第10話 一世一代の封止

 背筋がざわざわしてきた。事態が事態だから積極的に封止の方法を考えたいが、技術的に極めて困難だ。工房の外だし、どでかい木だし。


「うーん……」


 バンスと並んで苦吟していたら、サニーがひょいっと口を挟んだ。


「ねえ、マスターオークの話は、ウエルクラフトの里の住人なら誰でも知ってる。在の人たちがマスターオークに手を出すことは絶対にないの」

「サニー、何が言いたい?」

「封止する対象を変えればいいでしょ」


 あっ! 確かにそうだ。俺もすっかり焼きが回っちまったな。いかんいかん。


「その通りだな。だが、不埒な連中をどうやって見つけ出す? これだけ広い森だぞ」

「簡単よ。任せてくれれば、すぐにでもやるけど」


 サニーがぺろっと言い放つ。勝手に走り出した話に置いていかれた公が、慌てて俺らを制止した。


「ちょ、ちょっと待ってください。私には何が何やら……」


 しまった。サニーとやり取りすると、どうしてもこうなる。なぜかはわからないが、互いに意思の先読みができてしまうんだ。サニーのペースに巻き込まれて、会話のテンポが異常に早くなる。でも、俺はそれが嫌じゃなかった。悩む前に即行動するいつも前のめりのサニーが、俺の強い牽引力になっていたからだ。


「公、すみません。今から説明いたします。おっとその前に。バンス、わかったか?」

「半分だけ」


 ばりばりと赤毛をかき回しながら、腕を組んだバンスが推論を並べ始める。


「マスターオークに手を出すとすれば、よそから来た連中だけっす。そいつらはここの住人じゃないので、公の許可はもらえないっす。これまでならともかく、これからは盗伐するしかないんす」

「おのれ……」


 激しい怒りを剥き出しにした公が、ぎりぎりと歯を噛み鳴らした。バンスは、臆せず冷静に話を続ける。


「盗伐した者は死罪にすると脅したって、さっととんずらしちまう連中には効きゃあしません。連中はどでかい木を伐ってすぐにばらし、許可を得た杣夫に安値で売りつけるつもりっすよ。杣夫は苦労して伐る必要がないし、買い取り価格との差額を懐に入れられるっす。盗伐する連中も元手がただですから丸儲けっす」

「俺の推論と一致する。で、わからない半分はなんだ?」

「そいつらの居場所を突き止めて封止する方法っす」


 何をすべきかわかったんだろう。公がさっと立ち上がった。


「森番を集めて、各マスターオークの保護に向かわせます」

「森番じゃだめっ!」


 椅子から飛び降りたサニーが、甲高い声で公を制止した。


「あいつら、絶対武装してる。兵じゃないと対抗できない」

「わかりました!」

「すぐに隊を整えて! 連中の居場所は奥様に伝えるから」

「あの、なぜクレアに?」


 首を傾げた公に、サニーが苦笑を向けた。


「それは言いっこなしってことでお願い」


◇ ◇ ◇


 マスターオークが傷つけられると、森にどんな災厄が降りかかるかわからない。サニーは、眠っているセラを再生するためにダンシードの森を死守しなければならないんだ。一番切羽詰まっていたのはサニーだったのかもしれない。

 屋敷に戻る公夫妻を見送った俺らは、サニーの行動アクションを固唾を飲んで見守った。


 どんよりと曇った冬空を見上げていたサニーが、ぴゅういっと指笛を吹いた。ほどなく、ストーンオークの黒い森になってからめっきり減っていた小鳥の鳴き声が、急に賑やかになった。

 ぴちぴちちゅいちゅいと賑やかに鳴き交わしていた小鳥たちは、サニーがさっと右手を突き上げると留まっていた枝から一斉に飛び上がり、雲のように群れた。群れはいくつかの塊に分かれ、広大な森の上をゆらゆら動いていく。それが再び集まって大きな黒雲のようにまとまった。鳥たちの位置を確かめたサニーが顔色を変えた。


