第三章 冬の封止 傷を封じる

第9話 難しい相談

「ふうっ。一気に寒くなってきたな」

「作業場はいいけど、居室の寒さは堪えますね」


 火かき棒を手にしたバンスが、浮かない顔で窯を見つめる。それでなくても冬は寒いが、今年の冬は別の意味で厳しい寒さに悩まされそうだ。危惧していた事態……伐れる木の枯渇がとうとう現実のものとなってしまったからだ。


◇ ◇ ◇


 俺がメイフィールド公に進言したことは、「いつか手立てを」という悠長な提言ではなく、「即座に対応を」という警告に近い。なぜなら、冬を越すために必要な薪がほとんど手に入らなくなっていたからだ。

 森に入る杣夫は、薪を作って里に出すよりも炭を焼いて街の工房に売る方がずっと大きな儲けになる。当然のこと、里にはほとんど薪が卸されなくなる。暖房、炊事に必要な薪を欠けば、すぐ里の住人の生死に関わるのだ。激怒した農夫たちが炭焼きにしか目の行かない杣夫を吊し上げ、足止めする騒ぎになった。炭が焼けても、町に運べなければ商売にならない。道を封鎖された杣夫はすぐに干上がった。

 もっと慌てたのは街の工房の連中だ。これまで安い値段で湯水のように使っていた炭の供給がぴたりと止まってしまい、価格も高騰。経営体力のない工房は次々廃業に追い込まれた。薪の需要が急激に高まる冬に大混乱が起こることは、どうしても避けられなかったんだ。


 公は、あえてその混乱を坐視していた。管理を強化する前に、森の危機を領民に実体験させる目論見があったのだろう。

 もともと森はメイフィールド公を初めとする近隣諸侯の所有地であり、秩序と節度を保つ限りにおいて利用してもよいという取り決めになっていた。そのどちらも失われていたのだから、伐れる木があっという間になくなってしまうのは当たり前なんだ。

 農民たち、杣夫たち、ガラス工房の職工たち、それぞれが窮状を訴えて公のもとを訪れ、そこでやっと公が重い腰を上げて新ルールの制定を宣言した。


 一、今後、森林所有者である諸侯の許可なく伐採することは一切まかりならぬ。盗伐を行なった者は死罪とする。

 一、伐採によって得た材木及び炭は、定められた価格で森林所有者に全て売却すること。密売や横流しをした者は厳罰に処す。

 一、資源保護のため、ストーンオーク以外の樹木の薪および炭は当面買い取らない。また、ストーンオークを伐採した者には跡地の管理を義務付ける。

 一、薪や炭の利用者は必要量を申告の上、森林所有者の設営する販売所で買い求めること。


 公は、ほぼ俺が提案した通りにルール化してくれたと思う。誰もが痛みを負う新ルールだが、一番傷だらけなのはとことん荒らされてしまった森なんだ。森の負ってしまった深傷ふかでが癒えるまで我慢が必要なことは、誰にでもわかるだろう。


 もちろん、公の定めた新ルールは俺たちにも等しく適用される。公からダンシードの森周辺および工房近傍での伐採許可は得た。すでに伐採した材とこれから作る炭は全て売却することになるが、備蓄がたっぷり残っているし、伐採に金も手間もかかっていないので、差し引きすればいくらかの収入になる。工房からの上がりがちょぼしかない俺らにとっては、わずかな差益でも十分にありがたい。

 ただ……これからは俺らも薪や炭を買わなければならない。銭の余裕なんかこれっぽっちもないから、今ある備蓄分を景気良く使うわけにはいかないんだ。作業用の炭の確保が最優先になるので、居室暖房の薪はけちるしかない。それで、全員揃って寒い寒いと文句をぶちかましていたわけだ。ううー。


 今年の冬が一際寒く感じられるのには、もう一つ理由がある。封止依頼の内容がどんどんくだらなくなっていたんだ。薪不足で人心がひどく荒んでいるからいさかいが頻発する。誰それを封止してくれという殺し屋への依頼みたいのが次々に持ち込まれ、心底うんざりした。まともな依頼がその中に埋もれるから、工房の収入もべっこり落ち込んでしまった。貧乏はつらいよう。


 そんな風に身も心も凍えきっていたところに、メイフィールド公がご夫婦で見えた。ダンシードでの保養から戻って以来、人目をはばからぬいちゃラブ状態。これじゃあ噂なんか木っ端微塵だよなあと苦笑しながら、お二人を面会室に案内する。


「先だっては大変お世話になりました。妻が快癒したので、お礼に伺いました」

「いやあ、俺らはなにもしていませんよ。保養に付き合っただけですから」

「エーリスどのがダンシードに導いてくださってから、全てが好転しました。本当に感謝しかありません」


 公とクレアが深々と頭を下げる。本来工房で承けるべき封止ではなかったので、俺はどうにも面はゆい。

 公が微笑みながらクレアと目を合わせ、ぽつりと言った。


「本当に。奇跡のようでしたね……」


 ダンシードが残っていたことが、か。それともクレアが再生したことが、か。そこにはあえて触れないことにする。

 お二人に喜んでもらえたことは嬉しいが、多忙な公が謝意を示すためだけにわざわざ来るとは思えない。何か依頼を携えているはず。俺の予想通り、公がぐっと背を伸ばして表情を引き締めた。


