第7話 全てつながっている

 サニーの素晴らしいヒントで、不可解だと思っていた噂の謎が一気に解けた。封止を承ける承けない以前に、公に真相を理解してもらわなくてはならない。封止の依頼は工房以外では絶対に承けないが、今回は依頼の話ではない。

 非常に微妙で機密にも関わることだと公に連絡し、公のやかたで話をさせてもらうことにする。公は二つ返事で了承してくれた。単騎馬を飛ばして公の館に赴き、待ち構えていた公に伴われて館の端にある小部屋に入った。


「エーリスどの。噂の背景がわかったと申されましたね」

「はい。誰が流したのかもわかります」

「誰……でしょうか」

「公は、狩場かりばの森の管理を森番に任せておられますね」

「ま、まさか……」


 配下の者に下手人がいるとは夢にも思っていなかった公が、真っ青になって絶句した。公に良からぬ感情を持っている者が悪意に基づいて噂を流した……普通はそう考える。だが、今回に限ってはそうじゃないんだ。


「公、短気を起こされませんよう。噂が流された背景は単純ではありません。いろいろな要素が複雑に絡み合っています」

「説明していただけますか」

「もちろんです」


 そもそもの話から始める。


「ストーンオークがはびこり、黒い森ばかりになってしまったウエルクラフト郊外の森。公はその四分の三以上を領有しておられますね」

「そうです。領民が煮炊きに使う薪の確保に自由に使えるよう、狩場以外は開放しています」

「俺もその恩恵に預かっています。とても助かります。ですが……」


 目の前に置かれているグラスを手に取って掲げる。


「ウエルクラフトのガラス産業は瞬く間に発展しました。職人や商人から徴税している公にとって、それはとても好ましいことですよね」

「もちろんです」

「でも、盛んになる速度があまりに早すぎたんです」

「えっ?」


 公がせわしなく俺とグラスとを見比べる。


「ガラスの精錬と整形には大量の炭が必要になります。多くの工房は森から遠く離れていますから、森で炭を焼いて街に運んでくる炭焼き職人から買い付けます」

「……」


 俺の説明の背景が見えてきたんだろう。公の表情がみるみる険しくなった。


「でも、専業の炭焼き職人というのはほとんどいないんですよ。多くの場合、杣夫が木を伐って炭にするんです。どんな種類の木であっても炭にできるので、杣夫は伐りやすい木から使います」

「だからストーンオークばかりが残った。そういうことですね」

「ええ。炭の需要は増える一方です。ガラス産業だけでなく、製炭も産業になった。片手間で細々とやるのではなく、大量に伐って大量に生産するやり方になってしまったんでしょう。それでは、どんなに森が広くても伐れる木がすぐに無くなってしまいます」


 すっと手を挙げた公が、俺の話を一度遮断した。


「私の推測を述べさせてもらっていいでしょうか」

「お願いします」


 公が眉間に深い皺を寄せ、慎重に推論をまとめていく。


「伐りやすい木が枯渇すると、ストーンオーク以外の木がまとまって残っているのは狩場だけになる。だが、狩場は森番がきちんと見張っているので手が出せない。杣の連中が森番を抱きこもうとした。そういうことでしょうか」

「ご明察です。ですが、森番が盗伐を見逃せばすぐに公に処罰されてしまいます。どうしても、公の意識を狩場から逸らさなくてはなりません」

「それで……か」


 公の額にみりみりと青黒い血管が浮いた。使用人の信じられない裏切りで怒りが沸騰したんだろう。今度は俺が手を掲げて公を制止する。


「でもね、公。その目的で噂を使うというのはどうにもおかしな話なんですよ」

「なぜですか?」

「噂には一つも実害がないからです」

「は?」


 拍子抜けしたように公の顔から怒気が削げた。


「うちの女性職員のサニーに、街での公の噂を確かめてもらったんですよ。確かに噂は流れていますが、ほとんど笑い話になっています。冗談でも、もう少しましだろうという感じで」