「まずいっ! よりにもよって、六本の中で一番大事なマスターオークに手をかけようとしてる。急いで止めないと!」


 じぇいっ! じぇいっ! 一羽のかささぎが鳴きながらサニーの頭上を飛び回っている。サニーがかささぎに向かって大声を張り上げた。


「連中はアンセルマのマスターオブマスターを狙ってる! 急がないと間に合わないっ!」


 かささぎは矢のように飛んでいった。公だけでなく、俺たちも封止の準備を急がなくてはならない。


「よし、バンス! 俺たちにできることをしよう。盗賊の討伐は公にしかできない。だが、封止は俺らにしかできないんだ」

「何をどうやって封止するんすか?」

「説明している時間が惜しい。トレスに作ってもらいたいものがある。急ぐぞ!」

「うっす!」


 いつもはのんびりとガラス球の置き台や吊り具などの装飾品を作っているトレスは、森と俺たちの運命を握る特別なはこを大至急作ってくれという命を聞いて色めきたった。


「合点だ! 全速力で作るぜ。任せとけっ!」


 薄い鋼板を何本も炉に突っ込んで真っ赤に焼いたトレスは、俺らの目の前で一心不乱に槌を振るった。変哲のない板がみるみる複雑な形に象られていく。継ぎ目にカシメを打たれ、折り曲がる蛇腹のような形に仕立てられた筐が全容を表す。筐には魔封じの文様がたがねで刻まれ、端に長い針金を二本ずつ取り付けられて俺たちの手元に来た。

 まだ余熱が残っている筐を麻縄で背中に背負い、トレスに留守を任せる。


「トレス、恩に着る! 首尾は帰ってからな」

「わかった。二人とも、気をつけてな」

「ああ! バンス、松脂まつやにを忘れるな!」

「二袋持ったっす。呪術書必携っすね」

「もちろんだ! 猶予がない。アンセルマまで全力で飛ばすぞ!」

「応っ!」


 厩舎から馬を引き出してきたサニーが、俺に確かめる。


「わたしは?」

「サニーは無理だ。もしマスターオークが傷ついたら何が起こるかわからない。俺たちだって対応できるかどうかは行ってみないとわからんのだ。トレスと一緒に留守番を頼む」


 不服そうだったが、渋々サニーが頷いた。


「気をつけてね」

「行ってくる!」


◇ ◇ ◇


 アンセルマは奥地と言っても高低差のあまりない平場なので、幸いマスターオークの所在地まで全路で馬を使えた。それでも到着するまで一刻いっとき以上かかった。隊を整えてから出発する公は、たどり着くまでにもっと時間がかかるだろう。間に合えばいいんだが。


「あれか! すごい……な」

「はんぱなくでかいっすね」


 マスターオブマスターと呼ばれる巨樹は、森の中に突如広がっている草原の真ん中にどっしりと踏ん張っていた。かなり離れていても、猛烈な威圧感が容赦なく押し寄せてくる。

 俺らは兵じゃないので、武装している盗賊の中に突っ込めば自滅してしまう。遠くからマスターオークが見通せる場所で一度馬を降り、慎重に様子をうかがう。


「おかしいな」

「誰もいないっすよ」

「サニーのやつ、賊の居場所を読み違えたのか?」


 木の陰に隠れながら、少しずつ巨樹との距離を詰めていく。誰もいないが……様子がおかしい。


「おい、バンス。姿は見えないのに、人の気配がまだ残っているな」

「逃げたんかなあ」

「いや……」


 ざわあっ……。背筋に強い悪寒が走った。遠目ではっきりとは見えなかったが、大樹の周囲に鋸や斧が散乱している。牽引に使うロープが地表を這い回り、衣服の切れ端が見え隠れしている。それなのに人の姿がない。


「違う。あいつら、喰われたんだ」

「喰われたぁ?」


 ぎょっとして振り返ったバンスに、木の根元を注視させる。


「見ろ! あそこからやばいものが漏れてる!」


 それは人の形をしていない。まるで木の根元にある巣穴から一斉に飛び出したミツバチのように、何かが薄黒く棚引いて周囲をまさぐっていた。傷の真下は真っ赤に染まっている。血溜まりができているんだろう。


「お、親方、どうするんすか?」

「なんとか塞ぐしかない。あの黒いやつが勢いよく吹き出したら誰も太刀打ちできなくなる。漏れが今程度のうちに傷を封止しよう。そのためにこの筺を用意したんだ」

「そうだったのか。わかったっす!」


 トレスが渾身の力をこめて作ってくれた筐を降ろし、両手で針金を持つ。バンスには反対側を持たせる。


「喰われたやつらは斧で根株を傷つけたはず。傷の上をこの筐で覆い、すかさず封止する。漏れてしまった瘴気はもう封止できない。傷口から新たに漏れるのを全力で止めるしかない」

「……そうか」

「あの黒い筋みたいな瘴気は、封じられている者の腕だろう。木の下につながっている腕に捕まったら『向こう』に引きずり込まれる。封止に失敗したら即座にあの世行きだ。一発勝負だから根性据えろよ!」

「承知!」


 ぶるぶるっ。バンスが震えたのは、一世一代の封止に挑む前の武者震いだろう。顔が紅潮しているから怖じてはいないようだな。よしっ!