「それと、エーリスどのに折り入って一つご相談があるんです」

「依頼、でしょうか?」

「依頼にできるかどうかが極めて微妙なんですよ」


 なるほど。この前の噂の封止と違って、今回のは切迫したものではない。ただ、先々なにか良からぬことがありそうだから今のうちに手を打ちたい……そう見た。


「お聞かせください。考えてみます」

「助かります!」


◇ ◇ ◇


 バンスに看板を譲る日が近づいているから、公の話を一緒に聞いてもらうことにする。いつの間にかサニーがちゃっかり同席しているが……クレアのこともあるし、仕方がない。いくらおしゃべりサニーと言っても、封止が極めてデリケートだということはしっかり理解している。封止に関することは、外で決して口にしないからな。


 公が慎重に話し始めた。


「先だっての森利用に関する布告。関係各位にどうにか受け入れてもらえたようで、今のところ大きな騒動には至っておりません」


 大きな騒動がないのは事実だが、小競り合いは頻発している。公もそれはご存知で、何か手を打っているのだろう。案の定、説明が足された。


「ストーンオークは杣夫が伐るのを嫌がる難物ですから、大人数でかからないと木を倒せません。それぞれの集落で男たちを組織し、十数人で大きな木を伐り倒すという方法を私の方で推奨しました」

「なるほど。それなら不公平になりませんね」

「はい。伐採に検収官が立ち合い、その場で買い取りと売り渡しを同時に行うことにしたので、倒した木を伐採に携わった者が山分けして持ち帰れます。薪不足が深刻ですからね。ルールの運用に幅を持たせました」

「素晴らしい!」


 いやあ、本当に優秀な領主さまだ。惚れ惚れするわ。


「ただ……」


 公が声を潜めた。


「街の工房に炭を卸していた者の中に、ウエルクラフトの外から来た連中が相当混じっていたようなんです。彼らは金になるものを全部伐り尽くしては他所よそに移るという商売をしています。とても歓迎できないんですよ」

「そうか。よそもののやりたい放題を制御するためにも、住人がパーティーを組む意義があるということですね」

「はい。しかし、重くて扱いにくいストーンオークの伐採は里にうんと近いところからしか始まりません。人の目の届かない奥地の巨木が監視から外れるんです」

「わかります」


 公は、携えていた森の見取り図を卓の上に広げた。そこには大きな木のシンボルが六つ記されていた。森のほぼ中心に一つ。それを等間隔に取り巻くようにして残りの五つ。


「私の所有地には六本のストーンオークの巨木があり、マスターオークと呼ばれています」

「当主の木、ですね」

「はい。幹の直径が数ひろ以上あるとてつもなく大きな木ですし、平地に立っていますから、伐り倒すことは実質不可能なんですが……」


 む! そうか。


「よそものが、あえて大物を狙うかもしれないということですね」

「はい。マスターオークは伐れない木です。技術的にではなく、倫理的に」

「……曰くがあるということですか」

「父祖から強く言い諭されてきました。マスターオークにだけは絶対に手をつけるな、と」

「それは当地に伝わるオルクの石化伝説と関係しますか?」


 単刀直入に確認する。公の返答は早かった。


「その通りです。ですが、この辺りに言い伝えられている伝説と我々が伝承してきた禁忌タブーとは、かなり違うのです」

「どのようにでしょう?」


 公が居住まいを正した。


「マスターオークを伐るな。伝説や禁忌が作られた背景は同じだと思うんですが、代を重ねて言い伝えられている間に内容が変化してしまったと考えています」

「原型が公のところに、変化したものがこの辺りの伝説にということですね」

「そうです。当地の伝説ではストーンオークが石にさせられたオルク……すなわちストーンオーク自体が魔物の扱いなのです。その中でもマスターオークは強大な力を持つオルクの化身であり、祟られるので絶対に伐ってはいけない。そう伝えられているはず」

「違うよ!」


 サニーが血相を変えた。


「それ、まるっきり違う!」

「はい。私どもの家に伝えられている禁忌の理由。マスターオークに絶対刃を当ててはいけないという理由は、オルクの巨大な力を抑え込んでいる封止が解けるから、なのです。祖父がよく言っていました。マスターオークはオルクの化身ではなく、換えの効かない重石だと」


 納得だ。今までどうも解せなかったんだ。いくら硬くて伐りにくいとはいえ、薪としても炭としても高品質なストーンオークをなぜ伐りたがらないのだろうと。

 マスターオークを守るための言い伝えが、下々で過大解釈されてしまったんだろう。『マスターオークを伐ってはいけない』から、『ストーンオークを伐るな』に。だがストーンオークだけを保護すれば、じわじわと森が変質してしまう。急激な製炭で森が壊れる以前から、すでに木々の構成がいびつになっていたということか。


「公。俺の理解を整理させてください」

「はい」

「はるか昔にオルクを抑えた者がいた。その者はオルクが再臨しないようにと、封じたオルクの上に長命なストーンオークを植えて巨樹に導いた。マスターオークが無傷で残っている限り、オルクの災厄が降りかかることはない」

「それで合っています」

「だとすれば……」


 公の相談は気急の案件ではないと思っていたが、とんでもない! これは……。


「背に腹は換えられないとマスターオークを伐ろうとするやつが出たら、しゃれになりませんよね」

「そうなんです。六本それぞれに森番をつけることも考えたのですが、なにせ奥地です。森番への負担が大きいですし、ならずものが徒党を組んで来ると対抗できません」

「そうか。マスターオークを人の手が届かないように封止できないか……ということですね」

「ご賢察ありがとうございます。ですが、エーリスどのが示されている封止条件から外れる変則的なお願いになります。あくまでもご相談という形にしかできません」


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