いいんだか悪いんだか。溜息でそれ以上の突っ込みを塞いで食堂に行こうと思ったら、背後から呼び止められた。
「親方、ちょっと相談があるんす」
「おいおい、おまえまでろくでもない依頼を寄越すんじゃないんだろうな」
「あはは。そんなんじゃないんすけど。すごく大事なことなので」
「ふむ。今日中の方がいいか?」
「できれば」
「じゃあ、飯のあとで俺の部屋に来てくれ」
「わかりました」
◇ ◇ ◇
工房は、窯のある作業小屋と居室のある職人小屋に分かれている。まあ、どちらも掘立て小屋のような粗末な作りだ。夏は暑く、冬は寒い。とてつもなくハードだった今日くらいは節制を解こうと思い、暖炉に大きな薪を放り込んでバンスが来るのを待つ。
「親方」
「ああ、入ってくれ」
泥棒じゃないんだから堂々としていればいいと思うんだが、バンスは背を丸め、ばつが悪そうに部屋に入ってきた。椅子を勧めてバンスの話を待つ。どう切り出そうかとしばらく悩んでいたバンスが、いきなり結論から話を始めた。
「俺、所帯を持とうかと思うんす」
「おわっ?」
女の気配なんざ微塵もしなかったが……どういう風の吹き回しだ?
「めでたいことじゃないか。なんでさっさと言わん」
「いえ……ちょっといろいろ事情があって」
俺以上にすぱすぱ割り切るバンスにしては、えらく歯切れが悪い。
「てか、相手は誰だ?」
「ミリー。ミリアムっす」
「……なるほどな」
バンスが相談と言ったわけが理解できた。単純な好いた惚れたの話にはなりようがない。結局……封止が絡んじまったということか。
「まあ、薄々はわかる。だが、経緯とおまえの考えを聞かせてほしい。俺が指図する話じゃないが、封止に関わるところだけは口を出さざるを得ないからな」
「わかってます」
◇ ◇ ◇
うちの工房で働いている五人の職工のうち、元妖精のサニーを除く四人は全員同じ村の出身だ。そして四人とも逃げるように村を出ている。
四人はそれぞれ家庭の事情で自分の居場所を失った。マックスとセインの兄弟は不仲の両親の一方に嫌われ、結局揃って家を出るしかなくなった。トレスは捨て子で生まれつき親がいない。養い親に実子が出来て冷遇されるようになり、しょんぼりと家を出た。そしてバンス。父親の後妻に虐待され、身の危険を感じて家を飛び出した。
俺は彼らの身の上を知っていて雇ったわけじゃない。四人がとても仲良しで、職工同士の連携が必要な工房にはぴったりだと思ったから一緒にやらないかと声をかけたんだ。
今でも職工同士の仲はとてもいい。ただ……家庭に恵まれなかったことで、誰もが所帯を持つのをためらっていた節がある。貧乏だから女っ気がなかったのではなく、家庭を築く自信がなかったのかもしれない。
そして、ミリー。彼女は本当についていない。器量も気立てもいい
人の封止は、封止工がしてはいけない禁忌に必ずしも抵触しない。たとえば、医師の到着まで保ちそうにない重病人を医師が来るまで一時封止するというケースは考えうる。封止を解除する期限が明確であれば、やりたくはないもののできなくはないんだ。
しかし解除を前提にしていないミリーの依頼は、自殺幇助になるから絶対に承けられない。バンスは悩んだのだろう。封止以外の方法でミリーをなんとか助けることはできないか、と。
「ふむ。それで結婚……ということか。おまえの気持ちはどうなんだ? 彼女のことが好きで、彼女もおまえが好きなら、なんの問題もないと思うが」
「そこなんすよ」
バンスが、俯いてはあっと溜息をつく。
「俺は。俺は
「なるほどな。今の時点では、結婚どころか恋人同士にすらならないってことか」
「うす。でも、ミリーは限界っす。封止を断れば、どこかで身投げするか首を吊るか。そこまで思い詰めちまってる」
俯いてしまったバンスを見て、こっそりと苦笑する。おいおい、それは違うぞ。おまえはミリーに惹かれてるんだ。ただ、惹かれている自分を素直に信じることができないんだよ。
こちこちに固まった暗い過去が素直な心の動きをねじ曲げることは珍しくない。バンスは、ミリーと同じで人との深い交流に臆病になっている。すぱすぱ割り切るのは、裏返せば割り切れるものしか近くに置かないということ。ウエットな情に触れるのをすごく怖がっていて、その事実を『鈍』という入れ物に封止しているんだ。ただ……この先工房の看板を背負うなら、その封止は解いてもらわなければならない。
そうだな。継代の話を先にしておこうか。
「すまんな、バンス。おまえの相談に乗る前に、どうしても話しておかなければならないことがある」
「え? なんすか?」
「俺は、春に工房の看板を下ろす」
「えええっ?」
ミリーの話が全部ぶっ飛んでしまうくらい、バンスが激しく慌てふためいた。
「ど、どどどどど、どうしてっ!」
「理由は二つある。よく聞いてくれ」
「……うす」
いずれ継代の話はしなければならなかった。そいつはバンスと膝詰めの時にしかできない。数少ない機会を逃すわけにはいかないんだ。
「一つめ。俺にはもうおまえに教えられることがないからだ。ガラス工としても封止工としてもな。教えられている限り、教える者を超えることはできない。それ以下の職工にしかならないんだ」
バンスの肩をぽんと叩く。
「おまえにはもう独立の時期が来てるんだよ。だが俺がこの看板を背負っている限り、おまえは俺についてこようとする。それなら看板を下ろすしかない」
「……」
「二つめ。俺が下ろさなくても、看板は必ず宙に浮くんだ」
「どういう意味すか」
「俺は……たぶん運命の壁を越せない」
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