 傷の正面側に立って筐の開放面が傷を塞ぐよう両側から針金を引張って構え、同じ速度で走って反対側に回り込み、そこで合流して針金を結びすかさず封止する。口で言うのは簡単だが、筐の位置が少しでも傷からずれると漏れは止められない。それに、漂っている黒い瘴気に捕まると俺らも引きずり込まれてしまう。命懸けの一発勝負だ。

 両側から針金をぴんと張って筐が傷の上に来るよう狙いを定め、一度深呼吸をする。


「行くぞ! 封止開始!」

「応っ!」


 足並みを揃えて疾走し、幹の真横で筐をぴたりと傷に合わせる。よし、もっとも厄介な難所をクリアした!

 あの真っ黒い筋のようなものが俺らに気づいた時には、俺らはもう傷の反対側に回り込んでいた。針金を緩めないよう大回りしてバンスと落ち合い、持っていた針金と立ち位置を入れ替えて針金を交差させ、ぎいっと引き絞る。もう一度持っていた針金をバンスと交換し、幹に捻り止めた。すかさず片手を空けて呪術書を開き、針金を引きながらまじないを唱えて筺の内外を分離する。


「全てを分ち、全てを離せ。セパレ!」

「全てを分ち、全てを離せ。セパレ!」


 ぎしん! 瘴気が筐によって本体と末端とに切り離され、本体側が筐に封じ込められた手応えがあった。外に漂っていた瘴気は封止と同時に遠くに弾け飛び、目を潰された黒蛇こくじゃのようにのたうった。構わず針金の交差部分を木杭で固く締め上げ、がっちりと幹に固定する。

 両手が空いたところで、急いで封止を仕上げる。左手に呪術書を開いて持ち、右手で松脂を掴んで、呪いを詠唱しながら箱と幹との隙間に叩き込んでいく。


「全てを隔て、全てを閉ざし、全てを封じよ! シーラス!」

「全てを隔て、全てを閉ざし、全てを封じよ! シーラス!」


 幹と筺の隙間からじわじわと松脂が引き込まれて喰われていくが、喰えば喰うほど松脂が傷口にへばりついて開口部が狭まるはずだ。予想通り、松脂が引き込まれる速度は徐々に遅くなって……いつしか止まった。念のために箱をすっぽり覆うよう松脂を塗り足して、封止完了だ。


 二人してばったり仰向けに倒れ込み、草に背を預けて荒い息を吐く。


「はあはあはあっ。間一髪だったな」

「ふううっ。とんでもなくやばかったすね」

「こんなどでかい封止は俺らの仕事じゃないよ。二度としたくない」

「うす」


 そのままぜいぜい喘いでいたところに、重武装した騎兵の馬群が蹄を鳴らして駆け込んできた。先頭にいるのはメイフィールド公だ。賊の蛮行が腹に据えかねたんだろう。鬼のような形相で、抜き身の剣を振りかざしている。

 公は俺とバンスを見るなり馬を飛び降りて駆け寄ってきた。


「エーリスどの、ご無事でしたか?」

「公より早くここに来れて、本当によかったです」

「は?」

「賊は一人残らず喰われていました」


 地面を指差し、ここで何が起こったのかを類推してもらう。大樹の株元に散乱している杣の道具や縄、ぼろぼろにちぎれている衣服の切れ端。筐の下には大きな血だまりが広がっている。見回していた公の顔がみるみる青ざめていった。


「我々がこうなっていたかもしれない……ということですね」

「そうです。この大樹が抑えている瘴気には意思がないみたいですね。周囲にいる者を何もかも引きずり込んで喰らおうとするようです」

「うわ……」


 公がじりっと後ずさった。


「俺とバンスとで傷を封止しましたが、あくまでも応急措置。間に合わせなんです。封止の永続性は保証できません。魔封じの専門家に見せて、封止を補強してください」

「わかりました! 迅速にご対応いただいたことに心から感謝いたします」


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