「む……」

「俺も融通の効かないくそまじめだと言われてきましたが、公の誠実さは俺の比ではないんです。公が奥様を溺愛されていることは、誰もがよく知っている。つまり噂の中身にまるっきり信憑性がないんですよ。誰も信じない噂をなぜ流すのか。おかしいと思いませんか?」


 俺やバンスと違って、公はすぐに気が付いた。


「そうか。妻の心を乱すためか」

「俺たちはそう考えました。公の最大の関心事は奥様なんです。公の意識を一点に釘付けするには、奥様を巻き込むしかありません」

「む……う」

「ですが、病弱でほとんど屋敷から出ることのない奥様にはなかなか噂が届きません。奥様の耳に入れるためには、どうしても噂を大きくしなければならないんです。そそのかした杣夫と森番とで知恵を絞ったのでしょう」

「悲しいのう。すぐに露見する浅知恵ではないか」

「俺もそう思います。ですが、食うや食わずの生活をしている者はいっぱいいるんですよ。営みの歪みは真っ先に貧しい者を襲います。うちも零細工房なので人ごとではありません。明日は我が身なんです」


 苦悶の表情を浮かべたまま黙り込んでしまった公は、しばらくして重い口を開いた。


「私は……どうすればいいのでしょう」

「俺から提言があります」

「ぜひ聞かせていただきたい」

「まず。炭の原料としては、今伐り残されているストーンオークの方がずっと高級なんですよ。火保ちがよく、火力が強い。使われないのは、木が極端に硬くて伐採や割裂がとても大変だからです」

「それを伐って使ってくれということですね」

「はい。炭を作る能率がうんと下がりますが、背に腹は代えられません。杣夫や炭職人が暮らしていけるよう炭を公が全て買い上げ、流通を制御してはいかがでしょう」

「うーむ……それでは私がガラス工たちに恨まれてしまう」

「そうでしょうか?」


 疑問を投げかけておく。


「今のガラス産業の発展は、森の犠牲の上に成り立っています。それはおかしくありませんか? 公が手立てを施しても施さなくても、もう炭は森から出て来なくなりますよ」

「そうか。その時点でガラス産業の方も終わりになってしまうということか……」

「ええ。炭を粗末に扱う職人に、いい製品が作れるはずがないんです」


 もう一つ、大事なことを付け加えておく。


「ストーンオークは確かに大量にあるんです。でも、それすら伐り尽くすと森は森でなくなります」

「……そうですね」

「あるものを使う、ではなく。育てて回す。杣夫や炭焼き職人に森の手入れを義務づけ、彼らが努力すれば安定して収入が得られる仕組みを整える。いかがでしょう」


 公が、大きく頷いた。


「森の現状を教えていただき、本当に助かりました。近隣諸侯と連携して森の管理を急ぎ再考することにしましょう。ありがとうございます」

「いえいえ。それと……」

「まだ何か問題があるのでしょうか?」


 思わず苦笑する。


「公が俺に持ち込んだのは依頼です。噂を封止してほしいという依頼」

「ははは。確かにそうでした」

「噂の封止は俺がいつも工房で行なっているやり方ではできません。でも、別の方法なら可能なんですよ」

「ほう?」


 席を立ちかけていた公が椅子に座り直した。


「事実を伴わない噂はすぐに消えます。でも、事実が背景にある噂はしっかり残るんですよ。つまり、今の噂を事実で封止すればいい。奥様のお悩みもきっとそれで解消するでしょう」

「ふむ……どのような事実を作ればいいのでしょう」

「奥様と二人で保養にお出かけください。とても素晴らしい場所を見つけたんです」

「おお、それはいいアイデアだ! 確かに今時期は外出向きの季節ですね。そこはなんというところでしょうか」

「ダンシード。ダンシードの森です」

「ダンシード? ま、まさか!」


 公の驚きようは尋常ではなかった。


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